nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R2.12/19_小池貴之「Домой ーシベリア鉄道ー」@galleryMain

美しく暗いモノクロフィルムでの旅写真。タイトルのロシア語「Домой」(ダモイ)「家へ・故郷へ」といった意味があり、単独で使われる時には「家・故郷に帰る」という意味を持つ。 

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【会期】2020.12/15(火)~12/20(日)

 

第二次大戦後にシベリアに抑留されていた日本人が現地で覚え、持ち帰ってきた言葉でもある。(あの有名な「ノルマ」という語も同じような経緯で日本へと持ち込まれたとか。) 

どこか薄暗く寂しい歴史を孕む語だが、本作は戦争の歴史や過去を眼差すものではなく、今のロシアを旅する中で出逢った光景や人々について物語る。その舞台はシベリア鉄道ウラジオストクからモスクワまでの約9000㎞にわたる長大な移動である。

 

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作品はモノクロで、しっかりと黒を焼き上げていて、列車の外側には果てしない闇と霧と草原が広がっていることを想像させられる。あまりに国土が広すぎ、路線がべらぼうに長いせいか、写真を追っていてもどこかへ移動している実感が湧かない。地球の踊り場のように列車の時間は続く。

 

そもそも作者の旅は明確な目的地を持たない。あるとすればシベリア鉄道に乗ること自体が大きな旅であり目的地なのだろう。

撮影は2回の旅で行われた。1回目は2018年4月下旬の12日間、2回目は同年8月中旬の11日間で、それぞれ途中下車や街での滞在を含めての行程だが、ほぼシベリア鉄道の中で過ごしている。

新幹線で言うと、東京―新大阪・556.4㎞を約2時間半で、東京ー鹿児島中央・1360㎞を約6時間半で走るが、シベリア鉄道ではウラジオストクーモスクワ間・約9,300㎞を5泊6日かけて走る。時間と空間のスケールが違い過ぎて比較や想像のしようがないが、交通機関で片道1週間近く過ごすというのは現代の「移動」の身体感覚としてはありえない尺度だ。

想像が出来なかったのでシベリア鉄道についてWeb検索したが、旅行会社の紹介記事も個人の旅行記も滋味と愛が溢れていて、中でもロシア人:車掌や売り子、同乗者との出逢いと交流が醍醐味であるらしかった。ツアー宣伝記事も積極的にロシア人と会話しましょうと勧めている。寝台や個室の割り当て上、見知らぬ者同士が同席になることが多々あるらしい。

 

あまりに長い時間を車内で過ごすためか、乗客らの生活や体と車内とが部分的に溶け合って密着している。宿に着いて荷を下ろして、そこから行き場もないまま数日間過ごしている状況を想像すると納得する。移動と定住の狭間。家族連れが卓上にペースト状の食料と大きな包丁を置いている、シーツにしがみ付いて寝ている客を上段のベッドから見下ろしている、昔の日本の寝台列車と同じく座席と寝台が同じらしい、腰かけて呆然としている男性、クロスワードらしき雑誌と向き合う客の向かいの席で横たわり寝ている客…。 

 

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「Домой」は車内で出会った様々な人たちが、作者と親しくなってくると多用してきた言葉だという。現地の乗客らにとっては家へと帰る道中であるとともに、この長い列車の時間が移動であることを超えて、家に準じた空間であるのかも知れない。一方でロシアの人ではなさそうな人々も写る。作者と同じく旅行者だろうか。

 

窓の外にはアットホームさとは裏腹な寂寞とした光景が過ぎ去ってゆく。日本の柔らかくて丸い光景に慣れていると、どの国の景色もざらついて見えるのだろうが、モノクロフィルムの質感が時間と空間の遠近感を吹き飛ばす。それは現在なのか数十年前の過去のことなのか、この闇と影の向こうはどこに繋がっているのか。YouTubeシベリア鉄道の旅をかなり細かく実況する動画を見つけたが、動画で見る実際のロシアの光景は本作のモノクロ写真世界と全く別物だった。だからこれは「写真」の旅でもあるのだろう。モノクロフィルム写真の粒子の奥行きは過去に積み上げられてきたイメージの層へと連結する。そうだ、イメージの世界。

 

そこに、白く光る十字架が現れる。

電柱か、いや背が低すぎる。鉄道標識の類か、いや何の目印も付いていない。唐突すぎて、信仰すら連想させない。怪異だ。過ぎ去ってゆくはずの異国の風景に打ち込まれた十字は、闇をそこに生け捕りにする。 

最後は、ディズニーランドの亡霊のようなキュートな宮殿のカットで締め括られる。これは観光名所の一つに数えられる「聖ワシリィ大聖堂」だろう、だがそのお菓子のような建築物は、終わらない夢の中のように聳えている。

 

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乗客同士の親密な距離感と、旅情の向こう側へ踏み込むモノクロのシベリアは、現実の鉄道旅行の記録とはまた異なる世界を紡いでゆく。それは写真そのもの、現実とフィクションの狭間――「イメージ」への旅だと感じた。

 

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ウォッカをごちそうになりました。ありがとうございました。元気になる! 

 

( ´ - ` ) 完。