nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【展示】R4.4/16~6/19「庵野秀明展」@あべのハルカス美術館

庵野秀明をつくったもの 庵野秀明がつくったもの そして、これからつくるもの」、その通りの回顧展だった。

稀代の監督・プロデューサーはどこから生まれたのか? その豊富なサブカルチャーの土壌と現場、そして庵野が関わり、庵野から生まれた名作の数々について多くの資料が明かされた。ルーツとなる特撮番組、学生時代の作品、関わったアニメ作品、旧エヴァ、新エヴァ、そして『シン』シリーズ…

【会期】R4.4/16~6/19

 

 

やべえ会期がおわる( ´ ¬`)

 

あせって観に行きました。

 

会期が3カ月もあるから余裕だと思っていたら、もう終了1日前(6/18(土))になってしまっていたのだった。儚い。やばい。時の流れが憎い。よよよ。そんなわけで慌てて観に行った。よよよ。

入口周りにあんまり人がいなくて「え?? なん? 超空いてる?」と思ったら整理券システムで、約1時間後の入場となった。あまくないな。

 

これあれですよ、生まれたてで感情をどう持ったらいいか分からないオカンのクローンに息子が言うやつ。なんちゅう話や。

1時間もどうやって待つか。ハルカスは時間つぶしが可能だ。美術館のある16階には無料庭園・展望台があり、ベンチで放心できる。都市空間にベンチ、だんだんそんなスペースも減って天然記念物級になってきた。

それ以上に、さすがにエヴァフォント・マティスEBで縦横直角曲げでの名フレーズも懐かしく感じる。

 

この懐かしく、緩い感じは、2022年現在の庵野秀明に対する温度感、距離感として正しい気がする。

 

では展示で興味を惹かれたことなどを記録しておく。

 

 

1.エヴァからの卒業

1時間待ちとは言えかなり常識的な人口密度で、会期終了間際の土曜日にしてはずいぶん平熱だなと感じた。有名な絵画などの展示だと、駆け込みでギチギチに混雑してえらいことになるのが常なのだが、庵野展はガラガラでもないが自由に動き回れるぐらいには空いていた。そして観客のテンションも落ち着いている。

 

意外すぎた。

あの庵野秀明なのに??

そう、「平熱」こそ本展示の最大の感想であり、それは庵野秀明、ひいてはエヴァからみんな「卒業」したのだと実感した。

 

言うまでもなく新世紀エヴァンゲリオンシリーズ最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が2021年3月8日に公開され、多くの人が文字通りのエヴァ卒業を果たしたのだと実感した。私も観に行ったが、文句なしの、観客、庵野監督、そして登場人物ら全員にとっての卒業式とお別れ会という実感に満ちたラストだった。

 

念頭にあったのは90年代後半の異常な熱狂である。あれは狂っていた。

 

1995~96年に最初に深夜枠でテレビ放映された時は、学校のコアなアニメファンしか食いついていなかった。しかし97~98年?、劇場版の公開を控えて再放送がなされた際、世の中が一気にエヴァに染まった。あんたアニメとか絶対観いひんやろという非サブカル男子も「あれは哲学」と心酔していたし、本屋で雑誌を開けば死海文書やアダムの謎に取り憑かれ、私も暴走エヴァゼルエルの無機質・無感情な攻撃と純粋な暴力(=生物としてのリアル)の虜になった。当時うちにはインターネット環境が無かったが、そっちはより大変なことになっていたらしく、ファンの暴走をまともに受けた庵野監督自身がおかしくなっていき、やれ死ぬだの死にたいだの言っていたと雑誌で関係者が笑い話をしていてやばかった。今ではアニメの鬱展開や壊れ展開は「手法の一つ」だが当時は学園アニメが終盤めちゃくちゃになって精神&人間関係が崩壊していくなんて明らかにとんでもなかった。こちらに耐性がないので全て真に受けざるを得なかったがそんな繊細な人間でもなくアダルトチルドレン家庭でもないので意味不明すぎてやばかった。シンジくんと自分を同化して語っているオタクやサブカル界隈の人達ほど逆に分かりやすく作品と距離がとれず意味不明だった。劇場版は更に意味不明すぎて世間的にも意味不明な騒動になっていた。

