nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R4.11/12~12/25「Sense Island-感覚の島-暗闇の美術島 2022」@猿島、横須賀

夜の無人島「猿島内に置かれたアート作品を、渡されたライトで足元を照らしながら鑑賞して回る企画。いやあそういうの大好きやよ。なんと写真家の参加もかなり多い。やった。

だがしかし本企画の主眼は、単に「アート作品を見せる」というより「デジタルデトックスにより人間本来の間隔を呼びさまして、アートをより豊かに感じる」ことだった。いかん!スマホ・カメラが封印される!作品の記録ができない! 解毒。うおお。

 

 

猿島三浦半島の真ん中あたり、横須賀の三笠ターミナルから船で10分。近くて未知の無人島にGoである。渋谷で合流した我々は高速に乗って横須賀へ向かう。うちの地元(関西)には全く近くないので「近くて」というのは全く間違いというか場違いであるが、この横須賀に車を乗りつけている現在の私における場の設定としては「近くて未知」なのである。このとき「私」はどこに所属する存在であるか答えよ。やばい。めんどくせえ。感覚の島は既に始まっている。キャッキャッ。

 

ツアーは、19:00の船で猿島に渡り、21:30の船で戻ってくる。現地滞在は2時間半ほどである。

私は現地で体当たりで楽しむ性質ゆえ、今回も事前情報をあまり入れないようにしていた。真っ黒な、闇をデザインしたWebサイトや広報物から私がイメージしていたのは、まさに闇の探索、「ろくすっぽ照明も来てない真夜中の無人島、あちこちに置かれたアート作品を巡ってライトを手に鑑賞者が手探りの探索を行う」というものだった。キャッキャッ。結果、一部は当たりで大まかには違っていた。

 

ちなみにこのツアー、廃墟や珍スポット旅で毎度お馴染みの仲間・小唄氏が誘ってくれたもので、私が自分で見つけたものではない。彼の手柄である。まあ関西で生きてても関東、しかも横須賀の情報なんかチェックしてない。一人で行くにはどうもね。増幅・共鳴役の共犯者が必要である。誘ってください◎

しかし関東ってアート系の展示もイベントも桁違いに多いですね。多いなあ~。多(羨望の声)。京阪神にはない。あるけど桁が違う。くそっ格差社会だ。車を飛ばしてくれ。ブウー。憤りながら、船着き場の三笠公園、三笠ターミナルへ車を飛ばします(小唄氏が)。ブウーー。

 

 

◆会場:横須賀駅周辺/三笠ターミナル

船が19時発のところ、1時間近く早く着いたので、コンビニもどき商店(トモエ堂)でヨシキドリンク(リアルゴールド × Yoshikiのアレ)を買ったり軽食を食って準備をします。よしきの力を得て芸術を解するんや。グビッグビッ。500mlも要らんかった。ウェー。

三笠ターミナル入口。かなり新しい建物。1階は船乗り場への接続拠点となっていて横須賀名物の飲食物土産物が売っている。2階は猿島や第二海保の紹介コーナー。土産物の海軍カレーはあるけどその場で食える軽食とか自販機がないんだな。海軍カレーはいっぱいあります。

きれいなTSUTAYA感があります本屋っぽいよね。パンフです。横須賀推しの。情報&土産物コーナーになっている。

 

会場マップを見ると、なんか作品が多い。番号が20もある。これは取りこぼしのないように回らないとまずいな。作戦を練ります。いや作戦ていうか、島内はほぼ一本道であまり自由に歩き回れないようだ。作戦いらねえ。しかもここで初めて「この企画の主旨はデジタルデトックス」「猿島に上陸したらスマホ類を封印される」と知る。やべえ作戦どころじゃなかった。肉弾戦っだぉ。おっおっ。メモ帳に感想手書きするしかない。暗闇でそんなことできるんかい。ぉっおっ。

あれ?

