nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R2.12/19_中谷芙二子×高谷史郎「霧の街のクロノトープ」@京都・北河原市営住宅跡地

霧の彫刻家・中谷芙二子が京都の空き地で霧を噴かせていて、会期がもう終わる、と聞いて、いそいそと駆け付けます。ました。いそいそ。

 

中谷芙二子作品は、アートイベント好きな人間だと横トリや瀬戸内で出会ったことがあるかもしれません。場に立つとシューシューいい始めて、どこからともなく霧が立ち込めてくるという、形なき環境・体験型作品で、言葉で言うと地味ですが、体験するとなかなか非日常です。

 

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【会期】2020.12/5(土)~12/20(日)

 

なんといっても霧は、全方向的に場を覆い尽くす。こちら=主体を回り込んで包囲し、場と主観との分界線を失わせてしまう。日常へのテロのような力があります。

 

テロ行為自体は卑劣でゆるせませんが、テロリストの眼とか感性というのは存外ばかにできないところがあって、日常の平板さを支えている(=強いている)権力(への盲従)を撹乱しますので、まあなんとなくでも定期的に浴びておいた方がよろしい。しゅうう。テロっていうかゲリラと呼ぶべきですか。しゅううう。

霧で視界が奪われ前後左右を喪失すること、これは現代社会においてたいへんな時間その他様々なロスを生み、社会をロストさせる、素晴らしいですね、いや作品にそんな解説も評論はないので独り言ですが、Googleアースに驚嘆し、Googleマップに依存しながら位置情報を搾取され続けているデジタルドレイな私にとっては、世界企業からの解放の意味がこの霧隠れの楼閣にはあります。

 

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東福寺駅で降りたら川を渡ります。劇場「THEATER E9 KYOTO」の近所で、路地1~2本しか離れていません。このへん路駐がすごいんやけど何がどうなってんすか。まさか私道じゃないよねと真顔で困惑するレベル。

 

あっ白煙が。昼間っから白煙ですよ。

 

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なんか白煙がすごいことになってるの図。

 

見た瞬間まず思ったのが「よくこれ消防とか役所が許可出したなあ」という感嘆です。白い。白いですよ? 火事に負けてない。水蒸気の粒だから火災の煙のように空へと立ち上っていくのではなく、地を這うように横へ流れながら宙へ拡散する。図体が重いんだ。しかしこの日は風が強いから周辺の建物に白煙がぶち当たっていき、壮観です。作品が自然環境へと還る前に一発、人の世に牙を剥いたような光景です。

 

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白煙が建築物のように立ち上っているの図。

 

そうなんすよ。建築物なんです。煙が。

思わず倒置法ですがこれは感銘を受けているためです。

建築物の存在の影が逆転して現れたのだと思いました。影にプラスとマイナスがあるとすればきっとこれはプラス側の影です。

 

実際ここには大きな団地が建っていたというのですが、当然ながら地元民でも何てもないので記憶もないし、平らな土地では想像もつかず、「土地だなあ」「平らだなあ」と思うのみです。しかし霧は噴射されると、濃厚な白さで立ち込め、横に広がるよりも縦に積み上がってゆく。仮設の骨組みに噴霧装置が付けられているので、その建物の形をベースにしながら膨らむのです。

それは記憶や印象の中にのみ存在する建築物が、こちら物理的世界に具現化した、ハーフのような存在でした。プラスの影。あい。

 

 

あっ霧がやんだ。

 

入場します。会場の出入口と受付があるのだった。受付で氏名や出身都道府県を書きます。ハイパーねこ子。うそです。

 

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土日ダイヤだと霧は20分間隔で噴霧されます。平日は気象状況によってランダムに出るもよう。さすがに毎日この量の霧が噴いたら近隣で火災があっても気付かないかもしれません。気付くんかな。わからへん。それぐらいすごいってことや。

 

 

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原理はめちゃくちゃシンプルで、溜めといた水を骨組みに行き渡らせて、噴射。でもそれをお金かけて、大規模に、建築物のレベルでやってるのと、やはり手続きを踏んで行政の許可を得たり周辺住民の了解を得てる(たぶん)のが凄い。こういうのは歳をとるほどに実感しますね。

学生の頃は映えがどうの技巧がどうの天才性がどうのと評しがちですが、年老いて社会の歯車と化せば化すほどに、クリスト的な行為がどんだけ面倒くさくて不可能に満ちていることか、ひしひしと理解します。衝動と事故がイケる時代じゃなく、対話と了解が原理原則になってるんで、手間がね。ジェネレーターひとつとっても「うむ、」「調達の手配、めんどくさそう」「真似できへん」と思ったりするわけです。あかん。夢がない。夢を見よう。寝ます。

