nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】2024.9/28-11/24「森の芸術祭 晴れの国・岡山」④津山エリア(津山まなびの鉄道館、つやま自然のふしぎ館、津山城、城下スクエア)

11月某日。「森の芸術祭 晴れの国・岡山」2度目の訪問を試みる。なぜか。津山エリアを丸ごと残しているからだ。残るんだよ(多い)

レポ④ではJR津山駅津山城周辺のスポットをやる。やりましょう。アート作品自体より設置場所の魅力が引き立つ展示である。

 

別日で回った新見エリア、真庭・蒜山エリアのようす。

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今回は津山エリアに注力できてうれしいな。

いうてもみんな津山のことを知らないでしょう。知っていてもホルモンうどんか津山さん十人殺しか。私も知ったのは十年前のことで、それはとてもエキサイティングな体験でした。探せばZガンダムがあったりするのよ。今回、一部のスポットを再訪することになったが、やはり記憶の多くは失われていて、振り返りに良い機会となった。

津山というのはだな、このピンク色の部分である。前回訪れた新見エリア(金)、真庭・蒜山エリア(水色)がもはや鳥取・広島に近いのと比べれば、だいぶ関西寄り・まだ瀬戸内海寄りで、やさしさを感じる。中国自動車道を下りてすぐアクセスできるのもやさしみである。

多い。なめてた。すんません。

「1会場30分で回れば余裕」とか言うんですよ計画段階では。売上数前年比35%増目指します!いけます!みたいなノリでね計画段階では思うんですよ。むりやから。あかんよ。

 

芸術祭の開催エリア内では津山が最もまとまった都市部になり、展示会場が他エリアの倍以上ある。その形態としては「会場は大きいが作品はごく限られたポイントで展示されている」か、「さほど大きくない古民家や館で複数の作家をまとめて展示しているか」の2種類に大別できる。どちらもそれなりに時間がかかった。

最もヤバかったのはつやま自然のふしぎ館、これはやばかった。沼です。別枠でレポを掲載する。標本・剥製の物量が文字通り桁違いで、天文学的な数の展示物があり、アホほど面白いのでアホみたいに時間を圧迫した。危なかった。ぜー。

 

 

◇朝、津山入り(つるや)

早朝に大阪を発てば2時間半で津山市内に入れる。中国自動車道ありがとう。9時開場に間に合えばよいです。気が楽。と余裕をかまして山地を駆け抜けていたら猛烈な霧となった。これは竹田城で雲海を狙っていた人が優勝ですね。

インター下りたら「スーパーハリウッド」とかいう謎のビルしかない、これぞ地方都市の虚無感(誉め言葉です)。だが私達には明確な目的地があった。まず朝食を津山地方の誇るチェーン店「つるや」で堪能しなければならない。

「つるや河辺店」は「ナンバホームセンター」と併設されていて、かなり新しく洗練された感がある。前回行った店舗(つるや鏡野店と思う)がかなり田舎のオアシス的な場としてぽつんと立っていたのと対照的だ。

試しにあえて中華そば(すなわちラーメン)をいってみた。まあ普通。特徴はない。欠点も全然ない。ある意味で万能選手であることが分かった。定食、丼、麺類、どれもこなす。すごい。だがローカルな味わいを求めるならやはりご飯もの × あぶらもの・肉類が良いと思った。

つるやは食事よりむしろお菓子、パン、おにぎり等の物販が素晴らしくてですね、買い食いの方が絶対に楽しい。

つるやは癒しの楽園~( ◜◡゜)っ

山本製菓の揚げかき餅はmust。これが狂ったように美味い。前回何の気もなく買って家で食ったら止まらなくなった。これですこれ。This is this. 日本語もままならぬ美味しさ。

cc-ishii.co.jp

ロールパンの「焼きそばロール」「高菜サラダロール」「たくあんサラダロール」「福神漬サラダロール」等のラインナップも少々いびつで、しかし人間臭く、人間の生のニーズが全面的に押し出されていて、商品がその後から来ているようで、よい。ローカルとは人間の生がシステムに先行して立っている場のことを指すのかもしれない。

 

あ"っ、本屋だ!!!絶滅危惧種タガメゲンゴロウを見るような目つきをする) 本屋だ!!!(タガメゲンゴロウを見つけたときのような歓声を上げる) なんで本屋ひとつで盛り上がってるんだ。もうおわりだよこの国。

 

 

◇津山まなびの鉄道館(施設・車両)