ここに作品あるやん。うそやん

 

( ´ - ` ) どこすか。

 

 

【No.2】小山泰介《drifts》

 

( ´ - ` ) まさかの窓。窓の色もやもやが作品だったとは( ◜◡゜) なんとなく特徴的だと思ってたけどやはり作品。係員に聞いて初めて気付いた。

 

あーー。外から見たら明瞭でした。海中の夢のようですね。うつつは夢。色が色々漂っている。やばい日本語があやうい。解説によれば「リサーチの過程で横須賀から久里浜までの浜辺や海岸を巡り、数日間のビーチコーミングで約5㎏のシーグラスを採集、その表面に刻まれた擦過の記憶を撮影した」ものだという。なるほど。

海岸に打ち上げられてる、色とりどりの、角の丸くなったガラス片。

 

( ´ - ` ) ・・・。 

 

答えを知らない方が想像の幅が広かったかな。。。作品を観てる時点では何も知らなかったので、海中を舞い泳ぐ魚をピント合わせず撮った写真のように見えた。あるいはプラスチック片・・・。

 

おや。

何組もの乗客が集まってゐた。行くんだな? みんな、夜の無人島に行くんだな。やるのか?やりあうのですか?? あっあっ(※筆者の脳内では『バトルロワイヤル』等の典型例が渦巻いてゐます。あっあっ。)

 

 

◆乗船~猿島

あっあっ。のる。のります。

桟橋を渡ると即、室内席か展望席の選択が待っています。もう若くないんで、こんな真冬に吹きっさらしの2階展望席に座るのきついなーと思いつつも、いつもの癖でスッと2階にいってしまった。冬山登山装備、超暖かいダウンジャケットが活躍します。寒い。

 

横須賀の岸は光輝いています。寒い。こんなにビルや工場が集まっているのか。やばいここ都会ですわ。ここ都会や。うわあ。きらめくビル。対比的に海は暗く、闇を湛えていて、都市の電光をより一層強く引き立てます。うわあ。既に作品は始まっている。私は都市の一部なのか。自立した主体なのか。せやな。そうですわ。

 

ものの7~8分で猿島が見えてきました。近いしかっこいいし黒い。夜の海とは異なる密度の「黒」が視界のど真ん中に鎮座している。黒い。いいぞ無人島。感覚が研ぎ澄まされ、黒くなります。語弊があるな。

 

19:10、接岸。猿島」の姿が目の前に。肉ぽくてまがまがしい(誉め言葉)。切り立った崖から成る岩の島である。後に島内を歩き回ったが、あれらの先が全部崖だったのか。逃げ場のない島である。さあこれから○し合いを(バトロワ

 

 

猿島/「感覚の島」入場

船から下りて桟橋を渡ると、異界としての「感覚の島」へ上陸することになります。わあい。看板一つで盛り上がる。ただでは帰らせてもらえない感のこれ。デザインの力である。デザインが澄まされているから感覚が率いられて澄まされるのだ。つまり「私」とはデザインに付随して後からやってくるものなのか? いかん。闇を摂取せねば。

 

◇【No.04】齋藤精一《JIKU #004_v2022 SARUSHIMA》

あっ。このビーム。これ知ってるこれ。覚えてます。奈良の奥地、洞川温泉の夜に見ました。あれは印象的だった。深い山と川しかない場所で闇を貫くビームは、闇の深さをより掘り下げた。今作も導きがある。この島が特別な場だということがわかる。ビームは真っ暗な山の上から海にめがけて下りて行ってます、魚の産卵数が増えたりしますか。しません。

 

人めっちゃおる。えっ。おるやん人(倒置法)。真っ暗な無人島と聞いてきたのだが(※筆者の過度な期待です)、いこいの場になったる。なんだなんだほのヴぉのしておるぞこれは(狼狽)。言うまでもなく前の回のツアーを終えたお客様方々である。ここで夜明かす人いますか?いませんか?いません。

