nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R3.2/27_田中ヒロ「OOOFOO」@ギャラリー・ソラリス

溢れ出す食べ物の写真、読み方も分からないタイトル、されど絶妙なバランス感覚で構成された空間『OOOFOO』。Over Food ともToo Food とも呼びたくなる「食」の氾濫は、生きる力―食欲を音源としたハードコアやパンクの色覚的ライヴだ。

 

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【会期】2021.2/16(火)~2/28(日)

 

 

 

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扉を開けた瞬間に「食」の圧倒的な物量の前に思わずたじろぐ。ギャラリー入口から一歩先には、床一面に小さなプリントで食べ物が隙間なく敷き詰められている。小松浩子の展示の時とは違う動機で、持ち上げた足を床に着けようとして躊躇う。食べ物を足で踏んではいけない、という条件反射によるものだろう。二、三歩歩くとそれらは「食べ物」ではなく、また「作品」とも「写真」とも少し異なる質のものであることが体に了解されて、囚われは消える。

 

本作はこの4~5年の間、作者が日常生活を送る中で、食事の際に撮り溜められてきた膨大な写真の中からセレクトされたものだ。作者は世界中を飛び回っていて(具体的に何をしているのか全くよく分からないが、仕事?なのだろう。)、様々な国の様々な食事が写されている。日本も結構ある。

このライヴ感=移動と出会いと生活が一体化した記録は、初写真集『Dew Dew, Dew It's』(2012)での、渡米後に出会ったバンドのツアーに同行して撮り溜めた多彩なスナップ群と根幹では同じと言えるだろう。

 

目の前にも大きなパネルが吊り下げられている。「インスタレーション」という言葉では生ぬるく、これは空間自体が写真集となっていると感じた。

 

「写真」ではなく「写真集」。

床の写真群は圧巻だ。同じサイズで続いていく食事の写真は、色味と質感、写された時空間のいずれも均質なトーンで前後左右が等価に並び、全方向的に特別な物事を語らず、私生活から生まれながら私写真ともなることがない。ラフな描画とピント、ラフなフラッシュ、ラフなフレーミングとタイミング、異様に部分的だったり食器しか写っていなかったり食べさしだったりで、食の写真としてもかなり狂っている。食べ物が主役ではないようにさえ感じる。その撮影行為は「作品」作りというコンセプトや目的を持たず、生理現象にすら近い。撮影行為自体は延々と反復的であるものの、撮影のタイミングとフレーミングが常に即興である点は、ポップアートとも性質を異にする。

それは正しく写真を撮り、正しく作品を仕上げるという教育的約束事から抜け出て、写真に自由な身振りを取り戻させている。「食うこと」が教壇から教えられるのか?市場で売買できるのか?と。スケートボーダーが滑走によって都市空間を読み替えを試みるのと似ている。或いは演奏前に試しで打ち鳴らした音が、アンプを通じて空間にまろび出た時の、単発の「音」の手触り感だ。まだ未分化の、音楽という形をとる前の音だけを集めて繋げて生まれたノイズ音楽として、本展示は形無き形を成している。

 

形無き形、フレームの崩れたスナップ群は、食材や食事ではなく「食」を表す。エネルギーとしての食欲が表象されている。旺盛に生きる力、今生きていることの表れとしての食への執着である。

鈴木育郎の手製写真集でも同様に、食べ物がこれでもかと繰り返され、食欲=生きるエネルギーを魅せられたが、鈴木育郎スナップは和食としての「うまみ」、昆布だし的な雰囲気であるのに対し、田中ヒロはジャンクフード、脂身、糖質が剥き出しになって濡れた光を帯びている。それがアンプからこぼれ出たノイズ音を連想させる。

実際、作者に接すると声から全身から屈託のない引力、人生全肯定的なパワーを浴びる。初対面の誰とでも仲良くなってしまう天性の引きの力、純粋に人間としての生命力が高いのだ。その点は鈴木育郎も同じだった。

 

「食」が圧倒的な力を表すのは物量よりもむしろ、具体物が無数に集まることで抽象化が高まる中で、具体と抽象のコントラストや道筋を付けた編み込みの力=編集センスに魅入ってしまうからなのではないか。そんなわけでこの空間は私にとって「写真集」なのだった。

 

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編集の効いた色覚空間は音楽に近い。一見カオスで手の付けようがないような情報の氾濫も、壁面にはきちんと額装された写真が整列していて「律」があり、フロア中央で天井吊りになった大プリント作品がアクセントになっている。また、床の写真群をずっと見ていると、同じ写真の列が繰り返し使われていることに気付く。ある節のループを積極的に仕込むあたりはまさに音楽的だ。

 

この展示会場の設営、空間の写真化の様子が、YouTube動画3本分で記録されている。3本と言っても早回しなのでトータル1分半だ。そして1本目の30秒でほぼ土台は完成している。驚くべき手際の良さだ。

 


HIRO TANAKA写真展「OOOFOO」搬入風景 pt.1/3

床の大量の写真は個別のプリントではなく、あらかじめシート状に加工されており、敷くだけでセットできるという便利な代物だった。生で鳴らした音源を収録した後、繋ぎ合わせてループを組み、それをベースに敷いて主となるメロディーを乗せていくような工程だった。

 

本企画に合わせて作成された同名の写真集は304ページにも及ぶ。食ベ物の写真だけでなく、移動中の飛行機の車窓や移動先の風景が織り交ぜられている。それらの画質は低解像度ゆえに抽象化されていて具体的な記録性を失い、それらは「食」と同質のものとなって限定されざる「移動」という「生」を表す。対して食べ物のディテールが非常に強力で、食欲の「生」の力はより強く溢れている。

2020年の新型コロナ禍で予定が白紙になった作者は、空いた時間を活用して本作のセレクト・編集作業に取り組んだという。ここには、奪われた自由な「生」を取り戻す働きが大いに込められているのではないだろうか。

 

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なお、東京・神宮前の「BLOCK HOUSE」で展示した際には本会場(ソラリス)の倍以上のスペースがあったらしいが、Matterportで当時の展示を見た限り、額装された大プリントを壁に整然と並べていて、「買いたい」と思わせる力のある空間作り、アート作品としての取り扱い色を感じた。

 

 

( ´ - ` ) 元気になる展示&写真集でした。はらがへります。