nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】2024.9/28-11/24「森の芸術祭 晴れの国・岡山」①新見/満奇洞・井倉洞エリア

「森の芸術祭 晴れの国・岡山」、1泊2日でも回り切れませんでした。1日では新見エリア、真庭・蒜山エリアが限界ですわ。まず新見エリアから攻めましょうね。時間がかかりますからね。新見がなぜ時間がかかるのか。洞窟2つがやばい。

 

(  >_<) やばい(楽しい)(時間ない)(やばい)

岡山県は、広い。広くて大きい。そのことを体で分からせられるイベントだ。移動しないといけませんからね。

 

「森の芸術祭 晴れの国・岡山」。この10年で地域のアートイベントが乱立しすぎてわけが分からなくなるのだが、これまで岡山で開催されてきた「岡山芸術交流」とは全く別枠のイベントで、今回が初となる。

 

一通り鑑賞を回ったが、会場の多くは「森」というより岡山の内陸部というだけで、北アルプス国際芸術祭のように「森」を実感する感じでもない。むしろエリアとして、対・瀬戸内海(瀬戸内国際芸術祭)、対・都市部(岡山芸術交流)という他イベントとの位置付けの区別を明らかにしたものだと考えると分かりやすい。

特に、「岡山芸術交流」は岡山市街地にコンパクトにまとまった都市型イベントなのに対し、その真逆というか、「岡山県」の面の広さと、特に中国山地側の地域・地形の多彩さを最大限に活かした広大なイベントとなっている。

中国山地鳥取県との県境に沿って全6エリアが設定されており、東西に跨っている。東の津山駅から西の端の新見市まで高速で1時間かかる。だが高速が使えない箇所の方が多く、新見エリアの中でも2つの洞窟を移動するのに30分かかる。あかんて。この調子では移動だけで日が暮れてしまう。暮れましたよ実際。たった2エリアで。なので岡山観光も併せてやりたい勢は、エリアを絞って見た方がよろしいです。ていうか別日にしましょう。むり。

 

今回は「新見/満奇洞・井倉洞エリア」をレポ。

新見の洞窟会場はオープン時間が8:30と最も早く、全エリアの会場クローズが軒並み17時という本イベントでは30分のアドバンテージが非常にでかい。

まず最も離れた西端へ攻め込み、朝イチで行動開始すれば、少しでも時間稼ぎができるという読み。なおかつ、時間切れで再来することになっても、手前の東側なら関西からアクセスが少しは楽になるという作戦です。この作戦は間違ってはいなかった。

 

なおこの時点では、1日で新見、津山、奈義の3エリアを攻略しようと考えていた。無茶苦茶である。むりどす。結果、津山・奈義エリアを丸々残し、別日で再来することになった。

 

10月某日、前泊で津山のわけのわからんホテルにイン。翌早朝から動き出し、最も早く8:30オープンする「満奇洞」(まきどう)へ駈け込んで少しでも多くの会場を回れるようにした。それでも全然足りなかったのだが…。

 

 

◆満奇洞(まきどう)/蜷川実花 with EiM

満奇洞は洞窟です。洞って名乗ってますからね。さて洞窟なので何もない田舎、というか民家と畑と山しかない。洞窟ですからね。昭和4年に与謝野鉄幹・晶子ペアが訪れて歌を詠んだりしている。あんたらも攻めるねえ。ほっこりしました。ああん。時間が無いというとるやろが。時間がないのに駐車場から入口まで徒歩10分。ああん。

水平に延びた横穴、全長約450m。所要時間30分。

 

「洞窟に蜷川実花の展示」というと「生牡蠣にレモン」ぐらいの精度でもうだいたいの展示イメージが想像できる。あれでしょう、あれがああで、あの、あれ(筆者の脳内には極めて典型的なイメージがあります)。強い色の照明で陰影を激しく出したイメージで勝負してくるような写真で、和の極彩色をぶつけるあれで。著名な作家先生に失礼なのでそういうことは言わない方が良いですよと業界に近しい人に注意されるところまで具体的にイメージができております。うるせえ私は写真界の外にいるんだから(何を言っても良い) なおニナミカ作品、結果的には写真ではなかったのだが、だいたいテイストは想像した通りで、やや意外なアウトプットがなされていた。先生さすがです。

 