ぐだぐだ言いながら係員に牽引されていきます。ツアーは始まっているが鑑賞はまだです。爆破装置のついた首輪と武器を配られるんや。いらん方向に感覚が澄まされておる。

ビジターセンターみたいなちょっと広い部屋に集められ、ここで爆弾入りの首輪、いや。注意事項やら説明を聞くなどして備えます。なんか施設が立派なんだが。この島、もしかしてめちゃくちゃお金かかってませんか???普通の無人島ではない。保全されたアトラクションとしての無人島・・・人工が満ちている。保護し保護される人工である。ここで活かされる「感覚」とは何か。私は。おお。

 

実際、猿島はめちゃめちゃに手が入っていて、観光サイボーグ無人島である。

sarushima.jp

もう見てこのいかつい整備。想像と全然違ってて足元が完璧に舗装されている。旧日本軍が太平洋戦争の要衝として大砲を置いていたとはいえ、木の板とレンガを段差なく滑らかに敷き詰めた路面がすごい。左右はレンガが積まれた要塞である。快適であると同時に戦時遺構としての姿を保全されておる。これはまた明るい時に再来すべき島である。

 

そしてお待ちかね、デジタルデトックスのためのスマホ「封印」の儀。

 

リアル封。「没収」ではなく「封印」、大きな封筒を配られて全員スマホ類を封入。封の糊付けをしてから係員の確認を受けて、自分で持ち歩きます。緊急時は封を開けて℡。緊急があるとすれば遺構に飛び込むとか崖から飛び降りるとか。自制心を保つやう努力します。うへえ。

 

 

猿島:ツアー開始、鑑賞(No.20→13)

かくして闇夜のツアーは始まった。浮かれていて参加人数を勘定するのさえ忘れていたが、10組・計20人ぐらいはいた。ここから先の撮影はないので公式サイト情報とうろ覚えの感触でお伝えします。

 

まず地図がこれ。

【No.20】からスタート。ええ・・・いつのまにか島のど真ん中やん。。桟橋~管理棟~太い道を通って辿り着いたのは島中腹のトンネルだったようだ。集団行動でガイドに率いられていると現在地を見ようとしなくなるのだった。ツアーのメリデメは表裏一体である。感覚がっ。閉じたるぁっっ。喜怒哀楽がはげしい。

ツアー全体のルートとしては、【No.20】からのNo.19~17、13を見つつ、地図の左端を回って、島の上の細い道で作品を回りつつ、また太い道で管理棟方面に帰ってくる、左回り周回コースとなります。はい。

 

 

個々の作品の解説と現地の写真はこちら「ArtSticker」に掲載されており、作品の現地での状況が分かる事実上唯一の資料となっている。以下のレポはこれ見ながら追ってください。プレス枠で入りたかった。

artsticker.app

 

◇【No.20】石毛健太《コウモリの会話》

ライトと音声デバイスを渡され、トンネルに入るとナレーションが聞こえる。若い男の人の声が、コウモリについて語っているらしい、声が聞こえては、途切れたりする。アーチを描くトンネルで反響し、周囲のツアー者らのデバイスから同じように流れ出す音声と混ざり、「これ梅田の地下道やないか」わああわああとこだましている。もうわけがわからなくなっていた。わああ。「どうもコウモリの生態について語ってるやうですよ」「梅田やあああ」わああ。

 

いいトンネルでした。

トンネルを出て広場みたいなところから基本的に自由行動スタート。とはいえ、歩ける場所は全て整備された歩道のみ、かつ要所にスタッフ配置なので、無人島と言いながらいつでも人がおり、しっかり管理されている。ううむ困った。

我々の目の前の壁には大きな映像が投影されている。「人がはけるまで待ちませんか」作戦いいですね。映像を見てたらおのづから人が減っていくであろう。

 