それは90年代終盤という、それまで信じられてきた昭和的モデルの倫理観や価値観そのもの、なぜ・何のために生きなければいけないのかの全てが失効した状況と見事に呼応していた。たぶん小林よしのり戦争論』や井上三太TOKYO TRIBE』的なものとのオルタナティヴとしてエヴァはあったと思うが、支配力の桁が違った。自分は死んだ目で勉強しているだけの昆虫みたいな学生でアニメファンですらなかったが、それでも異常な熱狂はひしひしと伝わっていて焦りにも似た感じがあった。聖書やキルケゴールや心理学を齧るべきではとか真剣に思った。だが学校の授業で配られた聖書は実際全く面白くもなく哲学書は更に意味不明で心理学は統計データや臨床の積み重ねで想像と全く違った。エヴァはあらゆる元ネタや原点をぶっちぎって突出していた。エヴァの影響が凄すぎて似たようなフォントや設定・デザインのキャラが世界を支配していて、自分でも気色悪いぐらい言語をはじめ様々な感覚を侵されたのを覚えている。

それでも当時の劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』で訳が分からないなりにそれなりのラストが描かれたので、社会現象は徐々に落ち着き、2000年代に入ってしばらくするとだんだん他のカルチャーに上書きされていった。社会の側としても携帯とインターネットを基盤とした新しいインフラに順応していった感があり、カオスや混乱は死語化していった。エヴァ終盤の、肉体を引き裂いて精神もろとも引きずり出すような自傷的な描写は、ホリエモンヒルズ族小泉内閣が誕生するゼロ年代以降にはどんどんそぐわなくなっていった。混沌と破綻と自傷の時勢から、改革と成功とコミュニケーションの時代に急速に移行していった。私は、エヴァは役割を終えたものだと思っていた。

 

だからリメイク『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が2007年に発表された時は意味が解らず「マジで!?まだやんの?」「庵野監督はエヴァに呪われているのでは?」と思ったが、実際に庵野監督は「何を作ってもエヴァになってしまう」という状況に見舞われていて、それゆえに腹を括ってもう一度エヴァに向き合ったという。そこから終結まで14年もかけて新劇場版を4作も発表したのは、庵野監督だけでなく社会・民衆の多くが何かエヴァの呪いにかかったまま、本当の「結末」をお預けされたままになっていたのだ。90年代の旧エヴァに直撃していなくても、後に知った世代が新劇場版でハマったりしたとも聞いたので、設定とディテールは無限に語られても誰も正しい結末を語れないという「呪い」は継承されていたのだと思う。

 

エヴァの呪いは、外部から切り離された作品世界に自閉し耽溺させる呪いだと思う。

現実社会、心身の外側で起きていることと切断された次元で、異常なまでに謎と伏線張りがあまりに多くて深く、抜け出せない構造になっている。他のコンテンツのように、ある程度の回まで見たら・最終回まで見たら、作品世界が終了して作品を手放せるという明瞭な構造になっていない。世界と物語の真相が延々と繰り延べられる。それが作中人物らの自我や言動とあまりに密接なので目が離せない。膨大な謎と内面に向き合っている間は外部の世界から遮断される。しかも完全な空想・創作ではなく現実側のディテールや多彩な分野のセオリーを転写して作られているのでサブ現実の様相すら呈している。まさに究極のサブカルチャーだ。

 

それを昨年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で完全に、ちゃんと物語を集結させたこともあって、まあ、みんな憑き物が落ちたのだと思う。展示会場を回る観客らのあっさりした鑑賞態度からそのことが伝わってきた。自分も含めて、もう卒業済みの人達しかいなかった。

提示される全ての資料は、謎の深堀り、新たな真実への呼び水ではなく、他のコンテンツと同じく、終了したいち企画の資料であり、それ以上ではなかった。

 

みんな平熱で鑑賞していたし、「あべのハルカス美術館」自体が非常に簡素な空間なので、尚更だった。頭の中では、これが2000年前後に催されていたらと想像していた。展示企画自体が謎かけ構成になっただろうし、観客は展示品の一つ一つにエヴァの世界の解明と深堀りを求めて喰らいつき、やばい熱が渦巻いていたことだろう。

 

それはひとえに、ここから『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』が続いていくという、ポスト・エヴァ庵野世界がスタートしたことを告げる展示となっている。

 

 

2.クリエイティヴの源泉と系譜

1960年前後から70年代にかけての、東宝円谷プロダクションあたりの貴重な模型やポスター類が並ぶ。

戦後の子供らの娯楽として「科学」があり、超兵器や乗り物の数々が怪獣とともに展開されたという。また、漫画雑誌、テレビアニメ・特撮映像という、紙とテレビのメディアミックスが盛んになり、宇宙大戦争」「ウルトラマン」「マイティジャック」「仮面ライダー」や「マジンガーZ」「ゲッターロボ」「宇宙戦艦ヤマトなど重要作品が次々に紹介された。