あさイチの鑑賞先をどこにするかを思案した結果「人が来たら撮影がめんどくさそう」「10時以降に家族連れなどが多くなりそう」な場所を先に潰すことにした。すなわち、鉄道。お子のいるご家庭が鉄に多数押し寄せてくることは名古屋の「リニア・鉄道館」で経験済みだ。子連れは電車に来る。例外もあるが・・・(撮り鉄

 

と思ったら普通に中高年ばかり開場前からスタンバッている。なぜなのか。アートきちがい(※誉め言葉です)の仲間らが朝からラウンドをキメているのだ。時間と金の余裕のある中高年は地域アート祭を回る習性があり、それは私のことか。いやいや余裕などないすわ。

 

しかし入場しても何が作品だか分からない。こっちも作品を探すよりも、ターンテーブルと車庫のカーブの曲線美にしか目がいかない。直線よりも美しいもの、曲線。そして赤いディーゼルさんたち。こいつらは背が低いが力自慢のドワーフのような存在で、丸みがあって小柄だがあらゆる区間で無敵の働きをする。非電化区間を自由自在に走り回れるために発展途上の昭和においては無双だったのだ。

並べられて初めて分かったが蒸気機関車は異常に大きい。そもそも大型車種だというだけでなく、石炭を燃やして動力を得る蒸気機関のエネルギー効率がいかに悪いかを端的に示している。ボディのほとんどが釜と石炭入れなのだ。こんな石炭ベースの生活圏に住んでいたなら、原子力が夢と未来のエネルギーとして標榜され憧れられるのも頷ける。

戦後昭和の日本鉄道網をカバーしたのがディーゼル戦隊である。今でこそ希少種になっているが平成初期まで至る所が非電化区間だった。JR大阪駅にもけっこうなディーゼルが来ていた。しかし国鉄車両のデザインは何から何まで渋い。丸みが多く柔らかい色合いをしているのだが渋い。どうやって思いついたのか全然分からないが渋い。人間味がある。

ディーゼル戦隊の中でもとりわけディーゼルの強みを生かしているのが除雪車ラッセルヘッドを付ける方の顔はカニにしか見えず、操車場逆側に見えた顔はエヴァ2号機です。詳しい型番はわかんねえんで公式サイトから確認してください。中学校ぐらいまで鉄にガチハマリしてたのに色気づいたり色褪せたりしてるうちに全部忘れてしまった。

www.tsuyamakan.jp

 

扇形機関車庫の外には「津山運転区」、屋根なし露天の引き込み線があり、回送車輛が休んでいる。非電化区間らしくてディーゼルばかりで、新旧ディーゼルさんが並んでいる(かわいい)

扇形機関車庫から抜け出して操車場に置かれていたのが国鉄肌色のキハ28・キハ58のペア。現役時代を思わせる優美なラインが目を奪う。もっさりしているようで、これが意外にスタイリッシュで、背景の山々と空と合わさると非常に強いコントラストを生んでいた。素敵だ。

砂丘」とか「やまのゆ」「みさき」などと名前が付いているが、急行列車の名称である。国鉄は詩的だった。国鉄という名からして詩がある。国を想う、国を呼ぶと詩になる。だから詩は怖くもある。いやいやそんな。背後の山が大きいですね。山の色と威容が国鉄色との相性を深めているのは、日本が山と海の国であることを体現しているのであって。良いですね。

周りに何もないから鉄道と山が存在感を発揮している。地方の鑑です。ビジネスホテルだけが高くそびえている。あのへんにJR津山駅があります。

扇形機関車庫を振り返ってみたところ。見た目は古いオフィスビルだが中はがらんどうで車輛の居場所なのだ。窓が虹色を帯びている件については後述する。この右側に写っている小さな建物内が展示コーナーになっており、津山の鉄道の歴史が学べます。昔は職員、鉄道員の詰め所や事務所だったのだと思う。

妙にフェミニンな駅員が登場し、ドキドキします。何なんすかアンタ。

手指がだいぶやばい。

ファッション用マネキンに駅員をさせるからすごく非人間的かつエロスを醸すという変なことになっており、これで特殊性癖に目覚めるお子さんがいたら良いですね。みんな開発をすべきなんです。

