nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R3.12/11~12/19_折田千秋「コレクティブ・イメージ」@KOBE 819 GALLERY

『誰かが感じた印象を他者の写真を用い再構築したものが、「コレクティブ・イメージ」=印象の集合知になります。』

 

ステートメントに書かれている要素を紐解くには、「色」を張り合わせたような作品をじっと見るだけではだめだった。話を聴いて制作工程に深入りしていくことで、本作の「見えない」部分がいかに集合知に言及しているかを知ることができた。

 

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【会期】R3.12/11~12/19

 

◆作品・展示について

作者がもしガチンコの「写真家」だったなら、本作は壊れて(壊して)狂った画像を吐き出すパソコンやタブレットの液晶画面の写真として解釈され得たかもしれない。勿論そういう作品では全くない。「ストレートに1枚の写真を撮る」とか「撮った写真を合成・加工して1枚の絵を作る」という、個人主義的な制作手法とは対極にある。

 

デザインや建築学の出身である折田が手掛けた本作は、見た目以上の情報量と作業工程を内包していて、言わば民主主義のプロセスが織り込まれている。

 

作者は2020年9月に催された「THE BACKYARD」主催の「PITCH GRANT」最終公開審査に登壇し、その独特な手法と作風は際立っていた。如何せんプレゼン画面なのでその時点では「色を塗り分けたデザインぽい」と思うに留まった。

 

プレゼンで紹介された「MMM(みなとメディアミュージアム)2019」茨城県ひたちなか市)出展作品《image picture》は、本作《コレクティブ・イメージ》の原型、出発点である。

minato-media-museum.com

 

本展示ではリアルな現物を目の当たりにできたことで、プレゼン時には見えなかった細部が確認でき、またプレゼンから1年かけて深化させた部分を見ることができた。

 

深化の結果、本作は3段階ぐらいの制作工程・構造を有していて、それがすなわち観賞体験のステージとなっている。順にみていこう。

 

 

◆第1段階:認知との照合

今作では作者が神戸に滞在し、作者が撮影した「神戸らしい」風景の写真を元にして、25人の参加者に記憶や体験から「印象の色」を選んでもらい、その色を用いてイメージを再構築している。

 

観賞しましょう。

 

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( ´ - ` )  ふ??? ふう…   け…  い? 

 

 空、、

 

・・・雲、、、 ・・・山、、、?

 

 

風景?

 

 

\( ゚o ゚ )/ Fukei!!!

 

 

 

∴ 六甲山の山並み。

 

 

 

( ´ ¬`) げきむず。

 

 

吐きそうになるほど考えました。(しかし当てた。)(筆者はかつて登山をしていたことがあります)

 

フー。

 

 

次はこれ。

 

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(  ╹◡╹) 知ってる、これ脳に残像ある。

 

 

(  ╹◡╹) はい

          神戸ポートタワー」。

 

 

 

(  ╹◡╹) 正解⭕

 

 

脳に刻まれた残像がつっよい。通天閣の神戸版みたいなもんで、神戸の通天閣であ r     あっ神戸の人に怒られる、あっあっ、かんにん、堪忍や

 

 

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( ´ - ` ) ??? 

 

 

(  ╹◡╹)  design、

 

 

めっちゃ見覚えあるぞ特に右。

 

左はロボットのマークか??

 

 

∴ 左「ポートライナー」の看板
     / 右「生活協同組合コープこうべロゴマーク

 

 

ああーなるほど。生協でしたか。コープさんですわ。

関西人にはお馴染み。

 

 

じゃあこれ。

 

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( ´ - ` )、

 

 

 

 なにこれ、

 

 

 

( ´ ¬`) あっあー

神戸市立医療センター中央市民病院の手術室で取り出されたばかりの臓器と染み出した体液、(やけくそ

 

 

∴  こうべビーフ (肉)

 

 

(  >_<) あかんっっ わからraあんんんあああっっ(皿をひっくり返す音)(ガシャーン)

 

 

とこのように、同じ工程を経た作品でも、元々の絵柄がアイコン的なものは作品になってもアイコンなので大きくは変わらず、逆に、元が具体的な風景や事物の場合はこちらの認知にそういうパターンのストックが無いので、記憶との照合に非常に手こずった。面白かった。

本作の鑑賞方法の初手としては、まずこうした認識クイズ的な、照合ゲームが挙げられるだろう。実際面白い。やりがいがある(かなり)。

 

だが見た目の平面的なデザイン性に反して構造が多層建てとなっており、踏み込みようによって本作は大きく意味を変えていく。

 

 

 

◆第2段階:個人の直接参加による民主主義

構造/観賞の2段階目は、制作プロセスに関与した「参加者」の関わりと、人々の意見:「印象」の反映(のされ方を見ること)だ。

本作は幾重にも走る「色」画像の細いスライスを貼り合わせて出来ているが、その色は、作者が撮影した写真をphotoshop上で表示しながら、参加者が選択したものだ。選択に際しては予め作者が、ぬり絵のように元写真を単純化して3,4のゾーンに分けてあり、参加者はphotoshopのカラーパレットを操作して、自分が写真の光景に対して抱いている印象の色を落とし込んでいく。

 

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共同制作の様子は動画で提示されている。前作の《Image Picture》も説明を読む限りは同じような工程だろう。