◇【No.17】中村公輔+中村寛+原田祐馬《OFF LIMIT》

スナップ写真が左右に2枚並んだスライドショー、それにナレーションが加わり、横須賀の街で見られる「OFF LIMIT」=立入禁止の看板について語られていく。米軍の占領で基地の街となった横須賀、しかし立入禁止を掲げたのは揉め事を起こさないようにと米軍側の配慮によるものだったという。また釣りを通じて米軍兵から地元民へルアーとリールが伝わったという交流の歴史も語られた。

おっ。いつものアートイベントぽくなってきた。地元の歴史や住民のリサーチ。定番ですね。スナップ写真をもっと見たかったが先に進むことに。私には記憶力がないので何の写真があったかもう分かりませんが、「OFF LIMIT」の看板の貼られた場所の写真などがありました。

 

少し歩いたところに旧施設の部屋?倉庫?があり、そこが次の作品スポットになっている。金網越しに部屋の中で投影される作品を鑑賞する。Kana Ami氏、あかん邪魔やで・・・1組ずつしか見られん・・・。和歌山県友ヶ島」みたいに部屋に直接入らせてくれたらいいのだが、ここ猿島は管理が厳しい。

 

◇【No.18】梅沢英樹《Unseen Glimmers》

暗闇の中に写真があるらしい、四角形が見える。金網の隙間からライトを潜り込ませて 照らすと、不定形の被写体の像が現れる。それは肉体の一部なのか、動物か、植物か、何色なのか、強いライトと暗闇で像は溶けながら実体を掴みかねる。上へと延びる肉感的な曲線が艶めかしい。

夜の猿島で撮影されたものと、横須賀の博物館が収蔵する植物標本などを組み合わせたイメージだということだ。現地の生きたものと、既に生きていないものとの組み合わせ。また島や海中で録音した音やそれを基にしたサウンドが流れている。残念ながら金網の外で疎外されているので、なんか鳴ってるなーとは思っていたがそれらを一体的に体感することがあまり出来なかった。おいKana Ami氏(怒。

 

◇【No.19】村田啓《ALL I CAN SEE》

大小2つのイメージが投影されている、それが何か分からなかった。横須賀で撮影したスナップを組み合わせている。スライドショーで移り変わっていく。何か分からないイメージというのは、見ていて確かにその色と形と質感を脳が受け止めているにも関わらず、それを受け止める単語・語彙がない(私にも一般的な言葉の世界の側にも)ために誰の記憶にも所属しないということが起きるのだろう。抽象的と言い切るには手元にデータがない。私が見ているのは遺構の壁面の襞か、スナップ写真に写された凹凸か、投影の光の波なのか。

 

◇【No.13】川島崇志《蜜柑とⅣ番》

監獄のような遺構の部屋の先に小さい「第2トンネル」があり、その手前からトンネルの中にかけて川島の写真作品は1枚ずつ置かれているのだが、これは最後まで謎であった。みかん。みかんの写真である。

 

( ´ - ` ) 青々としたみかん畑のみかん。

 

 

( ´ ¬`) ???

頭がみかんでした。立て看板4枚続いてみかん。そして最後の一枚を終えて向こう側に行くと、ルートとしては閉鎖されている(本来は自由に行き来できるが今回のツアーではルートを絞り込んである)。引き返してくると写真の裏面に黒地に白で「Ⅳ」と書いてある。え??? なにこれ。米軍の暗号!? 横須賀はみかんの産地らしいので、何か関係がありそうですね。

 

ここで【No.17】・スライドショー作品の方へ引き返し、その奥にある別の道を辿って砲台跡を回るルートをいきます。まず島の南西、「砲台跡2」と更に先の「砲台跡1」に向かいます。やっと島内自由散策っぽくなったが、ほぼ1本道で客なりスタッフなり必ず誰かと出くわします。スマホは封じているのに孤独もない。何もない真っ暗な「砲台跡2」上でくるくる回ります。暗闇レッスン。

 

 