もう一つ性癖をくすぐるというか特異な資料がありまして、「桃娘(ももむすめ)」の写真。

姿形はどうということもないが名前の漢字の破壊力がある。「桃娘」ですよ。普通なかなか言えないストレートさ。これも詩がありますね。国鉄岡山駅に昭和27年(1952年)から登場した、桃の売り子さんのことです。名前のインパクトで勝ってる。1996年でいったん終了するが2011年に期間限定で復活した。

www.westjr.co.jp

一通り見終わったら「まなびルーム」の売店を見ましょうね。

色々グッズがあって、中でも数が多いのはICOCAの「イコちゃん」。かわいいね。

他にも色々売られていたが忘却した。物欲がないんだよ。かつて鉄道狂いだった幼少期が信じられない。

だが中でも異質の存在を発見した。なんか3D女子がいる!90年代後半あたりの3Dグラフィックめいた、近未来でレトロな女子。また性癖がゆがむんですが。

電車でGOを前に押し出したアート作品というのは良いと思う。ない。非実在の願望的美女が電車(の運転席)とくっ付いて立ってるというむちゃくちゃな欲張りセット、これぞ高度ネオテニー的消費国家ジャパンの美学である。言っててよくわからんけど実際すごい。

 

 

◆津山まなびの鉄道館 / キムスージャ

ようやく本題の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」作品を紹介する。キハだのモハだのDDだのが作品ではない。もう薄々気付いていると思いますが扇形機関車庫の窓ガラスで虹色に光り輝いていたあれが作品である。天然のステンドグラスのように色を帯びていて見る角度で色味が変わるのだ。

「回折光子フィルム」を2,188の窓全てに貼り、太陽光が当たると虹模様の光が生じる。窓に反射した虹色もさることながら、その窓を通って建物内の壁や床へと至った透過光が大きな虹色の円や線を作り出し、眠れる歴史的建築物をアクティブな異空間に転じている。

他国でも歴史的建造物 × 回折光子フィルムによる同シリーズが展開されている。解説では「背景には、韓国伝統の五方色(オバンセク)や五行説が象徴する宇宙の構造を、光という非物質的な素材で表現するという意図がある」と書かれていたが、話の規模が大きすぎたのでもう少し身近なところで捉え直した。自然に中空やあらゆるところに満ち溢れた太陽光と、電気デバイスの液晶面を光に向けて傾けた際に生じる虹色の干渉、すなわち満遍なくありふれて透明化した自然界と、同じくありふれたデジタル界との二つの次元を結ぶ/分かつものとして。ガラス窓の虹色はデジタルを象徴し、それを透過して照らされた床や壁の虹色は自然物理側を象徴する。

 

 

◇JR津山駅周辺(mt × SL)

何かあると思ってJR津山駅にも来てみた。地方ローカル線の主力駅であるから、何かと気になる。駅前は綺麗に再開発がなされ、バスターミナルとタクシーその他のロータリーが整備され、空は広く、異様にすっきりとしている。

駅には「森の芸術祭 晴れの国・岡山」ロゴが連打されている。やり過ぎなぐらい派手にしつこくやらないとアートイベントやってるってみんな気付かないですからね。会期しばらく経って大阪あたりのJR施設内でも見かけるようになった。色・形が淡く上品であるがゆえに数と頻度が大事。

 

あれっSLがいますよ?

しかも格子模様が施されている。あれは作品ではないのか??

学者スキルを備えた武士の銅像は、旧津山藩の武士にして蘭学者箕作阮甫(みつくり・げんぽ)。翻訳で活躍し、日本の近代化に貢献した。SLが霞みます。ちょっとどいててな。 

SLさんは前面の番号が隠されているが、「C11 80」昭和10年・日立)とある。地方路線で活躍した小型種のようだ。

可愛いのは「mt」、みんなお馴染みマスキングテープとコラボしているからだ。これは「森の芸術祭 晴れの国・岡山」と別枠のイベントで、mtを制作している岡山県倉敷市カモ井加工紙とのコラボ企画であった。他にも商業施設「アルネ・津山」でmtのイベントがあったが、そちらは時間がなくて覗きにいけてない。

マステ柄を張り巡らされていて可愛いのだが、漆黒のメタリックなボディに配管が走り、錆や傷が太陽に照らし出されている様もなかなかにいかつく、美しい。可愛い・お洒落を装えばそれだけ本質=近代的いかつさが見えて良い。

 

あとはB'zですね。

え?

