nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【本イベント】2024.9/8「文学フリマ大阪 12」@OMMビル2F

初の文学フリマに行ってみたよ。会場レポ&戦利品報告。

「二次創作・エロ・恋愛、小説、エッセイ、日記、短歌俳句ポエムの類は読まへんから安全だろう」などと油断しきっていたのだが、だめ。だめです。あっあっ。

 

次の予定がある上に、直前までブログ書いてて予定より1時間遅く会場に着いたので、僅か1時間ちょっとしか居られなかった。が、超楽しかったし、かばんが超重くなった。あほ。これ。重いぞ。あかんて。

 

(´・_・`) 重。

 

なんで色々買ってたんやろう。買ったからだ。はい。

直にあれこれ説明されて、各書籍の「良さ」の入口、入射角のヒントを知ると、「ああ!そうやって面白がったらよいのか!」と、買ってしまうんやね。このおもしろ入射角メカニズムを理解した人間がマーケティングにより資本主義社会を制することになっている。知らんわ。私支配される人。覚悟はできてる。じゃあレポしますネ😶

 

 

1.フリマ現場

会場は天満橋のOMMビルで、おけいはん、地下鉄の駅からシームレスに接続されており、くそ暑い中でも快適に会場へ吸い込まれていくのだった。日曜なのにビルに人が多いなと思ったのは間違いではない。暑い。とびきり暑い気がする。遅刻してるからだ。なぜか。ブログ書いてたからだ。ッハァ

 

※直前まで書いていたのがこちら。「VIVO」の一人、丹野章。

www.hyperneko.com

忙しいねんな。地味に忙しい。それは忙しいとは言わないのでは。言うねん。あほ。誰と会話してるんやろう。

 

 

とはいえ思っていたほどには混雑しておらず、非常に常識の範囲内で盛り上がっていた。人は多いが混雑というほどではない。歩いていて狭いところ、前に人が溜まっているブースでは人に当たるぐらい。

今年5月の文学フリマ東京38」が「すごい混雑」「混雑ひどかった」とXで話題になっていたので少々不安だったが、杞憂すわ。何でもかんでもTOKYOは人が多いねん。関西は逆に面積と都市の規模の割に人が少なすぎるんではないかと不安になっている。

 

ブース数だが、公式発表によると「761出店・833ブース」とのこと。

一時間程度で駆け抜けたのだから多くは捨てている。どうやら1/3ぐらいしか見ていない。左端の「い」「う」列、窓側の「ち」列、逆サイドの「た」「そ」「せ」「す」「し」を回った程度。だが十分だ。それだけしか見てないのにカバンが重い。重い。肩の肉がえぐれてもげる。ンもげぅ。

もちろん推しの作家もサークルもないので、適当に歩いて、直感的に「当たり」のゾーンを探すのが一番手っ取り早い。よって地図は見てない。以上。

 

c.bunfree.net

 

やっていくぞ。

 

うわあまあまあきついな(広い)(多い)(多い)

 

(´・_・`) ブース多い。

当たり前や。文フリをなんやと思ってたんや。

 

あたくし文フリ・ヴァージンですから、どうやって見ていったらええのんかわからへんわけどす。歩行速度もわからん。つまり地図とかあっても無意味ぞ。何をしたらええのかがわからへん。交流? しません。話し言葉は、要らねえ。クレカと現金そしてカバンがあればいい。

会場入口からド直進して対岸の窓側に来たけど、通ったゾーンが二次創作系、乳とか谷間とかの露出高めで、ああもう乳はいいんです、bustyは結構どす。初手から「もう私見るもんないかな」等と油断をさらす。油断である。

 

しかし「ち」と「い」の交わる角のあたりを歩いていたら、大学の文芸部などのゾーンに至る。あっ。これはやばい。文学の気配がしますよ。ガチ香りが。複数名が名を連ねた同人誌、雑誌類が出てくると、本当に面白い特集とかがある可能性が。しかも創作でなく、批評・研究系が来ると、やばい。評論はやばいです。無限に買ってしまう恐れがある。あっあっ。

 