 

90年代にはただただ圧倒されるだけだったエヴァの世界、理不尽に強く意味不明な「使徒」との死闘も、2021年3月のNHK「プロフェッショナル 庵野秀明スペシャル」などの特集によって、エヴァは特撮映画」という基本構造がようやく万人の知るところとなったわけだが、その原点をこうして示されると納得もまたひとしおである。

 

映像類は撮影禁止のため手元にないが、会場の広い壁面にミニモニターを多分割して一斉に無数のテレビアニメのシーンを流していた。その中でも宇宙戦艦ヤマト」(1974年テレビ放送、1977年劇場版)と「機動戦士ガンダム」(1979年テレビ放送)の存在感は一際大きい。1960年生まれの庵野秀明のルーツを腑分けするとき、その元ネタの系譜はテレビ・アニメ・漫画史――サブカル史そのものになるのだとよくわかった。

 

後述するが、70年代までのキャラ・メカデザイン、アニメ描写はもっさりしている。まさに「ヤマト」や「初代ガンダム」のような、もっちゃりした作画で、言わば新幹線0系的な丸みがある。だが80年代以降、一気にデザイン・作画が緻密化し、繊細で硬質な線描が増える。言わば新幹線100系的なフォルムへと青年化し、都市化が更に進むのだ。

 

 

3.何でも手作りやってみるDIY精神

天才は1日してならず。その時その時で作れるものを作り続けていることが、学生からの初期作品のコーナーでよくわかる。これは若い世代には必見では。中高年も必見です。作りましょう。

 

庵野監督は宇部高校~大阪芸術大学の在学中に特撮映像を自作している。最初の作品は1978年・高校時代の『ナカムライダー』で、8ミリフィルムカメラで撮られている。写真も提示されていて、原理はよくわからないが写真としても出力できるのだろうか?

 

映像作品は撮影禁止だったのであれだが、手作業でフィルム?に引っ掻き傷を付けることで、ウルトラマンの光輪やビームを模した白い光のアニメーションを人物画像の上から書き加えている。また、地上から校舎屋上まで飛び上がるシーンは人物写真を切り抜いて別の校舎の写真に貼り付け、コマ送りにしてアニメーション化していた。作っているのは映像作品だが、扱っているのは写真でもあるという面白さがある。

 

こちらは1980年、大阪芸大1回生時代の『自主製作映画 ウルトラマン』。(左手前に観客が写り込んでしまったが) コンテ、写真、映像を展示。ジャージのファスナー胸元にある赤い点は、つまようじ入れのフタで作った「カラータイマー」だという。言われないと気付かなかった。どうもお金がなかったようで、これで変身後のウルトラマンである。怪人の方も似たようなもので、ジャージの兄ちゃん同士という、完全に生身の人間同士が立ち会って空き地で寸劇を繰り広げているだけなのだが、それでも「ウルトラマン」と言い切って作品にしているところが、えらい。ひたすら偉い。

 

そう、若き庵野監督は、DIYでやりたいことを優先させている。えらい。多くの凡夫が、道具がとか、資金が、クオリティが、完成度が、などと言って完成品を表に出さない(私もそうだった)ところ、庵野監督は違う。とにかく作って人に見せる。これは真似できることではない。天才と名高き庵野監督はとことん手作りなのだ。

 

その他にも多数の短編アニメと原画が展示された。中でも注目すべきは学内展示、日本SF大会DAICON)開会オープニングアニメーションでの出品作だ。

 

上記ウルトラマンと同時期に作られたアニメ:1980年『じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ!』の原画と映像があった。伝説と化しているアニメだが、実際に活き活きと動いているのを見て、唸らされた。あれです、「ルパン三世 カリオストロの城」で登場する自動車と同じような、どこまでも駆け抜けていく躍動感があった。

 

紹介しきれないので大幅に割愛しているが活動量が半端ではなく、回を増すごとにクオリティが上がり、そして制作メンバーも徐々に増えている。

1981年「DAICON Ⅲ オープニングアニメーション」は、友人の赤井孝美山賀博之の3名で作成された。水コップに女子がロボットやら戦艦ヤマトやら、特撮・SFのキャラにミサイルをぶち込んだりする。このメカ描写や爆発シーンが凄すぎて関係者に衝撃を与え、会期中何度も上映されたという。

 