津山に縁があるらしく、駅前にめっちゃライヴ告知が掲げてあり、勇ましいのであった。曲が多すぎてファントムとレディナビとゼロとバッコミしか知らない。

 

ついでに駅舎の中も見ておきましょうね。

しっかりリニューアルされている。今や地方ローカル線の駅の方が新しくてお洒落な説。芸術祭と連動して、木の台とか椅子が飾られていた。由来があったと思うが説明文を撮っていないので分かりません。

併設のキオスク的コンビニのお土産コーナーが良いですよ。岡山県なのできびだんごがある。

きびだんご多すぎ問題。どれを食うと真の主に出会えるのだろうか。だんごを食うと永遠の従者となり、身も心も満たされます。

なおこの日は過密スケジュール&「データ上は営業してるはずが閉まってる」という地方の飲食店あるあるで昼飯を食いそびれ、ここで買ったきびだんごを食いつないで体力を何とか保つことができた。いきなり有用。

よく見たらホテルルートイン、城とか砦といった和の建築をしているのか。市の景観条例の縛りがうるさかったんだろうな(※根拠のない邪推です)

 

町中を移動していると、鉄道館で見たようなディーゼル車輛が、普通に在来線として走っているのにはさすがに興奮した。コスパよく機能的に作られた最近のメタリックな車輛と違って、客車に動力を足しただけのようなシンプルさが余白の美を生んでいて、広い空に似合っている。

 

 

津山駅近くの古い店舗跡

JR津山駅の前は再開発でやたら平らで、不純物が取り除かれ、やたらコインパーキングや空き地が目立ったが、とある一角だけは戦後昭和の生活感を残していた。掛かったままの古い看板に見とれていたが、ほぼ全てシャッターが閉まっていて、自重でひしゃげている建物もあり、余命いくばくもないことが知れる。

だが戦後昭和の味わいが何とも素晴らしい。ハト印とか全滅してほしくないなあ。

「寄り添い応援型結婚相談所」だけ看板が異様に新しかった。このように何軒かは生きていて、看板などは何もないが明かりがついていたり、明らかに現役の車が停まっていたりする。まだ住人がいるのだろうか。

 

 

 

つやま自然のふしぎ館 / ソフィア・クレスポ

西日本が誇るブンダーカンマー(驚異の部屋)、つやま自然のふしぎ館も芸術祭の会場である。10年ぶりに来ました。看板がちゃんと新しいのを見ると、個性的なレトロ、珍スポットが人気を集める世の中ですから、地道に客を集め続けてきたものと想像する。

こんな立派な建物だっけ?

 

いや違った。

「森本慶三記念館(旧津山基督教図書館)・歴史民俗館」の側面に貼ってあるだけで、ふしぎ館は逆サイドにある民家みたいなやつです。

これ。

もはや家やん。急に手作りワンダーランド感が出るやん。しかしこんなに小さかったっけ。人間の記憶はあてにならない。

 

「61周年ありがとう」とある。長命だ。びびる。しかし再来できて嬉しいという思いと、厄介なところが会場になったるなという困惑の両方がある。

記憶では尋常でない数の標本・剥製があった。面白かったのに記憶が定かでないのは、単に忘れただけでなく、情報量が多すぎて体系的な理解が途中からできなくなったとも言える。こんな時間のない日に、大丈夫ですかねこれ。いやいやいやいや楽しいですよこれは(※筆者はまだ所要時間を読み誤ってゐます)

入口から既に何かが飽和状態にある。情報量の桁が違うんだよ? この館については別途レポを作成しよう。

 

結果、11時過ぎに入って13時過ぎに出てきた。丸2時間を費やしてしまった。えぇ…。一か所で2時間は明らかに超過イエローカードである。理性のタイムキーパーが職務放棄するぐらい面白かったので良かったんですけれども、結果、ここから先の津山エリア攻略が鬼難度と化するのだった。一日は24時間ではない。8時間だ(地方の展示は9時5時の世界線となっております)

 

肝心の作品:ソフィア・クレスポだが、もう異様な密度でひしめいている「自然」軍団の一角として静かに取り込まれた形となっていて、正直、めちゃくちゃ「普通」だった。

《Critically Extant[危機的な現存]》(2022)は、生物に関する100万枚のオープンソースの画像と約1万種の生物に関する情報によって形成されたAIアルゴリズムを用いて、絶滅危惧種のイメージの生成を試みた作品である。

よく分かるんだが残念ながら生物多様性をガチの物量で叩き込んでくる本館の展示物、生物の肉と骨の群れが、人間の技術「アート」の存在感を押し流してしまう。「自然」の圧に輪をかけて、本館が優れているのが全展示物にしっかり名前をラベルしていたり、生態や希少度の解説をふんだんに盛り込んでいること、しかも手書きに近いし昭和の地球探索的情熱で書かれているので令和の今からすると何かが違う、すなわち人間の原初的な好奇心、知識欲、知りたいと思う衝動をも体現した熱い空間ともなっていて、それらは「現代アート」を吹っ飛ばしてしまう。