多くは創作。まあ大丈夫かな(何が) 現代人の書いたエッセイとか小説ってなんか全然響かないのですよ。なんでですかね。暴力性が足りない。理不尽が足りない。突き抜けた知的変態が足りない。想像力が、奇態が足りない。狂気が足りない。色々要因はある。昭和~平成初期の文学で十分足りてるという説もある。この点は人生の宿題にします。

 

でスカしながら眼ぇ泳がせて探索していたら、

 

「アレ★Club」なる雑誌が。

センサー反応。これはよく見ましょう。チェックポイントは概ね以下のとおり(※個人の感想です)

  • 装丁、デザインがしっかりしている
  • 寄稿者が多彩
  • 特集で著名人やちゃんとした研究者の名前がある
  • 各号で特集テーマがある
  • 同時代性がある
  • 批評性、客観性、あるいは世界がある

 

( ´ - ` ) 多いな。子供を言いなりに支配する母親の気質がある。

まあ概ねチェック項目があってですね。大体当てはまっていることがわかった。これは活きがよい雑誌。もうVol.13まで出ている。

あっあっあっ。檜垣立哉先生の名前があった(Vol.13) この時点で決まりです。これは買いです。アラン・バディウもあるやん(Vol.5)。あ井上明人(Vol.5)。あっ濱野智史(Vol.2)。だめだ。買いです。

 

AmazonではKindle Unlimitedで無料で読めるのと、書店では丸善ジュンク堂で委託販売されていることがわかった。しかし現地で買うのが一番確かな上にめちゃ安い(1冊千円)。

are-club.com

 

( ´ ¬`) 6冊ぐらい買ってしまってこの時点で重い。まだ1軒目なんやぞ。あーあーペース配分。だがこれは(略

 

 

この後、いちいち記録をとっていないが、色々と見て回った。詩や短歌のたぐいはジャンルが違いすぎて逆にチェックが楽だった。また、アートブックフェアのように写真系の怒涛の攻めでズタボロになることもない。精神的にはかなり楽。

楽なんだけども。攻めてくるんやあ。たのしいなあ(泣いている

 

「まとも書房」さんが「労働撲滅運動」をぶちかましており、どうしたらいいんだろうか。労働を促進・推進する機構の一部としてほぼ完成された私には、ニートの方々が部屋の内から綴ったテキスト集がなんともいえなかった。しみるでも響くでもなく、反発でも苛立ちでもない。何といえば…。興味深い、だが折り合わない…それがまた興味深い。彼らは正しい、が…

matomo-shobo.com

 

 

大阪大学SF研究会」。え。あの大学こんなちゃんとしたガチの同人誌作ってたんでしたか(狼狽)(目に見えて狼狽)。あの学校みんな何してるか全然分からんかったけど。そうなn?? やることやってる人はやってたんや。まじか(狼狽)(涙目)(許しを請う数秒前) あー。まじすか。ヒエー。果たされなかった過去が雪崩のようにやってくるのを感じ、私は静かに目を閉じ、埋もれた。

 

ousf.net

 

「もうこれ古いですけど」とか言うてはるのも脳に届いてない感じで2017年のVRゲーム特集を買い、いや私2011年ぐらいで何かが止まってるんです止まってるんです(嗚咽) 今大学に入った人からしたら2017年のVR技術なんて「なつい」んだろうな、その感覚超羨ましい、そういう身体感覚が欲しい。

 

完全におかしくなってきた。呪われているのではないか。文芸にはそういう力があるよね。言葉は全て呪いへの歩道なのだ。はい行くよ次行くから。

 

 

おそらく美大生とコンサルとテレビマン」ブース。旅や地方に関する特集、生き方の雑誌が面白かった。もう少し私が農とか旅とかオーガニックに目覚めたら守備範囲が広がって良いのだが、妙に近未来だの電子だのに囚われていて、はまりきれず、だめだ。自然が好きなくせに丁寧な暮らしとか他者との交流に関心がない。ないねん。※冊子の内容はよかったです。私がだめ。

 

 