洞窟は濃い青の光に満ちていて、しかも何か音がする。自然音に擬態したBGM。洞窟ってこんなドラマチックだったっけ? 劇的な演出に戸惑う。ここは洞窟なんだが。こんなに鮮やかに青い光を当てては地形や鍾乳石うんぬん自然保護・観察に反してあまりに劇場的ではないか? もうこの時点から作品が始まっていると見るべきだろうか。みるべきです。

ドラマティックな、あからさまな異世界に見入ってしまい、歩が進まない。惚れてしまっている。たいへんや。撮影がいそがしいんや。洞窟が陰影に満ちていて、しかも光に色が付いている。濡れた鍾乳石が青く光っているのを素通りできるものか。いやできない。結局洞窟を出るまで1時間かかった。ああん。

 

洞窟の暗い水の中で、ヒガンバナが咲いている。

 

はいきた。自然の植生のはずがない。これは劇場だ。「和」のテイストをパワーでぶちこんで冥界を催させる、これこそ蜷川流の舞台の始まりである。

更に進むとなぜか都会の雑踏、車の走る音、救急車のサイレンが聞こえる。洞窟の先が赤く光っている。きたきたきたきた、蜷川劇場ですわ。大胆に、反対する属性をぶつけて、その場を切り離す。そして自分の世界に場を染め変える。

更に進むと一本道から開けた回廊となる。そこからは赤い世界が広がっている。「和」の盛りで場を押し切る文法。予想では、ドラマティックな照明と合わせて、ものすごく大きく伸ばした写真を掲げて洞窟内に打ち立てるか、あるいは映像を流すだろうと想定していたが、意外にも映像すら無かった。

 

現れたのはヒガンバナの群生。言うまでもなくあの世を表している。橋と岩と暗闇によって現世を覆したあの世が広がっている。

水は完璧な透明で流れがあるので、水面は光を浴びて波紋を作り続ける。黄泉の国ですわ。対してこの場には都市の雑踏・喧騒の音から展開されるアンビエント音楽が響いており、現世―都市空間の裏側に来た感じがする。こういう強引な磁場転換をやってのけるのだから蜷川実花は容赦がない。やっていることは映画作品等と同じで、ベタを堂々とやる。腕力がすごい。先生さすがです。さすがっていうか構想・企画を現実に「やる」力がすごい。やり力。

古風な暴走族が仏教用語の4文字熟語を刺繍した半纏を羽織るのを、文化的かつ豪奢に盛り盛りにしたような、山本寛斎の平成版といった風味を感じた。ヒガンバナと赤い照明ですからね。傾奇者の系譜というか。ギャルじゃない。真にヤンキー文化な気がする。なまじ和の文化・センスを意識して持ってきてるところが。死に最も遠い、腕力と健康に満ちた存在のはずなのに冥界を扱うところなどが。

 

 

◆ふれあいセンター満奇(まき)/杉浦慶侘

洞窟からさほど遠くない所に「ふれあいセンター満奇」、公民館と食堂と物販とステージが合体した施設だ。なぜか半屋外ステージがスペースたっぷりとられていて、虚無が漂っている。中には和室があったりする。多目的だ。

観光案内と現地の特産品販売を兼ねたスペースだ。「千屋牛ラーメン」を購入。チー牛ではない。あんなんよりもっと強い。スープ付きなので2食分なのに箱が大きい。

物販から入ってぐるっとホールを回り込んでいくと、写真作品を立てた展示室に。

 

作品はかなり暗く、外光の差し込む室内とは激しい明暗差が生じる。写されているのは新見地区の山で、大判カメラで夜に撮っているらしい。だが長時間露光につきものの、像の揺れ・ブレや光・色の滲みはなく、暗い中に森は尊厳にも似た気配を湛えて、くっきりと明確な輪郭線を有して写し撮られている。真夜中ではなく夜の明けかける早朝に撮られたものだろうか?