◇【No.16】オウ・シャオハン《Life in the Moonlight》

島の南西端、「砲台跡1」の曲面に投影されるスライドショーを上から眺め下ろします。

異形の博物学。空想と奇想の自然界。博物館に収蔵された標本を撮影したであろうタコやカニイカ、魚らの姿の写真が次々に写し出される。異形の存在としての体や顔の歪み、うねりが次々に登場するが、前衛表現ではなく水族館や博物館のホルマリンや乾燥標本の形態である。蝉が羽を広げた姿は印象に残った。なぜ印象か。自然の形態を学術的・客観的に写し出したものでもない。理性の合間を縫って滑り込み回り込んでくる幻夢そのものだ。人は覚醒しながら夢を見るのか。伝達物質の多寡ではなく、意識のネットワークに自然物の造形という予期せぬものが干渉することで、夢に似たものへ引き込まれる。

 

 

ガサッ。

 

(  ╹◡╹)?はい?

 

 

ガサッ  ガサガ  gサ ッ

 

 

(  ╹◡╹)ノ なんかおるやろでてこい

 

「ガサッ」おる。何かがおる。何かがおるんや。おるけど姿が見えん。リスか。いやリスは地を這わん。迷い込んだハト、スズメか?ネズミ? 外来種のあかんやつか? 何かが確実におるんや。「ガサガサッ」 おるーーー。わああ。

(※ネズミでした)

 

道を戻って、「砲台跡3」「砲台跡4」が並ぶところに出ました。あっ映像があります。

 

 

◇【No.14】森田友希《裏庭》

二つの砲台跡に大きなスクリーンを張り、映像を展開する。その場でメモを取ったが字が判読できない上に断片的すぎて何が映されていたか辿ることができない。後の散策にどのぐらい時間が掛かるか読めなかったため短時間しか観ていないので残念な結果となった。

解説によれば、作者の兄が2006年、1ヵ月半ほど失踪した時の断片的な記憶を辿る作品だという。失踪した兄が辿り着いた横須賀の海で見たもの、兄を横須賀へ向かわせたものを探るものだという。

reminders-project.org

調べると作者は「Reminders Photography Stronghold」で2017年に写真集を発刊し、翌年に個展を開催、統合失調症の兄が見ていた眼差しの先を写真によって表そうとしたようだ。今回の作品とは別物だが根底のモチーフは共通している。後から関連について考えようにも現地で記録できなかったのは痛い。いうても過去作も見てないんで比較できませんが。

 

ここで我々はテンションが上振れしていて、映像もそこそこに分かれ道に浮足立ち、体を動かして探索を進めることに夢中になったのであった。完。

「こっちはメインルートだからこっちのサブルートを先に攻略しましょう」この判断は冴えていたと思ったが、全く逆でした。島の北西の端にある作品【No.15】中山ゆめお《彼らのすみか、私たちのすみか》を飛ばしてしまった。あーあー。

 

階段を上り下りし、遺構に囲まれた道を進む、まったくこれはリアルRPGです。こういう島にはゲームと現実の区別見境のない10代、20代前半のうちに来るべきです。現実こそが大いなるゲームであると。あっ、あっ。陶酔がくる。これはRPGではない。そしたらば序盤で「みかん」写真4連打を通り抜けた先の通路に出くわします。ここで本来は合流するのか。ここでは立入禁止の札。スタッフが来場者の安全管理をできるようルートは定められている。

けっこう歩いている。明らかに本線ルートである。登りが多い。階段、階段、展望台へ向かっているようだ。いつしか人に会わなくなった。こうでなくてはいかん。無人島では人と会ってはいけない。出会うべきは無人の建築物、廃墟。半分壊れた円筒状の白い建物が見えてきた。光っている。

光を湛えているのは4人の作家の作品である。

 