「阿素湖素子」ブース。

これはいいぞ。名前はやっぱり吾妻ひでおやけくそ天使」主人公「あそこ・そこ」に由来してる? 吾妻ひでおファンクラブ時代の同人もあったから…

で素晴らしいのが様々な海外旅行、アートイベント体験記を4コマ漫画で描いていること。

非公式で好きで描いているわりに装丁などデザインが完全にブランド化されていて、ゆるいけれどめっちゃちゃんとしてる。そして内容も良くて、アート作品を巡って出会っていくレポを簡潔にまとめている。私のように妙に長々とダラダラ書いてないから読みやすく、行った回はちゃんとまとめてアウトプットしてて、えらいのだ。瀬戸内国際芸術祭、奥能登国際芸術祭、大地の芸術祭、六甲ミーツ・アートが定期的にレポされているのはえらいとしか言いようがない。

 

3冊ほど試し買いしたが、これは凄いなと思い、帰宅後に「メロンブックス」から追加発注した。まとめ力。いいなあ。ほしいわ。

 

 

「地下鉄ペチカ」/ リタ・アリスさん。

「うつくしい地下鉄」シリーズでモスクワの地下鉄駅をめっちゃ特集している。写真が美しいのはさることながら、写真の美に寄っていないのがとても良い。フォトグラファー腕自慢なのではなくて、旧共産圏の荘厳にして文化的な地下鉄駅「建築」空間に対する惚れ込みがあり、その純度が高いのが伝わってくる。

中世の貴族の宮殿遺跡のような大理石とシャンデリアの空間で、地下鉄が停まって乗降客が歩いている。いいなあ。買いです。ばえる写真の時代は終わったんだよ。文化的価値や偏愛がないと写真はだめだ。

metro-pechka.booth.pm

あと最新刊の「別冊うつくしい地下鉄 地下鉄のはこ」が非常につぼった。

モスクワやタシケントの地下鉄にはエスカレーターで客に異常がないかを見守るためだけの監視員ボックスが付いていて、それが良いので撮っているという写真集ZINE。いやあ。目の付け所が素晴らしい。過剰な機能への着眼。そんなところに人件費。いいですなあ。合理的でないところに文化が来るんだよ。

 

 

よりによって筆絵のサムライ。「良将は戦わずして勝つ」などと涼やかにアフォリズムかましてくれる。よせやい。本の運搬は戦いやぞ。あかん重たいわあ。まだ気温30度ゆうに超えてるのになんでこんな重いんや。くろねこサービスあったんかなあ。書いてなかったけどなあ。※宅急便受付ありました。地図をみろ。

 

 

2.戦利品

じゃぁ確認しましょうね。何買ったん。

ぜーぜー。

フリー配布誌が混ざってるのと、左端の縦3冊は後に行った「flotsam zines tour 2024」で買ったZINEです。より分ける元気がない。

 

(参考)この日の夕方に行ったZINE即売会の様子。文学フリマで探索&購買力を使い切っていた感がある。

www.hyperneko.com

 

文学フリマでの購入品は16冊。まあ妥当な気がする。価格もそんなに高くなくてアベレージ1冊千円行かないのでは。活字、しかも薄い本が多かったためか、単価が低い。珍しい。これがアートブックフェアだとガチめの写真集が波状攻撃で終わりがないから、平均1冊3千円を超えてくるのだ。こわ。

 

さて買ったけど、これらを読破・読了しようなどという積りは毛頭ないわけですが(ないんかい)、薄い本が多いので自然と読み切れる気がします。結果論すぎる。いや計算のうちです。

 

「季刊性癖」、冗談抜きで本当に特殊性癖や特殊な趣味・偏愛を特集した薄い本で、フリーペーパー・広告冊子ぐらいの薄さしかない(Vol.47,57は8ページ、Vol.51は12ページ)。

 

しかし、内容は十分。

もう少し売っていたが、自分が読めそうなのが2冊と、新刊1冊(Vol.57)は無料配布でいただいた。他のはちょっと遠慮せざるを得なかった。なんせ生理的な部分に直撃するコンテンツなのだ。

内容は忘れたが見本チェックしつつ説明聴いてたら、あとのナンバーは読めそうになかったので断念。私は生理的、身体的に強いコンテンツは苦手なのだ。具体的には排泄物や血液、体液、傷、身体拡張など。意外と弱点は多い。