ここから庵野監督は1982~83年「超時空要塞マクロス」テレビアニメ制作に誘われ、プロの制作現場の制作手法を学び、そのノウハウを活かして更に躍進する。

自主制作映画DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン」(1983)はその甲斐あってか前2作と比べ物にならないほどクオリティとスケールが増していて、特撮用のジオラマを足元に配してそれらを圧し潰しながら戦い、巨大化の演出が見事に成功している。ただ、衣装から戦闘機のデザインから(もしかしてストーリーやアングルなども?)、あらゆる要素が「ウルトラマン」そのものなので、図録にも「株式会社円谷プロダクションの同名作品の意匠を借りた作品であり、原作の著作権は同社が有しています。」と注意書きがある。自由な二次創作なのか、円谷プロに許可を得て作成したコラボ的な作品なのか手元では不明。

 

細部にとにかく凝っている。ミニチュアセットと各シーンの作り込みがとにかく驚きだった。作りたいと思ったものはとにかく作る、そして人に見せる。この基本的な繰り返しを誰よりもやってきたのが庵野秀明なのだと知った。

 

 

4.洗練される都市、メカの描写(80年代以降の都市世界)

1980年代に入った途端、都市やメカの描画・デザインがいきなり洗練され、現代的になることに驚いた。

本展示では庵野秀明が影響を受けた1960~70年代のサブカルコンテンツが紹介されるとともに、続いて80年代以降に監督自身が制作に関わったアニメ等の作品が紹介されるため、80年代のアニメ作画・デザインが非連続的なまでに飛躍していたことを目の当たりにした。

 

具体的には、宇宙戦艦ヤマト』(1974)、『機動戦士ガンダム』(1979)あたりと『超時空要塞マクロス』(1982)以降のアニメで、作画デザイン上の世界観が全く違った。これがアニメ全般で起きていた共通の変化なのか、要因が何だったのか、分からない。アニメ作画現場において機材等の技術的な進展が顕著だったのか、作画・制作スタッフ体制に大きな世代交代などの(まさに庵野ら若い世代へ切り替わるような)変化があったのか、より現実の都市空間や機械をトレースするようになったのか。

アニメに詳しくないので、もっちゃりした子供向けな描画が、シャープで細密かつ力強い表現へと一変した要因が判らないのだが、日本の都市部の光景が現代に通じるものへと一変した時期でもあったためだろうか? アニメを享受する層が子供からより高い年齢層へと広がり、現実世界に準じたクオリティ、リアリティが求められるようになったためだろうか。

このあたりは複合的な変化の要因がありそうだが、アニメ描画の青年化とでも言うべき現象はそのまま、私自身のアニメ描画の親しみやすさに80年代を境とする断層があり、無視できなかったのだ。

 

 

現実の都市空間やリアルな生活感、物理的な身体感覚を最も反映したのが、まさに『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021)だった。風景写真そのもののような各シーンの数々、そして作中前半に登場する北の湖の廃墟(ネルフ第2支部N109棟跡)」の大きなマケット(模型)が展示されていた。作画の際にこのマケットを参考にしたとか。

 

膨大な資料である。現実の光景・空間・動きから科学的に書き起こされたアニメであることはNHK密着番組で重々承知していたが、改めて見るとすごい。写真だけでなく室内のシーンは人間の俳優に演技をさせてモーションキャプチャーで取り込むなど、視覚装置の総合オーケストラといった趣だ。

av.watch.impress.co.jp

togetter.com

 

視覚・映像技術の詰め込み方、作中に登場するシーン/光景の多さ、キャラクターやメカの緻密で先鋭的で膨大なデザイン、相変わらず眩暈がしそうなエヴァ固有の世界設定と用語の数々・・・ 物語上と気持ちの上では「エヴァ卒業」したものの、これは映画の形をした多面的・多分野に跨る情報の超高密度結晶体で、幾ら紐解こうとしてもかつてのゲノムのようにたやすく解析・解釈できるものではなく、この先の将来も謎そのものとして事あるごとに聖書のように引き合いに出されては謎のまま語られるのではないだろうか。blogを書くにあたって、観たはずの映画のあらすじを読んで振り返ってみたのだが、意味が全く分からなかったのだ。

cinemarche.net

なにこれ( ´ ¬`) 観たはずなのに「えっこんな話だったんですか、なにそれ」ばっかりな件。なにこれ。3回ぐらい観ないとだめな模様。

 

結局いつまでもエヴァの話題になるや脳汁が出て盛り上がるのって気持ち悪い話だが、80代後半になっても本気で「ネブカドネザルの鍵が~」とか言ってそうな気がする。それぐらいやばい。