◇【No.9】小山泰介《NONAGON PHOTON YOKOSUKA》

◇【No.10】Ryu Ika《New Era!》

◇【No.11】山本華《The Naval Spectacle (Yokosuka, Japan)》

◇【No.12】川島崇志《暗黙の学習》

1階部分は川島崇志が占め、2階部分は小山泰介、Ryu Ika、山本華の混成空間となっていた(と思う)。4名とも写真作家だが紙プリントを掲げるのではなくプロジェクターで像を部屋一面に投影し、Ryu Ikaは床一面に写真をグシャグシャに丸めて置く。我々はガラスもなく大きく開いた窓から、映像に満ちた部屋の中を眺める。

それぞれの像は重なり混ざり合っていて解説を読まないとどの部分が誰の作品化を判別できない。例外的にRyu Ikaだけは毎度お馴染み写真をモノ化して地面に置くので一目瞭然ではあるが、壁・窓枠越しに作品から切り離されて鑑賞するので勝手が違う。あのフォーマットや視界から暴れるように「溢れる」体感ではない。小山泰介の大きなプリズム光の像と調和して、色と光が空間にまとまって収まっている。Ryu Ikaの作品は横須賀海軍基地にて、基地の日米友好開放日イベント時に撮った(中国人IDのため入場許可されず同行者に撮影を依頼したものも併せて)サーモグラフィー写真らしいが、近付いて物性と像を確認できないので絵具を床にぶちまけたような画像の色の塊としてしか目に映らない。山本華の写真(映像)は赤紫色にぼんやりと浮かぶ横須賀の米海軍基地の姿であるようだ。つまりこの建物内は横須賀の記憶と像が交錯する場ということになる。見応えが一番あったがそれゆえに不完全燃焼が強かった。

 

暗い広場を回ると机と椅子が配置されていることが分かった。机には三笠ターミナルで見た【No.7】小山泰介《drifts》が施されている。【No.8】川島崇志《暗黙の学習》は木々の間に立てられた写真で、多重露光で何かガビガビしたものと植物が合わされていた。シダの葉やマツといった島の植生と土地の歴史を重ねている。これらは広場をライトを当て回りながら散策しないと出会えないので良かった。生の遭遇が必要だ。柵の向こうの作品というのは見事でも関係の結びようがないので動物園の動物のように遠い。

 

広場を抜けて歩いていくと「砲台跡5」が現れ、何やら円形の砲台跡が生きている古代文明のごとく光の先を帯びている。近付くと音が鳴り始めた。なななな。SF、近未来的古代遺跡。音の正体は樹の振動や脈であった。

 

◇【No.6】HAKUTEN CREATIVE《Tree says「」》

vimeo.com

映像ではBGMが乗っているので現場と全く異なる。また録画機材の感度が高いので明るく映されているが、現場ではもっと暗い中を光の配線が円形の台の周りや中を這い、電気的な光がうねる中、円周状に置かれた小型スピーカーが樹の発する微弱な震えや動きを増幅して「音」に変換し、響かせる。それはロマンティックなものではなく騒々しく、力そのもので「ブウーーー」「ウウ~~」「ブゥワーーー」と空気を震わせている。力だ。力である。遠くでは波の音と救急車のサイレンが鳴っている。「樹」が物理的に拡張されている場であった。ここは全身で360度+αを探索でき、もっと居たかった。

 

そして長い道を歩く。これで最後かと思われる。時報のカウントダウンが聞こえているのだ。暗闇に秒を正確に刻むことの奇妙さ。往路でスタート地点を歩いたあたりでも謎の時報が遠くから響いていた。暗闇の無人島に本来「時間」の管理は不要なはずだ。回収されざる「時」が無人の夜を打つ。いいぞ。行き場のない「時」がただただ打たれては夜に染み込む。