それでも「おしっこ・尿道探究家Q&A」だの「ドールでリョナ・死体作品を撮り続ける職人」だの全然興味はないのだが何故か無視できず、「天才特殊AV監督太田みぎわ10000字インタビュー」は大昔ロッキンオンジャパンで華々しく打ち出されていた「浜崎あゆみ1万字インタビュー」企画の記憶をブチ破って上書き更新するのに不可欠にほかならず、「掃除機でスカートを吸引することに性的興奮を覚える男11問11答」はとうに文学の領域であるから、由紀夫みてるかー、あんたの憂えた国の姿が今ここに、いいですね、憂えども憂えども現在は更新され、人は皆、己の譲れないもののために生きるのだ。

なんなんだよこれは。『冷蔵庫いもーとほーる』「※妹を冷蔵庫に閉じ込める作品」って。AVですらないAVを撮る監督が紹介されていて混乱しかない。こうなった/こうならなかった分岐点がどこにあったのか。憂国だ。こんなの由紀夫に見せられない。

 

 

このへんの書も見ていきましょうね。

 

 

「地下鉄ペチカ」/ リタ・アリスさんのモスクワ、タシケント地下鉄特集は前述の通り、普通に良い。

現地ガイド本としての効能もある。地下鉄情報が詳しいのだ。地球の歩き方かと思うような始まり方をするが中身は美しき地下鉄の宮殿である。旧共産圏、イデオロギーは、確かに滅びぬ「美」を持っていた。

 

「地下鉄のはこ」、いいですね、説明を受けるまではエスカレーター見張りの「はこ」がテーマとすら気付かなかった。静かにして雄弁な写真。見事だ。写真が「美」を自称していない。そもそもの写されている建築空間自体が十分に美しいのだ。そもそもの美しさについて作者は自覚的なので、良い写真となっている。

 

 

亥辰舎さん「クリエイターの為の国家辞典」は面白いぞ。

マイナーでアナーキーでマニアックで、どこかフィクション、遊戯にすら覚えるような実在の「国家」が特集されている。知識欲をくすぐるまとめ本だ。wikiを渡り歩くよりも効率よく珍なる国家を探検できる。

すご。クリエイターの設定資料向けですと説明を受けた。人気シリーズとしてもう1点、「クリエイターの為の宝石辞典」も積まれていた。国家と宝石、空想の生き物。なぜ人は創作においてそれらを用いるのか。これは人類の組織化と進化において(略

 

ishinsha.com

 

 

労働撲滅を謳う「まとも書房」さんとこで貰ったフリー誌「それいけアンチワークマン!」いいなあ。テキスト集はどうしても説教ぽくなるが、漫画になると和らぐ。しかし現世・令和は地獄への道が綺麗に舗装されていて、掘り返したり瓦礫を投げたりできないように固められている。地獄とは?無論、能力主義・自己責任論・経営者意識とセットになった資本主義社会だ。わあい。

 

 

京都を拠点とするパブリッシャー「ANTENNA」さんが送る「OUT OF SIGHT!!!」Vol.3。目の前でVol.1が売れてしまうというポカをやり悲しみがあれする。絶対あれ在庫僅少レアだったでしょ。

カルチャーと旅の雑誌か、STUDIO VOICEをもっと特定のテーマでじっくり煮詰めたような? coyoteよりも具体的な情報が集められた雑誌。これは良いかもしれない、Vol.1は「京都と音楽と、この10年」、Vol.2は「アジアの映画と、その湿度」、そしてVol.3は「地域と芸術祭、あの前後」。一貫性があるようでないようであるような、分からないけどあるんだよ、これらのテーマだけで旅に出ている感じがしてくる。

私の試し買いしたVol.3は台湾の芸術祭を特集しているが、なんと編集部がチョイスするだけでも12もの芸術祭がある。やべえ台湾って面白い世界なのではないか(※筆者はまだ行ったことがありません) 面白そう、誰か連れて行ってください◎ あーでも一人になりたい(我儘

kyotoantenna.theshop.jp

 

 

このへんも紹介していこうね。

 

会場レポでも推したとおり、「阿素湖素子」の旅レポ、芸術祭レポの四コマ漫画が実に簡潔にして的確で素晴らしい。もう半分公式アイテムだろこれ…。

飯川雄大「デコレータークラブ」、猫の小林さんが!