一人一人の漠然とした「印象」を具体的に「色の選択」という形で落とし込んでいく作業は、直接民主制の手続きの実演を見る思いがする。本作を作品たらしめているのは、色の組み合わせや造形の美ではなく、神戸にいる人たちが自分たちの思う・抱いている「神戸」の印象を投じ、制作に参加した事実、それが「神戸」のイメージを再構築していく点にある。

 

平面作品だけを見てもこうしたプロセスが介在していることは分からず、説明文を読んでも参加者らの参加度合いは掴みきれない。動画だけがそのことを物語っているので、これは平面作品と対等な一部と見なすべきだろう。

 

私がこの工程を政治・投票制度に喩えて捉えるのは、政治と同様に、アート・表現も権威的かつ特権的であって、一般民衆からは距離のある世界だからだ。どうしようもない前提条件だと言ってもいい。アートは娯楽的側面だけではなく、現代文明や日常生活への批判でもあり、そしてまごうことなき権威でもある。参加は容易ではない。この制作工程はまさにそこへ一般人=部外者を参加させるための一案として、投票のように意見を投じ、それを取り込んでカウントする仕組みであった。

 

 

◆鑑賞第3段階:集合知による見えざる民主主義

本展示の作品はどれも、縦にスライスされた色の線が大量に繋ぎ合わされていて、参加者数を遥かに超える、大量の色パーツが繋ぎ合わされて作られている。動画で紹介された参加者の選択――民意が、ここで一体どのように反映されたのか、

 

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これやで。

 

参加者が選んでベタ塗りした「色」が、このPC画面がバグったような互い違いな色の線になっている、しかもよく見ると「色」だけでなくノイズのような濁りがあり、色のベタ塗りレイヤーだけで作っているとは思えない。何か具体的な写真を強引に色データ化したような質のものだった。

ステートメントにはざっくりと『その色を元にした写真の集合知を組み合わせて』『他者の写真を用い再構築した』と書いてあるが、いったいどういう工程を経ているのか、ノーヒントで当てるのは不可能だったため、後に作者から直接話を聞かせてもらった。ステートメントにある集合知」の意味がここで判明する。

 

色のスリットは画像検索サイトの出力結果を使ったものだった。このサイトではカラーパレットから3色まで選択することができ、同じ色構成の写真などの画像が提示される。参照元Flickr上の画像らしく、つまり不特定多数のユーザーが投稿した無尽蔵の画像から一定のアルゴリズムによって選びだされた画像が選出される。

作者は参加者が選択した色を検索にかけ、上がってきた膨大な画像から、1つの色に対して20枚ほどの画像をセレクトし、1つの作品の色構成で約500枚の画像を使っているという。

Flickrの現ユーザー数は分からなかった(アカウントを失念してログインできずにいる… 2018年に米SmugMug社に買収された際にはユーザー7500万人とも7800万人とも言われていた)が、当該サイトが参照している画像数は2000万強との表示があり、まさに見えざる公共的な印象と選択を参照していることになる。

 

このプロセスは現代の「見えざる民主主義」――世界中で不特定多数の意見や感性が無尽蔵に投じられ続け、それを繋げたり抽出するアルゴリズムが不可視のうちで機能していることに言及するものと言えよう。そして文字通り、作品や会場からもその工程を見る(知る)ことが出来ないのは、不親切というより意図的な戦略なのだろう。

 

作者やギャラリストから詳細な話を聴いてようやく作品の真意が見えてくる、逆に作品を視覚的に鑑賞しているだけではモノ以上の意味を超えることがないという構造は、昨年に同ギャラリーで展開されたヒガシジユウイチロウ《A=A A≠A(Ring)》と同じだ。

どちらも「写真」に関する作品ながら、写真としての性質や制作工程はそれが主体ではなく「氷山の一角」のようなもので、内包された意味を象徴するようにして構築されている。言わば現代美術寄りだ。そして本展示がヒガシジ作品と似たコンセプトで構成されているならば、写真や美術の文法をメタ的に言及するだけではなく、現在の時勢や社会に対する指摘、批判が含まれていると解してよいだろう。

 

地元での顔の見える民意、個人との繋がりと、世界中で顔の見えないままデータとアルゴリズムにより機械的に検出・接続される繋がりという対比的な事柄を包含し象徴化させたのが、本作の意味だと理解した。

話を聴かないとそういう解釈には至ることができないので、どこまで作品として有効かと問われると難しいところだが、よくある「地元に滞在して声を拾い上げる」草の根的な作家活動を、ダイナミックに「見えない」Web上(内)の民意とシステムへと結び付けたのは、非常に面白いと感じた。そういう作品が観たかったのだ。わあい。

 

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やはり高難易度の「こうべビーフ(上・中央)「元町中華街のギョーザ」(下・左)が最高ですね。もう全然わからんけど答えを知った後だと「抽象化したらそうなるか」「なるんやなあ」「なるよね、」と、謎に納得してしまう。

 

折角なので、ギョーザについて、作者のFacebook投稿より引用します。

神戸の餃子は一味ちがい、味噌ダレで食べます。その特徴的な文化から餃子をモチーフに選びました。元町の中華街を連想し、汚れやくすみをイメージする人も。餃子の焦げ目選びに時間をかける方も多く、さらなる美味しい見た目を追求していました。

 

 

( ´ - ` ) アイデンティティーや。。。神戸っ子の愛とアイデンティティーなんやで。。。

 

味噌ダレ知らんかった・・・。

ぼっちの貧乏人やから中華街では肉まんしか食べたことなかった。。。今度たべます。。。

 

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( ´ - ` ) 完。