だが一方では、ガチ「自然」の剥製標本という物理に対し、真逆の次元にある「学習によるAI画像生成映像」が静かに、悪目立ちするでもなくしれっと紛れ込んでいるところに、本作の面白味はあるかもしれない。「自然」を学習した演算結果としての「ポスト自然」が演算内に開花し発展していくことを感じさせる。

 

 

◆城下スクエア / ジャコモ・ザガネッリ

つやま自然のふしぎ館」を出て、少し城の方に向かうと、明らかに何か取り壊した後のような空き地があり、卓球が行われている。しかし近未来的にシンプルな卓球台だ。おかしい。アートのにおいがする。

めちゃくちゃシンプルで、卓球台ってこういう姿で良かったんやというマイクロ目から鱗現象が。

なぜ卓球台かというと、ここに元々あった「津山国際ホテル」(移転新築のため2019年2月に閉館)の残響:古き良き宿泊・湯上り後の定番行事と、作者のいるドイツでは屋外に公共の卓球台が置かれていることから両者が結びついたものと考えられる。実際満卓でみんなプレイを楽しんでいましたね。

 

 

津山城鶴山公園) / アシム・ワキフ

津山城にも行かされる。主要観光地巡りとアート鑑賞がセットなのは色々とコスパが良い。私は普段、メジャーな観光地をスルーするので、ありがたい企画ではある。時間がないことを除けば(死)。もう死にそうになってゐる。ふしぎ館、ふしぎ館、、

城壁の石の積み上げ方について議論したが謎で終わった。わざわざ緻密に縦横高さの寸法を測って用意するのか、ある程度ランダムに積んで後調整で小片を嵌め込んでいるのか? 壁の角にあたる部分の優美なラインはどうやって作たのか? オリハルコンでぬるぬる切ったんだよ(思考放棄)。あまりに斜辺が綺麗に整いすぎているので、角の部分は入念に計算してカットしていないと無理だと思うのだが、昔の職人はある程度カンと経験でやってのけたのだろうか。

他のアートイベント?らしき設備があってですね。何してたんすか。祭りだなこれは。音響設備とミラーボールが発見されたので津山城討ち入りレイヴの空想に浸りました。でも最近のやつらはEDMで幸せになるからだめだな。

アシム・ワキフ《竹の鼓動》は巨大な構造物で、オブジェとも呼べるし空間でもある。下に潜り込んで中に入れる。竹の柱が獣の足にも見える。

明らかに「撥です」と言わんばかりの平らな竹棒が用意されていて、当然に叩きまくって打ち鳴らすわけです。楽器にもなる。みだりに打ち鳴らしていると次第になんだかくるおしい気持ちになってきて、うっすらと竹さんと意識が合わさっていく。

作者はインドの都市計画建築学校の出身で、竹を用いても日本人が和の意識で扱うのとはまた異なるセンスが発揮されている。和の発想では竹は抑制的というか「侘び寂び」の念を搔き立てる。一方で本作は嵐のように荒ぶるデカ神獣だ。同じ「アジア」と「竹」という組み合わせでも世界観がハチャメチャに異なることは、こうして実体験を重ねる中でしか分からないものだ。Twitter(X)をやっている場合ではない。と投稿している(中毒

 

城の頂上に上がるまでが結構な運動です。武家社会の人達は足腰が発達していたに違いない。はあはあ。城の足元にはホテルがなくて空き地が出来ていて、城のてっぺんもまた天守閣がなくて空き地だらけになっていた。

当たり前だが本来は天守閣があったんすよ。地上5階建て、高さ22mの「層塔型」をしていた。いちど明治7~8年(1874-75)に建物全てが取り壊されたが、昭和11年(1936)に「産業振興博覧会」の呼び物として本来の2/3サイズで天守が再建されたものの、空襲の標的となるおそれから昭和20年(1945)8月に取り壊され、現在に至ると。もうちょっと待っていたら玉音放送だったのに・・・歴史に翻弄された城とでも言おうか。

津山市街の街並みだが、今回の芸術祭で回るエリアの中ではダントツに大きな都市部である。のどかな陽光に溢れた、良い街だ。自然と「ドラえもん」の日常の舞台のように思った。平和だ。

 

13:45。あと3時間ちょい。津山そして奈義、回れるのかこれ。

(´・_・`)

 

つづく。