 

作品の制作年が2010-2024と長期に亘るが、どのカットも整っていてフォーマットに乱れがない。一定の指針に基づいて撮られている。ステートメントでは「恐怖と畏怖の対象だった山が実は人工林で、神性が失われたものだと知ったときの驚きが制作のきっかけになった」とある。だが作品には人工的な景色は見当たらず、実に神妙だ。遥か以前からそのままであるような、畏怖を感じさせる「山」の姿を探し求めた結果にも感じられる。

森の何が良いかというとやはり「神」の原型だからだ。理解・把握の及ばない、具体的な事物の集合体からくる抽象性と、様々な要素・概念を全て内に包含した場である。無限、無尽の場に思える。陰影、特に陰が大きな意味を持つ。嗚呼。

 

 

 

井倉洞 / アンリ・サラ

もう一つの洞窟が井倉洞(いくらどう)」で、「満奇洞」とは周囲の地形、世界観からして全く異なる。ちょっと中国の山間のような、険しい岩山に周囲を囲まれ、車道と鉄道が切り立った山の壁面に囲まれている。立体的な奥行きが立ち上がっている。

SLまで置いてる。意味がわからんぞ。テンションあったまってきました~ シュッシュッ

 

「予約されてますか?」

 

祝日の入場は予約が必要だった。え。

一度に入れる観客数が限られているので予約が必要でという。うそやん。そんな細かいところまで見て来てませんねんや(  >_<) あー詰む

 

問い合わせてくれた結果、幸いにも空きがあって入ることができた。あーあぶない。ここで数時間待機とかになったらマジ詰むすよ。こわいこわい。

荷物を預けさせられ、代わりに通信兵のようなバックパックを背負って入ることになる。洞窟内を歩くと場所に連動してライトが光り、音が鳴り、鑑賞者自らが作品の一部となるわけだ。参加と体験の合わせ技です。私、双方向なのであります。私、作品の鑑賞と成立を同時に。ピカ。

高梁川(たかはしがわ)と井倉峡の組み合わせ、雨天で増水した滝が壮大すぎて、どうかしている。この険しさは今まで見てきた「岡山県」の中でも例外的というか、他に類がない。岡山県、自然界の引き出しが多いことを知る。知らないことが多すぎて楽しい。2ヵ所目でこのアートイベントは成功していると確信。

坑道みたいな洞窟がきた。「満奇洞」とはまた世界観が異なる。多彩すぎるだろ岡山。アートが霞む。いいですよ。アートが地元の地形、土地に押し負ける、それこそが地域アートイベント。成功です。

洞窟の構成。腸ですかこれ。全長1,200m、高低差90m、探索時間40分。満奇洞と逆に、狭くて長く、真っ暗で、アップダウンがある。腸を認定。

とにかく狭く、真っ暗なので、ライトで足元注意して歩くようにとガイダンスを受けている。また見どころスポットごとに名称が付いていて、気持ちに余裕があれば「登亀」を確認できるでしょうと。

 

窟の中は魔獣のような鍾乳石の牙と襞である。荒々しく魔々しい。

洞窟がいかつい。生き物に近い。目に映る全てが濡れている。滴り落ちる水。ジャバジャバ、ヂャラヂャラと多量の水が流れ落ちる音が響いていて、足元もせせらぎのようになっている。雨なのもあって水量が多いのか。バチャバチャバチャバチャ・・・目に見えている以上のとんでもない量の水が流れている気がする。それとも反響のせいか。

 

作品の一部であるバックパックからの「音」だが、笛のようなアンビエント音楽めいたものが流れている。音楽なのか空間の音色なのか分からないのがアンビエントだ(ということにしておく、分からないので)。終盤にかけて音楽が変わっていったので、位置で管理されているようだ。そしてライトも連動しているらしく明滅し続けていて、目の前は暗くなったりを繰り返す。

不自然な緑を発見した。暗黒に緑とは?

今回はイベントのため1カ所を除いては洞窟内の照明が全部切られているが、普段は経路上の照明は付きっ放しになっているらしく、光を糧に苔などの植物が繁殖しているのだ。人工的な光合成とは。光なら何でもいいのかあんたら。

 

岩の表情などが素晴らしくて、撮影で立ち止まっていたら作品連動ライトが消えてしまう。ああん。撮影に支障をきたすので、とうとう作品連動を放棄、非常時用ライトに持ち替え、常時点灯させて撮影を続行する。何をしに来たんや私は。いや洞窟というのはすごい表情をしているのですよ。認知を超えてこい。あかん気持ち悪い。サルトルの時間がやってくる。ぐああ。アイムゲリンフォーユゥー。

 

奥へと線的に伸びているだけでなく、縦移動もあり、廃工場のような階段が現れる。自然の奥深くに抱かれながら、その懐中は既に近代化の機械なのだった。マシンポエムを詠め。

