nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【展示】小原真史「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」@京都伝統産業ミュージアム

 「KYOYO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021」の一環として催された企画。多数の資料を展示し、かつて帝国主義の時代、万国博覧会などの展示が持っていた支配的な視座の歴史を示す。

 

( ´ ¬`) 引き込まれてなかなか見終われなかった。。。

 

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【会期】2021.2/6(土)~2/28(日)

 

 

( ´ - ` ) 簡単にメモです。帝国メモ。

 

 

◆全体的な感想

企画展示室はそれほど広くはなく、展示品も100年ぐらい昔の万国博覧会の写真やハガキが主で、受付で500円を払いながら「これは20分ぐらいでサッと観終わる(確信)」と思ったが、お約束でへんなフラグが経ち、実に2時間ぐらいかかった。くああ。膨大な情報量です。

 

資料とキャプションがすごい。読む展示です。

展示内容はタイトルの通り、19世紀末から20世紀初頭の欧米列強の先進国が開催した「万国博覧会」等において、世界各地の「人間」が「展示品」として扱われた歴史的事実を特集している。帝国主義が盛り沢山です。多感な中高生の頃に見たかった。この情報の物量がすなわち、現代の世界の基底部に植民地支配という地層が存在することを如実に示しているかのようです。なぜかIOCの人たちが発言するのを聞いていると、まるで百年前が今も続いている気がするんだ。くああ。帝国ぞ。

 

私は事前に京セラ美術館『平成美術』を観てからの流れで立ち寄ってしまい、HP/MPが尽きてしまって、キャプション読みながら寝そうになり(展示物に倒れ込みそうになるのを必死でこらえていた)、ひどい有様でした。糖が足らぬ。ひるめしを摂るなどして、十分に体力気力を保った状態で鑑賞することをお勧めします。

 

会場が撮影禁止かつ図録などが無かったため、読んだ先から忘れてゆき、手元に何も残ってません。つらい。資料の著作権とかの事情があるのかも。一応「展示ごあいさつ」と、当時の主だった博覧会をまとめた「植民地と博覧会」資料の2点は配布されている。映像記憶力がほしい。

 

 

◆人間動物園_ホッテントット・ヴィーナス

象徴的なのが 「人間動物園」というタームです。

なにこれすげえこわいんですけど。簡単な言葉ほど怖い。

 

これは当時のカルチュラル・スタディーズの中で用いられた語句で、西欧から見て異民族の生態を「展示」するというもの。世界各地の現地人を会場に連れてきて、その見慣れぬ物珍しい顔や風体をまさに「動物」のように見世物にしたり、会場内に再現した各地の伝統的な居住空間に実際に住まわせ、その生活様式をも展示していた。

 

「野蛮」や「未開」といった際どい語句が集客のキャッチコピーとして機能したが、それは何と言っても異国の物珍しさが人々を駆り立てたためである。

国内にいる西欧人は同じ西欧人しか見たことがなく、TVもGoogleもYouTuberもない時代ですから。支配領域が拡大されても世界は未知であっただろう。幼少期の記憶を辿ってみても、自分達とは異なる身体特徴を持つ存在のことを、同じ「人間」とうまく見なすことができなかったりするが、その認識の断絶を肯定、しかも上下や優劣の問題にすり替えてしてしまったのが帝国主義の視座だ。異世界の人種はまさに珍獣的な存在だっただろう。たぶん現代でも火星人とか月面人が捕獲されたら、情報鮮度の高いうちにその「珍獣」を観たいだろうし我先にYouTubeで拡散しようとするだろう。今も構造は似てる。

 

「人間動物園」を象徴するものとして強烈に眼を惹かれたのが、『ホッテントット・ヴィーナス』と呼ばれた一人の女性だ。

彼女は南アフリカのコイコイ族で、本名はサラ・バートマンという。もちろん奴隷解放後の時代なので、捕獲されて無理矢理引き回されたわけではない。渡英すれば稼げると持ちかけられ、19世紀初頭、パリにやってきたらしい。お金ほしいでね。行くよね。わかるすよ。

 

