nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R3.4/16~5/5_横山佳奈恵「Unbreakable Egg」@DELTA

青い宇宙空間に漂う惑星か、口のない陶器か。それは、たまご。養鶏場で生み出されながら、見える形で市場に出回らなかった卵――「破卵」(ハラン)の個性と生命力が、実物と共に示される。 

 

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 【会期】2021.4/16(木)~5/5(水)

 

兵庫県淡路島の養鶏場で働く作者は、鶏卵の中でも「破卵」(ハラン)の存在に関心を抱き、その姿を撮影している。

 

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普段、スーパーや冷蔵庫では見ることのない卵が並んでいる。規格外として表向きの流通からは除外されているものばかりで、形状はいびつで、ひしゃげていて、部分的に飛び出していて、色がまだらで、表面にブツブツがあって、サイズが小さすぎて・・・特徴は様々だ。

 

特徴。

私は今挙げた諸々のことを欠点とは思わなかった。作品として対峙しているからだ。もっと言えば事前に作者のテーマを知っているからでもある。この時の私は「鑑賞者」という極めてリベラルな立場にいる。だがもし、生に近い形で卵を調理したり食しようと「消費者」の立場で見た時には、評価は一転したかもしれない。するだろう。

 

多様性を認めようとする温和なリベラリストと、食の安全性(というイメージ)を死守しようとする消費者とのスイッチを刺激する作品である。

これらの「破卵」は流通経路を人目に付かないところに移し、マヨネーズなどの加工品に使われる。タイトル「Unbreakable Egg」ー「割られない卵」は、割れてもいないのに「破卵」と呼ばれることへの関心に由来する。それだけではなく、作品について知るにつれ、消費者の手で割られる機会もなく見えないところへ行ってしまうことや、格落ちとして選別されるも結局は機械的に食材に回されるため、雛が育つことはなく、内側から殻が割られる機会もないことなども連想させる。

 

作者は2020年9月に開催された『PITCH GRANT』の最終公開審査にて、同テーマでプレゼンを行っていた。その際はプロジェクターでの投影だったので、リアル作品に触れられる機会が得られたのはありがたい。

 

www.hyperneko.com

作品・テーマの詳細はこちらが詳しいのでどうぞ。

 

青い宇宙に浮かぶ星のように、詩的さも加わった撮り方だ。色、光、角度、背景などが、客観的なドキュメンタリーとは異なる世界観を表す。工業的なドライな場所から、命を全面的に肯定する場へと移相させて撮っている。

そのため卵の「歪」さは気にならない。むしろ見えない。「これらは最初からそういう姿で生まれてきた命だ」と、個の存在感を認める視座である。「破卵」は作品の中では、広い詩の世界の中で溶け合う。

 

一方で、現物の破卵も展示されている。作者は持ち帰って中身を注射器で抜き、形を崩さないよう保管している。

写真とその被写体となった現物を並べて提示するのは、現代美術の思考、例えばジョセフ・コスース《1つと3つの椅子》とは全く意図が異なる。邪推だが、自身の写真に写された「破卵」とリアルの現物としての破卵とは、また別のものであることを示したかったのではないだろうか。

 

「別のもの」とは、可能性、命のポテンシャルそのもののことだろうか。

 

鶏卵は産業として半ば機械的に生産される食品なので、取引に際しては規格が定められている。農林水産省の定める「畜産物の価格安定に関する法律施行規則の規定」には「鶏卵の規格」の項目があり、「鶏卵規格取引要綱」には卵殻、卵黄、卵白などの部位と検査結果ごとの等級分類の表が掲載されている。

 

<★Link>鶏卵規格取引要綱

https://www.jpa.or.jp/chuo_root/gaiyo/gaiyo_20201124_01.pdf

 

恐らく作者が日々、業務の中で向き合っているのはこうした、厳格で産業的な基準だ。箱詰めで出荷され、店頭でもケース販売されることから、サイズと品質がばらつかないよう統一規格が定められているのだろう。結果、「卵は物価の優等生」と昔から言われてきた。

 

形といい管理の仕組みといい、経済的な位置付けといい、鶏卵は通貨に似ている。だがその裏で人知れず「破卵」は表の流通からは弾かれ、裏で加工に回されている。通貨と異なるのは、鶏卵はどこまで行っても生物、命であることで、画一的な製造には限界があり、病気にもかかる。ステートメントによれば2020年11月に養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、『すべての有機物がなくなり、養鶏場に鶏がいなくなりました。』という。命のコントロールには限界がある。正の意味でも負の意味でも。

 

卵は、食の安全や経済的信頼性を担保するためにたえず分類され、間引きされている。作者は写真表現によって、「個」が逃れ難く持って生まれてきた「命」のポテンシャルを認め、引き出す。

 

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写真と現物はかなり違う。それが写真の面白いところであり、また多くの選択肢を誘う。古来から多くの写真家が、それこそ広告のプロから作家から学生から、分野を問わず「卵」をモチーフとして撮ってきた。しかし生の「破卵」に向き合って撮ることのできる人物は、現場に入り込んでいる者だけである。破卵の存在や実情すら知らないだろう。何か骨太なドキュメンタリーとしても観てみたいと思う。

 

 

会場では、プリンターから卵の画像が出力されていた。その日に生まれた卵を淡路島からリモートで直送しているという。

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( ´ ¬`) たまごかけご飯を食べたいなと思いました。本作の趣旨に思いっきり反するのですが、この色味と形はですね、食欲をそそる。 

 

消費者に戻ったり離れたりをしました。そういう揺らぎっていいなと思うんです。鶏卵の宿命を全うしてやれるのは、おそらく、美味しく食べることに尽きるだろうから。

 

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( ´ - ` ) 完。