「金すだれ」緊張感が途切れる。フォントのせいだ。

しかし漆黒の中で垂直の高い空洞は緊張する。恐怖感がある。横・前後へ広がる暗闇もたいがい怖いが、上下に対して底なしに続く暗闇も別種の不気味さがある。

地下発電所のような鉄の世界。岩が膨れ上がっていつか人間の通り道が塞がれてしまうのではないか。異世界の一部になります。こんなに縦に上っているのは滝があるからです。

落差50mの「地軸の滝」。もうだんだん理解できなくなってきたが、洞窟が滝の下側と、上ってきた階段の高さ分だけ間を空けて上部でもまた続いていたのか。女さんの気持ちと地球さんのやることはよくわかんねえな。自分のこともわかんねえわ。Ado、新曲「わかんねえわ」 ねえよ。

 

探検隊は滝の横に木の杭を打ち付け、足場を作って上へと登っていったという。バケモンですね。探求心が恐怖を超えるのか。

 

昭和35年に調査隊が地軸の滝を登って滝の上に更に美しい鍾乳洞が続いているのを発見し、これを公開するために滝の上へ登る人工のトンネルを造りました」なぜそうなるのかわかんねえな。恐怖や思考停止に飲まれないのが羨ましい。

岩の質が変わり、ヒダや膨らみに満ちた鍾乳石から普通の硬い岩石の壁になっているのは、岩盤の中をごりごり掘っていったからではないか。アビスの掟なので登ると不可逆の変性をきたします。カートリッジの用意を。

新見のにーみん。アビスの奥で業を背負って変形した子供の姿。ア"ーッ。

真っ暗で機械的な階段を上っていたら『メイドインアビス』の世界観も非常に納得がいく。あのような作品世界があるのは当然のことのように思えた。なお歩いてる最中そんなこと1ミリも考えてません。後付けで言ってる。現場ではただただ感嘆と脳汁が溢れていた。

様々な種類の鍾乳石があるので、解説パネルが並んでいる。

洞窟に入って20分が経過。だんだんキリがなく途方もなく長いように感じられてくる。最初テンション跳ねあがってキャッキャしていたのも、Twitter(X)の超ブツ切りな時間感覚に慣れ親しんだ身には、あてなく続く暗く濡れた回廊があまりに長く感じられ、すっかり神経も静まってしまった。観察ポイント「瀬戸の海」なあ。出てくるのはまだ先のようです。もう距離感が全然わからん。

 

再び、登り階段があり、光景はよりカオスで生々しく。美しいというより生き物の原型のようだな。海と岩から命の姿形は生まれたのだ。(ポエム

内臓の内側を即写している気持ちになります。鍾乳洞は内臓である。誇張ではない。ぬらぬらと濡れて光を帯びているし、白い。

そしてやはり照明のあるところは草が生い茂っている。シダ植物、いったいどこから入ってきたのか??? 来場者に胞子が付いていたとか…

「黒い会議」、多数の鍾乳石がせりあがって突起物がぞろぞろと並び、確かに人が群れを成している姿に見える。暗闇に人の群れの気配。こんなもん一人で出会ったら泣くと思います(  >_<)。非日常の興奮が途切れてきて、平時の感覚が戻ってくるにつれて、虚無の宙に投げ出されたような不気味な気分に陥った。やべえ。パニ障のプレ版みたいのが来る。閉じた荒涼によって現実から切り離されたように感じ、ああっ。

知ってる。セカンドインパクト後の南極だこれ。

 

( ´ - ` ) 温泉と男性器にも見えなくはない。

やめろ。

 

バグいことを考えながら歩き、しょうみ疲れてきた。本当に終わりがない。水はずっとザーザージャバジャバ流れて鳴り響いている。虚無の暗闇に閉じ込められたような気分がして亜パニック障害めいてくる。やめてえ。

 

約1時間、ようやく洞窟としての最終ポイント「音の滝」に到着。長い、、、こんなに細くて長い洞窟は初めてだ。

鍾乳石の背後に滝があり、音を楽しんでくださいという。板で仕切られたすぐ先には岩の大きな壁がそびえ、下には水が溜まっていて、確かに滝があるとは思わない。岩壁の下に深い水溜まりができているような状態。そして岩壁に映像が映され、管楽器の音色がひゅらりひゅらりと響いている。映像はレコード盤と針のアップで画角がよく動く。