それが写真だったのか、よくできたイラストだったのか覚えていないが、褐色でほぼ全裸のような姿、肉付きがむちむちしていて、臀部が大きく突き出ている。ドキッとした。こちらの性的嗜好の無防備なところを突かれたように感じたのだ。見慣れたポルノ画像の原型--性的な部位を視覚的に誇張した身体、に当たるものだったせいかも知れない。

 

www.h-up.com

 

彼女の一人称視点から人生を描いた本が出てますね。観賞・解剖される側だった存在を自分の言葉で語らせているのはとても興味深い。いつか買うぞ。

 

異形のエキゾチックな姿には、科学者らも大いに刺激されたらしい。存命中は生きた見世物として注目されたが、天然痘で若くして亡くなった後も、医師によって標本(脳と女性器をホルマリン漬けにされた)にされ、更に長い間、見世物となった。性器の標本てひどいな。結局そこかい。

1974年までパリの人類博物館で展示されていたが、2002年に南アフリカの要請を受けて返還、ようやく手厚く埋葬されたという。よかったですね。合掌。

 

 

 ◆植民地支配

だが根っこにあるのは、未知のエスニックなるものへの好奇心だけではない。

 

ひとつには、当時はダーウィン進化論に基づいた科学観が強く働いていたことが挙げられる。

「進化」や「進歩」の尺度を人間相手に適用するということは、人間に優劣を付けることに直結する。西欧白人社会を上位(事実上の最高位)に置く価値体系のもと、世界の様々な人種や民族を画一的に評価しようという学術的動機が旺盛だった。なんてひどい…。しかし当時は本気で「高・低」「優・劣」の評価軸で、まるで動物の分類のように人間を仕分けていた。理性と科学に基づいてやっている分、単なる娯楽や差別感情よりもタチが悪い。それはもう「正義」に他ならないからだ。無論そうした理性・知性の暴走と限界によって2度の世界大戦へが引き起こされ、西欧は絶望と自己不信に叩き落とされるわけだが…

 

そしてもう一つは、植民地支配とその経営を正当化しようという動機である。産業革命、資本主義化、植民地支配は、先進諸国間で繰り広げられる競争に結び付く。海を渡って領土を支配し、資源と労働力を確保し、安価に作った製品を西欧の市場で売る。その市場競争に勝利することが命題であった。(あんまり今と変わらない気が…)

近代化を果たした先進国には、植民地経営はすなわちこれらの未開の部族や国々を進歩の階段へ導き、引き上げていくミッションなのだ、という自負と自己正当化が少なからずあっただろう。

 

そうしたものが先進国としての自尊心を満たすものとして機能していた。それは日本も例外ではなかった。 

 

 

◆日本の立ち位置_内国勧業博覧会、人類館事件

本展示の見どころだったのが、日本の立ち位置の転換である。日本が西欧列強によって「見られる」側から、先進国として植民地を「見る」側へと移行するための努力をしてきたことと、そのアンビバレンツな立ち位置がよく分かったのだ。

 

日本にとって最初の万博経験は1862年のロンドン万博で、福沢諭吉らが文久遣欧使節団として派遣された。先進国の仲間入りですね。

しかし1867年・パリ万博に訪れた渋沢栄一は、自分たちが特産品と同じように見なされていることを記していて、「一万円札の肖像にもなる日本の超エリートが、異国の土産物や珍獣扱いだったなんて…」とけっこう複雑な心境になった。今でさえそう感じるのだから、当時のアンビバレントな思いはお察しです。

1889年・パリ万博では「日本人村」が展示されたが、そこでは差別的な見世物の視点というよりは、ゲイシャ・ウキヨエなどのジャポニズム的な関心を呼んだ模様。南蛮貿易キリスト教の受け入れをやってきたからから、はたまた美術・工芸品の美的水準の高さが評価されたからか、まだ対等に近い付き合い方をしてもらえたのではないか。 

 

興味深いのが、日本の行動の速さである。西欧の万国博覧会と同じような催しを自国で企画してしまう。

それが内国勧業博覧会で、1877年に初回が催され、1903年の第5回で終了した。翌年の1904年には、日本は日露戦争へ突入し、その予算確保のため第6回は見送られた。趣旨としては、日本国内と欧米の技術・産業とを集合して紹介し、産業増進、富国強兵を図るものだったが、回を増すごとにお祭り的イベントの要素が強くなったという。その後も各地で種々の博覧会が催され、珍品だけでなく会場全体のイルミネーションやロープウェイや背の高い建築物など、近未来を先取った空間が演出される。エッフェル塔シンドロームでしょうか。

