nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R5.3/16~3/26 森島善則「unreality flows」@galleryMain

展示告知DM、SNS投稿のサムネ画像を見て、デジタル調の絵画作品だと思い込んでいたが、実は川面に反射した光景の「写真」なのだった。つまり川面の揺れと刻みの反復には、「写真」を逸する質があるらしかった。

【会期】R5.3/16~3/26

 

見ての通り、会場記録の写真では「写真作品」の複写とは思えない描写であり、鏡面や金属面に描かれた油絵のようなヴィジョンを示している。抽象的で、作為的でなく、しかしベースにあった何らかの「形」が崩れている、あるいは逆に「形」に向かおうとしているところである、そのような不定形の謎を巡る妙味がある。

 

距離を置いても至近距離で各部を見つめても、本作は「写真」離れした像である。

「私は川沿いを歩き、川の写真を撮る。川面を見るとさまざまな色のカタチ作るモノの線や面が歪んで見える。」ステートメント冒頭から書かれている通り、様々な物・光景が川面に反射し映り込んでいる様を撮った作品である。不可思議なイメージに反して制作手法は非常にストレートな「写真」であることに驚かされる。写真ぽく見えないのは、紙の質感、プリントの質感も大いに影響しているかも知れないが、ここでは本質的ではない。構造自体だ。

「写真」とは何かというと、機能・性質的な側面から言えば、まずは外界の光学的な複製・記録性だろう。それに伴い、被写体が何らかの指示対象を持つこと。次いで挙げるなら、画面内にそうした文法構造を有し、被写体と撮り手、あるいは鑑賞者との間に物語や叙述関係を有すること。

本作はそのいずれもを逸し、平面的で、形が失われて断片的で、オール・オーヴァーで、それ自体は照応関係も意味も持たない像が写されている。本来は「風景の乱反射する川面」という被写体―外界との照応関係があるのだが、揺れ動き続ける川面の波が作り出す像は「外界」の風景そのものでも「川面」自体でもない、第3のイメージである。それを本作では「絵画」になぞらえてクローズアップしている。

絵画との違い(あるいは共通項)は、作者の作為や手技の外側にあることだ。そうした効果を企図して制作される絵画作品も多いのだが、本作では川・水面、その揺れ、川のある場所=風景、それらを包み明暗などを決める時間帯や気候、といった諸要件が全て作者の外側にあり、計算(逆算)の埒外であることが、絵画や彫刻との違いであり、「写真」そのものであると言えよう。

 

絵画的イメージを備えた写真、絵画になろうとする写真。

アンドレアス・グルスキーの作品にも水面に反射する像を撮ったものがあるが、本作はより絵画調を意識しており、画面内の構成要素を絵画へと擬態している。

 

展示後半では、写真から色の形をトレースした模様を元に、アクリル絵具で描いたイラストが提示されている。写真に写った中身を絵画手法へ置換するとは、本作はやはり、カメラ・写真機能を用いて描いた「絵画」であるようだ。しかし絵具と手作業で出力されたイメージは、写真作品に比べるとかなり優しく、穏やかだ。「写真」がいかにコントロール不能なものを湛えているかが分かって面白かった。

なお作者の作品は「KYOTOGRAPHIE」サテライト展示イベント「KG+」の2019年時に、「ANEWAL Gallery」にて展示されていたと知った。移転前は京都の西陣織会館のあたりにあったようで、日程の都合で観に行けてなかったらしい。今回観に行っておいてよかった。

 

 

( ´ - ` ) 完。