◇【No.05】齋藤精一《View Scanner #001》

樹々に囲まれた広場に出ると3台の白く光る電光板が立っていた。電光板が点滅とともに1秒1秒をポッ・ポッ・ポッと刻む音が響き、白い光が秒を焼き付ける。理性と感覚の両方を同時に刺してくる。白い点滅のフラッシュが網膜から脳へ、タイムカウントの電子音は鼓膜から脳へ直接やってきて、それらはあまりにシンプルであるために情報としてそれ以上に分解できず知覚全域が支配されるのだ。一定間隔の刻みから逃れられなくなった「私」という何か、装置なのか自我なのか分からないもの、すなわち時間そのものの再発見である。たまりませんね。小唄氏に至っては両腕を大きく振り回し、点滅に合わせて手旗信号をやり始めた。腕全体で電光板を次々に指して飛び跳ねる。「時」と身体が幸福な一体化を果たしている。「島時間」という呑気な言葉があるがそれは一元管理されていないフリーダムな(幸福で安全な野生的)時間感覚を取り戻すことの喜びである、ここにあるのはもっと切り立って純粋物質に近いものとなった「時間」そのもので、牧歌的なニュアンスや郷愁などを一切寄せ付けない。孤島の時間ではなく時が孤島化するのだ。だから身体と直接合致する。たまりませんね。

 

飛び跳ねていたら他の客が来ました。あぶない、TUHOされる。

フー!( ´ - ` )ノ

 

小躍りしながら広場を後にして、これにて感覚ツアー満了です。デトックスが溜まった!デジタルは肉に!肉は空に!フー! テンションがおかしい。

 

 

◆ツアー終了、海岸へ

夜は長い。だが夜は短い。儚い夜をいかに延長し無限に踊り続けるか。その命題のために成長期を終えた人間たちは身を焦がすのである。よよよ。

【No.06】から太い道に戻って管理棟の方へ辿り直し、ライトを返し、封筒の封を切ってスマホを解放し、【No.04】から注ぐ光を見上げつつその先端が落ちる海岸の【No.03】へと向かう。

結局【No.04】齋藤精一のビームはその発射元には近付けず、光を遠く見やるのみとなった。この点は奈良の洞川温泉ビームとの違いで、<MIND TRAIL>では建物内に設置された照明器具を間近で見ることができた。だがもう一つの大きな違い/対比は、本作ではビームの終点に観客が触れられることだ。山では光の頭に、海では光の尾に触れることができる。ある場所が無なる地形から何らかの力を帯びた「場」へと覚醒することを可視化したような作品である。

 

一見、浜には柵があり立ち入れないように見えるが、この先へ越境できる。聖なる光の下へ集うことができる。白く点滅する電光板【No.05】《View Scanner #001》と共に、齋藤精一作品は他の作品と次元が全く異なる。「観客が」「見る」ものではなく本イベントの主旨通り「感覚」を刺すものであり、何が刺すのかというと場との一体化であり、この島が「場」として覚醒することに他ならないのだ。コースの大半で宙吊りにおあずけを食らってきたわけだがここにきてようやく合点がいった。理屈ではない。善感覚で、秒で分かる類のものだ。

 

海岸いきましょう海岸。

 

 

◇【No.03】齋藤帆奈+脇坂崇平《生成と制作のはざまで:海岸》

これが猿島で最後の作品となる。立て看板に説明がある。なんでしょう。

ブラックライトで海岸を照らして、色の近いもの同士を集めて並べる観客参加型の作品だ。既に先に来た人が貝殻や木の枝などを集めていて、概ねでき上っていた。

 

これを真似て置いていったらいいわけか。夜の海岸をブラックライトで照らすと、貝殻や軽石は青白く反射し、砂地は黒いままである。また一部のプラスティックはより強い光を返し、中にはエイリアンのように蛍光の緑色で発光するものもあった。普段の知覚では拾い上げることのないものがある種の宝石や生き物のようにクローズアップされるのが面白かった。目立つ貝殻などはもうあまり残っていなかった。砂地が黒い。

 

光の落ちる先に行ってみたいと思った。波打ち際がかぐや姫のお迎えぐらい光ってるんですよ。この自由律散策も含めて「作品」の一部であり、作品の枠から抜け出したところにある副産物的な行為でもある。恐らくブラックライトを手にして歩いている間は作品の一部なのだろう。