もう疲れているし時間を使いすぎたので長居はしません。作品が何を言っているのかひとまず置いておいて。作品が置きっぱなしになっている。構わん。自然が偉大なので良いです(なげやり) 多量の水がどこから来てどこへ行くのかの方が問題である。そういえば滝って言うけど目の前の水は流れ落ちていく様子がない。滝ってどこの滝ですかね??? 謎が増えてもうた。

 

回れ右で立ち去ろうと来た道を振り返ると、それは空間を切り裂くような谷底で、照明装置がとんでもない光量を発している。真・地下アイドルになった気分がある。ここは谷底で、隙間で、空がなくて、セクシーで、暗くて、明るくて、水が絶えない…。

地下アイドル

以降は帰り道になり、一気に現実的・機械的な地下道を下っていくのみ。鍾乳洞ではなく普通に岩を掘り抜いた通路なのだと思う。ああやっと現代人に馴染みのある安定した規格的世界にきた。精神が安定します。生の洞窟というのは、怖い。慣れないものは怖いんですよ。

12:07、地上へ。といっても入口からかなり高い位置に出てきた。最初の橋まで階段で下っていく。

入ってから出るまで約1時間10分かかっている。前半の撮影タイムで膨らんだとしても、そもそも道が長く、狭くて登りが多く、階段もあり、短縮のしようがない。異世界監禁ですからね。すごいスポットだった。アートをぶらさげたチョウチンアンコウに思えてきた。提灯アー公。偏差値の低いタームしか思い浮かばず、悶死。

洞窟ラストの「音の滝」ってこの滝の裏側だったのかな?そもそも頂上から流れ落ちてるこの滝の水がどこから来ているのかが謎である。良いスポット、良いアートというのは、触れるたびに謎が増えるのだ。世界は連鎖し拡張され膨張する。もっともらしいことを言っておきます。

 

◆まなびの森 新見図書館/マイケル・リン

他にもあやしい断崖や奇岩などがちらついており、名所珍所を回ろうかと誘惑されたが、新見エリアだけで本当に夕方になってきそうな恐れがあり、急いで移動に切り替えた。本当に焦ってきた。津山エリア鑑賞とかこの時点で無理が確定。

 

新見エリア最後の作品は、中心街の「新見図書館」。会場の規模と作品の規模・点数が全く読めないため、行き当たりばったりでやるしかなく、そもそも私が生煮え計画主義者で、完全にキチッと詰めたプランニングをあまり好まないため、余計にあれです。

JR新見駅。小ぶりだが趣がある。でかい民家のようでいいですね。背景の山がいいんだ。

駅周辺にだいたいの主要施設が密集している。

だが図書館、ホールは新品でいきなり周囲から30年ぐらい時間が進んでいる。よ、よさんがついたんやね。なんの交付税かな。

最近流行の「見せる」図書館、「見せる」本棚。文化は資本として提示することで価値があがりますし魅力が出ますよと。秘して黙して本棚に並べられるだけでは図書館というインフラすら目に入ってこないのだ。葬儀・お寺の料金体系も開示デフォの世界なので、資本的な収支は明示されて初めて価値が見出される。

適当なこと言うてますが図書館の壁にマイケル・リン《スタンダードカラー2024》。アルミニウムにアクリル塗料。日本生まれで台湾・アメリカ育ちの作者、日本離れした色彩感覚の草花は、「新見市でのリサーチ中に訪れた呉服店で店主に見せてもらった草木染染織図鑑(栗山工房 2代目栗山吉三郎[本名 大箭秀次]作)から着想を得た作品」という。和であり和でない。

金沢21世紀美術館にパーマネント作品展示があるという。えっそうなの。

華やかな主砲があればこそ、脇の地味な展示ケースに眼がいくというものです。地域の歴史と文化がおいしい。カタナ!カタナがあります!

「千屋地区に代表される市北部の山間では、良質の砂鉄が産出したことから古くから製鉄が盛んで、太田辰五郎政恭に代表される鉄山師が活躍していたことで知られる」そうすか鉄歴史が。もののけ姫や『宗像教授伝奇考』に繋がるあれです。森と鉄は対峙する?五行でいうと「金剋木」の相克。今回の芸術祭のテーマのウラ面にありそうな話だ。

 

ひるめしを済ませたら急いで東隣の「真庭/蒜山エリア」へ飛びます。あっあっ。

(既に13時。閉館まであと4時間)

 

 

( ◜◡゜)っ つづく