それだけで買う理由になってしまうわ。おそるべき小林さん。全国どこでもあらわれる。

私、色々行ってる。瀬戸芸も行った、六甲ミーツ・アートも行った、大地の芸術祭も・・・だがどれも満足にブログに書き起こすことなく、全ては過ぎ去っていってしまった!私は何を見て何処を歩いていたのだろうか。記憶はなく、写真だけが残っている。だからこうやって体験を素早く形にし、他者に伝える術を羨ましいと思う。

 

あああ~いいなあ~~作品だけじゃなくて宿とか食べたものとか全部記録したい、全部全部記録したい。理想的だ。

 

さて大阪大学SF研究会」が世に送りし同人誌、これが一番攻撃力があるかもしれない説。大学の教授らにテーマに即した研究インタビューしてるし、旬の書籍、マンガ、アニメ、ゲームのレビューを載せて情報の網を張っている。指でページをめくれば次々にジャンルを越境して情報や言説が高密度で飛び込んでくるのは、紙メディアがWebに勝るところだ。熟読・理解しなくても楽しい。

NieRまで! これリアルタイムでプレイしたかったなー

 

VRはすごいけどやっぱり酔うし、そんな不自由で不慣れなもんを自宅で使おうとは思えなかったんよな。youtube見てるだけで十分になってしまうんすわ。アートイベント時にちょろっと体験する程度の人生。でやっぱり知りたいのは知りたくてですね。情報、活字で穴埋めしようという欲望が湧くわけです。

阪大SFシリーズ集めようかな…(危険

 

 

 

最後に紹介するのは、現地まとめ買いしてしまった「アレ★Club」の同人雑誌「アレ」シリーズ。阪大SF研と同様、ジャケからしてしっかりしてるから信頼できる。実際、目玉企画で取り上げている有識者が良い。

 

「アレ Vol.13」檜垣立哉インタビュー「競馬から考える、偶然性と向き合うこと」が良くてですね。氏の大学時代の西洋哲学の潮流が非常に面白く、「当時はドゥルーズデリダが現在まで残るような古典になるかどうかはまだ分からなかったので、その意味ではパースペクティブは今とは異なっていました」「今でこそフーコーは『生権力』の概念が人文・社会科学で当たり前のように扱われていますが、当時はまだ日本に紹介されたばかりだったし、『何を言っているのか全然分からん』という人も少なくありませんでした」と。うへ~~。そうだったんすか~。

後半の競馬の話になると哲学より断然全くついていけなくてですね、先生すごいですね、私の人生に足りなかったのは知性と暴力そして「賭け」だったようにおもいますね。ダービー。

 

「アレ Vol.9」古川智彬「サイリウムを振るドゥルーズ アイドルにおける「マイナー性への生成変化」について」」も面白い。2010年代に何が起きていたか、やはりアイドルはメンタリティでも経済性でも現象そのものとしても欠かせない。写真家、写真界隈にばかり目を向けていると3.11がもたらしたテーマ性の転換、都市文化への反省、語ることの当事者性の重要性にばかり意識がいってしまうが、世の中が皆、内省的に当事者性、地域性、地元なるもの、裏・東京的な政治的な位置関係ばかり意識していたわけではない。

あの時、日本には、アイドルがいたのだった。全然興味なかったが・・・。

本稿に指摘するように「『アーティスト』でも『操り人形』でもないアイドル」なる存在が現れたこと、その中身としては「全面的に受動的でもなければ能動的でもない、絶えず他のアクターと相互に作用してネットワークを形成するアクターとしてのアイドル」という捉え方が必要になる…と。そういうことを考えるのが煩わしくて当時の私は登山を繰り返していた。10年前を振り返るとしますか。。

 

同巻の次のコーナー、市川遊佐「ラカニアン・アジャイル ―「四つのディスクール」から考える中間集団論/組織論としての「スクラム」」も興味深い。まだ全然読めていないが、ラカン精神分析の議論をITエンジニアリングの立場から応用して「私たちが発した言葉が持つ、私たち自身の知らない再帰的な力に気付く」ための体系的な方法を構築しようと試みる論考という。おもしれえ~~。

が、なんかめちゃくちゃ文章が長くて、75ページ近くある。なにこれ??ちょっと手に負えないのでラカン休憩どす。

 

というわけで「文学フリマ大阪」でした。

ぜー ( ´ ¬`)