ただ、これだけ作品世界の内側を独自言語で固めに固めて高密度する――外部・現実から遮断された作品は、今の時代どうだろうか。

尤も、その自覚があったからこそ『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は前半の相当な尺を用いて、ニアサードインパクトで崩壊した世界を現実のものとして「生きる」人達と、その中で生命力を取り戻していくシンジ君(=東日本大震災後の、圧倒的な外部の現実を受け容れてゆくエヴァ世界)の描写を行ったと言える。

 

ポスターがいいんですよ。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』ポスターは90年代後期の、何とも言えない不穏さが継承されている。最後はだいぶ違うものになった。旧作の情緒と物語の破綻から、新作は情報の多角化と高密度へと振り切った感がある。

 

 

5.旧作エヴァ資料おさらい

エヴァの初期設定資料、初期デザイン案が開陳されていて、これは大変面白かった。

 

最初のタイトルは濁点なしの「エウァンゲリオン」だった。インパクトと力強さが足りなくて濁点足して「ヴァ」。これは英断でした。やっぱ「ヴァ」はいいよね。ヴァ。

こうした名作の始まりと解明の資料もみんな温かい目で眺めて通過していくあたり、エヴァ体験=終わらない謎解きは終了したのだなと実感した次第。

 

最初期のエヴァデザインは鬼パトレイバーという感じ。これはですね。実際に鬼をモチーフにしたという。等身大の特撮モノならありえるか。でもこれは90年代初頭のOVAのセンスで、相当古く感じる。よくここからあのエヴァの異形のデザインまで上げていったなあ。

 

改訂が進んでも鬼ベースなのでした。「強殖装甲ガイバー」っぽい。やはり完成版エヴァまで相当距離がある。色のせいかな?? よくあのエヴァになったもんだと唸る。

 

ああー。ヽ(^。^)ノ うう~~~ん もどかしいな、

色を塗るとそれっぽいが。けどガンダム等に出てくる中途半端に強いキャラの感。90年代初頭のOVA感。なんか悪くはないけど突き抜けなくてもどかしい(もどかしい)。

 

結局どうやって初期案からこの完成版エヴァまで辿り着いたのか全く分からなかった。会議を重ねて作り上げていったのだろうか。そのへん、アニメって共同制作作業というか、天才が強力に牽引するにしても、小説や写真みたいに圧倒的な個人の単独制作のものではないところが面白い。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のキャッチコピー「さらば、全てのエヴァンゲリオンは見事としか言いようがなかった。この一言が想像と解釈の幅を広げながら、この作品で本当に最後だと告げている。いやあいい。このポスターだけで余韻がすごくて満足。

 

しばし放心。

 

いやそんなにエヴァ好きなわけじゃなかったんですが。時代だったんですよ。なんだかんだ、この25年近く。強烈な求心力と波及力があって、多くのコンテンツ、世界観がエヴァの影響下にあった。それはすごかったんです、いやもう(略)

 

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というようなことでした。他にアニメ以外の映像作品、映画『ラブ&ポップ』(1998年)や『キューティーハニー』(2004年)、『シン・ゴジラ』(2016年)など多数展開されていてまさに回顧展。

 

ふしぎの海のナディア』(1990~91年)は幼かったので観ていないが、後にアニメブックを買い、コンセントで電力供給されてるネオ皇帝にもだえました。ああっ。ああっ。あと主人公の女子が健康的で傍若無人で元気で陰があるのがよい。

 

終盤には、そうした活動から「シン」シリーズの紹介へと接続。会場ラストでシン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー模型3体がお出まし。

 

バックに「感謝、そして報恩」と書かれている通り、庵野監督の問題意識の一つに「特撮文化を継承する」ことがある。時代が経つ中で、特撮に使われた機材が廃棄されたり散逸したりし、特撮の文化的な継承に取り組む必要があるとして特撮アーカイブ活動に取り組んでいる。

会場では「ATAC アニメ特撮アーカイブ機構」須賀川アーカイブセンター」が紹介されていた。

 

atac.or.jp

www.city.sukagawa.fukushima.jp

 

あるあると思っていたらいつの間にか時代の流れの中で縮小し、無くなって消滅している、貴重な資料と言い始めることには多くは廃棄されている、よくある話ですが特撮界もそうなのか。生暖かく見守りながら応援したいと思います。

 

 

いや面白かった。

これは『シン・ウルトラマン』も観に行かねばなるまい(遅い

 

 

( ´ - ` ) 完。