ちなみに当時の会場が、本展示の開かれている京都・岡崎公園であり、大阪・新世界の通天閣あたりは内国勧業博覧会の跡地ですって。へえー。ルナパークってやつですか。あそこ、酒飲み天国の串カツ屋街が、100年前は最先端の地だったのですね。おもかげがない。

 

時代を経ると、植民地経営的な、異民族支配の視点もまた導入されていくことになる。そうして日本主導による異民族の展示は必然的に企画されたが、代表的な出来事が「人類館事件」である。もう名前がすごい。大体想像がつく。

事件は1903年・第5回内国勧業博覧会で起きた。うわあ大阪会場ですやん。「学術人類館」というパビリオンにて、アイヌ人や台湾の高砂族、沖縄人、インドやトルコ、アフリカなどから32名の人々の日常生活を展示しようとしたのだ。その宣伝を見た清国(中国)が漢民族の展示予定に気付いて抗議し、事前に取りやめとなったのだ。また、沖縄県からも開催後に抗議が寄せられ、沖縄県人の女性2名の展示が中止となった。

 

この抗議は現代の私達が思うような人権・人道的観点からのものではなかったらしく、「自国民が他の劣った民族と同等に扱われたのは屈辱である」という抗議だったという。民族や国家の間に優劣の観点が付きまとい、それが支配される側にも共有されていることが地味に衝撃である。

この人類館事件の後も「拓殖博覧会」などでアイヌ人や台湾先住民、東南アジアの諸民族などの展示が行われていく。こうした植民地覇権を競った帝国主義バトルの末に、日本がどうなったかは言うまでもない。

資料によると1958年「ブリュッセル万国博覧会」が万博における「エスニック・ヴィレッジ」の最後となったようだ。

 

 

 

◆写真の果たした役割 

( ´ - ` ) そこで写真ですよ。

 

ここまで書いてきたような西欧人を頂点した帝国主義の世界において、異民族を順位付けし、支配し見世物にするというムーブメントを支えたのは、博物学や人類学、医学といった近代的理性、合理主義の知である。そのデータ収集と分析、根拠付けに用いられた強力な手法が「写真」であった。

 

象徴的だったのが、ロラン・ボナパルトの撮影した人物写真である。あのナポレオン1世の孫で博物学者だ。写真はネイティヴアメリカンなど異民族を撮ったもので、正面と側面の2枚1組から成る。それはまさに記録・測定のための厳密な、冷徹な写真で、囚人・逮捕者の記録写真に近いだろう。(=アルフォンス・ベルティヨンのマグショット)

この写真によって、諸民族の顔・骨格の造形を測定して特徴を記録し、顔の各パーツがどれぐらい離れていたらどれぐらい自分たちに比べて劣っているかを厳密に評価したという。なんでそんなことすんねや。こんなん見せられたら、アウグスト・ザンダーの写真がとっても暖かく感じます。よよよ。

 

こうした帝国主義の支配の視座に、写真という近代メディアがどれほど貢献してきたかについては、先行研究も多いだろうし、本展示の主眼ではないので省略します。

写真の暴力性とは? やはり植民地支配の旺盛な近代に生まれた技術・メディアゆえに、その本質的な相性は良いのだろう。見るということ自体の暴力性、支配へと続く力に気付かされる。写真とは力そのものなのだろうか?

しかし一方で、写真という克明な記録が残されていたからこそ、帝国主義の視座、何を考えていたか、世界が何に囚われていたかがこうして後の世で確認し検証することができる、とも言えるだろう。むりやり前向きな話をしました。がんばろう。

 

 

2025年、大阪万博あるんですよね。

万博は誰にとっても楽しい催しであり、企業や自治体にとっても集客のビッグイベントであるため経済的な恩恵が非常に大きい。不特定多数の人間が集まる場では、テロや感染症の拡大防止といったセキュリティの観点で、個人の認証・選別は恐らく喫緊の課題となる。視座と技術には少なからず、時代の要請に応じた支配の力が動員されるだろう。

 

などと思いながら。

 

( ´ - ` ) 完。