nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R3.6/19(土)~6/27(日)_波多野祐貴「undercurrent」@gallery176

日常・地元の裏で、異世界のような色彩と闇があった。その邂逅を果たした作者が、人知れず上げる眼の歓喜のような作品群。コロナ禍がもたらした偶然の再発見だろうか。

 

f:id:MAREOSIEV:20210621002709j:plain

f:id:MAREOSIEV:20210621003017j:plain

【会期】2021.6/19(土)~6/27(日)

 

展示会場の向かって左側の壁は、淡々とした郊外の団地群が写り、右側は宇宙の星雲のような妖しい光と闇を湛えていて、極端なまでに対比的な構成になっている。どちらも作者の住む地元だそうで、駅から北・山手へと向かって住宅街、団地群を抜け、山道をゆくと、千年以上続く古い神社があり、その奥に無名の貯水池に辿り着くという。つまりこの二極の構成は、移動の体験としては連続している。 

 

f:id:MAREOSIEV:20210621002734j:plain

f:id:MAREOSIEV:20210621003536j:plain

  

ザ・郊外そのものの風景から神秘的な光と闇への移行は、一つには新型コロナ禍によって外出・移動に制約の掛けられた「日常」における行動の変容=地元の再探索と再発見に他ならない。

これまで台湾の路上を舞台とし、地理的・時間軸・物語性の前後左右なく光景を散乱させてきた作者が、今回は逆に非常に明快な一本道を辿って作品を構成したのは、「地図の身体化」の作業と呼ぶべきだろう。

これは私自身も全く同じ体験があって、「地元」を改めて自分の体で歩き回ると、幼少期の記憶の印象、Google Mapの平板な配置情報が身体によって更新され、血が通っていく思いがした。この1年で(やむを得ず)こうした体験をした人は多いのではないだろうか。

 

しかし実は「地元」と呼ぶにはかなり微妙で、作者はまだこの地に移り住んで1年ほどしか経っていないというから、身体的にはネイティヴではなく、生活者と異邦人のハーフの状態にある。そして台湾の繁華街と異なり、郊外の住宅街にあるのは徘徊・回遊の道ではなく、基本的には住居と通勤・通学を結ぶインフラとしての経路だから、歩行は自ずから「通過」の形となる。よって特に取り結ぶ郷愁や過去もないまま、シャッターは通過地点の記録のように等価に切られていくのが分かる。

 

この場所がユニークなのは単にニュータウンを擁しているだけでなく、後背には天王山や摂津山系が控えており、豊かな自然があることだ。昔から酒造りの水源として重宝されてきただけあって、その内側へ踏み込むと風景は一変する。アスファルトの道はハイキングコースへ、そして由緒ある若山神社をはじめとする幾つかの社へと続いていく。が、ここに来て作者の身体は通過的な確認作業から没入へとスイッチし、台湾滞在時と同じく経路の地理や時系列は吹っ飛ぶ。五感のリソースは自然や古刹へのアプローチにではなく、名もなき水の溜まり場、その水面の光の表情へと一気に集中されていく。

 

f:id:MAREOSIEV:20210621002830j:plain

f:id:MAREOSIEV:20210621002855j:plain

f:id:MAREOSIEV:20210621002949j:plain

 

世界の絶景や異国の星空にも見える右壁面のカットは、全てその小さな池の表情だ。名前も歴史的な謂われもない水の溜まり場である。

若山方面のハイキングログを幾つか見てみたが、どれも太閤道ハイキングコースと若山神社とゴルフ場のフェンスの記録写真ばかりで、この貯水スペースは見られなかった。どうやって作者が辿り着いたのか、あるいは他の人たちには意識に引っ掛からないほど地味でありふれていたのか、ともかく秘境的に、人知れず妖しい輝きを湛える人工的な小さな池に、作者は深く没入する。

 

時間帯や天候で表情が大きく変化する。風景が光の反射と透過あるいは吸収によって七変化する様に対し、ノスタルジーを超えた「未知」を見出して受け止める眼差しは、これまで作者が台湾で行ってきた活動と合致する。全身を対象に投げ入れ、迷い込ませながら、対象の外皮を剥ぐように交わるという深い交感である。その行為はエロス的(切断や分析、記録といった行為をタナトス的と呼ぶ時に対置されるもの、生の営みとして)だ。

 

www.hyperneko.com

www.hyperneko.com

 

台湾での撮影と並置して見るとき、池に至るまでの行程と風景が「地図の身体化」であるなら、この池での宇宙感溢れる撮影行為、秘密の場所との密会は「身体の脱地図化」に当たるだろう。真逆の行為が両立するのは、社会人と作家とをスイッチしながら日々を暮らす作者の生き方がそのまま反映されたとも見えるし、調律を律儀に積み上げた上で大胆に色彩や光の中へと崩し・溶かす際の、落差が生み出すエネルギーこそが日々を生きる力となっているようにも感じられる。

 

淡々とした整ったシステマチックな暮らしと、すぐ裏手の無人の山中、小さな池、秘密の暗闇、そこに映る宇宙的なイメージ、これらの取り合わせはイソップ寓話『王様の耳はロバの耳』を連想させた。「この世はもっと意味不明で美しい」、作者が眼でそう叫んでいるような輝きだった。 

 

f:id:MAREOSIEV:20210621002921j:plain

 

( ´ - ` )ノ 完。