宇宙からのお迎え状態。これは熱い。単なる神奈川県の海岸ではなくどっかの名もなき惑星である。熱い。脳内は真空で沸騰。光が注ぐところに神秘と未知を重ねた結果、異星を見てしまう。光の角度のせいか、地面は球体としての惑星像を想起させるのだ。無論、砂浜の砂がやたら黒く、鉄分に満ち、漆黒の真空に浮かぶ星と結び付くためでもある。

光は実は白でも無色でもなく激しく荒々しいサイバーな夢の色をしていて、それこそこの浅瀬と潮から何か得体の知れない塩基配列でも生まれてきそうな波長をしていた。長時間合焦させているとデジカメの画像処理センサーが壊れるのではないか。既存の調律が破れるところから新しい何かがやってくるのだ。

みょん。

異星ポトレなどを撮ってひとしきりはしゃいだ後、カフェカウンターで肉の串を食い、最終便の船が来るまで所在ない時間を過ごす。

横須賀の岸は高層ビル群で等間隔に光っている。ここは島であり異星でもある。たのしいですね。酒も飲まずに浮かれています。夜の島はノンアルでも酔えることがわかった。

 

ゴミを捨てに行く。分別がカラフルで細かい。ゴミ分別のためのキャラも2体いる。BBQや釣りなど屋外レジャーの場にもなるためかとにかく至れり尽くせりで整備されている。変な島だ。来場者がけっこう多いのかも知れない。そう思うと変じゃない。どっちやねん。はい。

 

◆「感覚の島」終了

21時半の船で帰ります。これが最終便。あえて見送って完全無人となった真・感覚の島へ突入するのも醍醐味ですが、もう若くないので横須賀に戻って海軍カレー食って寝たいと思います。年末年始も近いしな。

この黒い板をくぐると、「感覚の島」の外側へと、すなわち、いつもの現世へと戻るのだ。

本題であったデジタルデトックスについてだが、自分が現地で狩猟・採取したデジタル記録を基にして言葉・文章で踏み込んでいくことによってこそ真のデトックスというか、毒―デジタル情報群が記録という固体から転じて様々な化学反応を引き起こしアメーバのように運動し始めることが改めて分かった。手元に何も残らない状態では、許可され管理された上で流されている情報を張り合わせるしかやることがない。従順な消費者としての態度を水で薄めたようなものになってしまって良いものではない。感覚とは何か? 能動か受動か。主体か客体か。肉体かデバイスか。「私らしい」世界像を掴んで語ることができるためには、デジタルの記録性と知覚の補整を以って初めて確度が得られるものでもある。私に関してはデジタルとフィジカル、電と私の厳密な区分がなく、どちらも合わせて「私」である。乱視・近視である素の「私」と眼鏡・コンタクトと「あるべき視覚」の関係に近いだろうか。作品が電子や電気を用いている以上は猶更である。純粋な五感体験については普通に登山をして山や風を体験すれば事足りるが、現代美術やインスタレーションが電気やデジタル、計算式そのものであるならば知覚・体感はデジタルを以って成さねば対話も受容も片手落ちにしかならないだろう。私は自分の五体を信頼しないし表現の全能性や純粋性も信頼しない。主義主張ではなく機能としてそうなのであり補助具主義とでも言おうか、感覚とは常に補助具と共にあって初めて成立し「私」のものだと実感でき前に行けるものだということが今回改めて実感できた。素の肉体の方が情報社会および情報芸術の中ではゴーストのようなものだ。良いイベントだったが、もっと自由度が欲しかった。

 

21:45、横須賀_三笠に帰ってくる。さあ海軍カレー食ってご当地グルメだ、と思ったが遅すぎて店がどこも閉まっていることが判明。まあいいです◎ そしてここからまた謎のドライブ&トリップが続くのであった。

 

( ´ - ` ) 完。