  

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社会的落武者のごとくして老け込んでいたら再び噴霧が始まりました。霧が攻めてくる。バルサンで燻される虫の心境です。誤変換で「慰撫される」と出ましたがそれもあながち間違ってない、むしろ正しい。

 

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この日は風があって霧が流れ気味です。そして霧は水滴なので、まともに食らうと冷たい。濡れると風が寒い。寒い。ぎゃああ。そういう状況を喜んでる観客が十数名もおり、この人たちとは酒を飲み交わしたい。

 

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噴霧される位置と量がどんどん移り変わってるのか、なんか立ち位置によって霧の量がえらく違います。例えばこの場合は、私の立ち位置だと霧ゼロですが、少し向こうは個人情報(顔)が秘匿される勢いで白いです。

ちなみにここは戦後色んな人たちがバラックをおったてて住み着き、ややこしい地域だったらしく、マンモス団地を立てて追い払ったそうです。当時の姿を拝める情報がWebでは出てきませんでしたが。マンモス団地ってどの規模からマンモスと呼ぶのだろうか。団地ってここ一棟だけ? まさか周囲も立ち並んでたのか? 謎が多いですね。

今では野外公演やこうした屋外アートの展示会場となっています。

 

では霧の中に突っ込んでみましょう。わたしも霧になるんだ。そして外形もろとも記憶も無くそう・・・ 私は誰で、何処に? アーッ。

 

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アーッアーッ。そして私達は自ら進んで迷子になった。どこにも迷いようのない、区画の定まった空き地で立ち止まったまま、何ものでもなくなる。お互いの顔認証が不能となり、全てが影となったことを喜んだ。見えなくなる、見られなくなる、だがそこに何者かとして居る、感情も意図も体温も、思想も主義も分からない、人の形をした何者かになる・・・それが面白い。プラスの存在感を持った、正の影です。

私が観に来たのは「霧」だと思っていたが、どうも霧そのものを見て興奮しているのではないらしい。では何を? 見ていたのは、霧によって昇華され蒸発した「関係性」だったのかもしれません。

 

「霧」というと自然と触れ合うイメージがあろうかと思いますが、そんなこと全然なかったです。自然現象ではあるかもしれないが、思いっきり人工的です。なぜだ。すぐそこに背丈よりも高く組み上げられた鉄骨、その上部に据え付けられた噴霧器が無情に細かい水滴をブシャーって散らしているからだが、それだけではない。

霧とは何なのか。どうも可変的で捉えどころがない、それは白ごはんを食べてるときにふりかけの存在をどう定義するか? ランチにおけるお冷やをどう定義するか? と問われた時の困惑に近いものがある。思うに霧は、何かと何かの間、「私」と対象物との間に流れ、「何か」をことごとく曖昧に覆ってゆくため、その「間」が際立ち、関係性が浮かび上がることになるらしい。

 

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見えねえ。一番勢いよく噴いてるところに突っ込んでみましたが、たいへんですわ。みえへん。白い。何も見えん。関係性とか言うてましたが濃度によってはそれすら無くなります。白い。

 

主観は明瞭なのに、見えない。こうしていくうちに、たちまち東西南北や前後左右が見失われ、国家を見失います。唐突やな。すまん略した。しかしだね君。何だったのやら、分からんようになりますよ。なりますなあ。わからん。日頃から分かりませんけども。確実に言えるのは、分からんとか知らんとか言いながら、霧の中では、主観の意識自体は明瞭なのです。

なので霧の中を彷徨うと、よりクリアに見失ったのです。何を。自己を見失ったのか自己の立ち位置を見失ったのか。どちらもそれは帰属先の問題へと行き着きます。みんなパスポートを常時携帯しているわけではないからな。

白い中であなたと私、私と私の在り様が見えなくなると、確実に主語の問題が出てくる。主語が無化されてゆき、浮くんですね、五体が。ふっと。カフェイン摂り過ぎやろというツッコミの声が聞こえますね。はい、はい。まあ。成人男性のみなさん一日500㎎までに抑えましょう。浮くぞ。

 

タイトルの「クロノトープ」とは「場所の記憶を引き出す装置」とのことだが、その装置を起動させるためには、霧に突っ込んで迷子になる前に、この東九条から東七条にかけて、崇仁地区の歴史と現在を知っていなければならないだろう。でないとただの霧のアトラクションになるでな。なっていいんですけどタイトルの意味はわからんと思います。

かく言う私は、崇仁地区や東九条のあたりを何度か歩いており、他の市街地・住宅街との土地柄や歴史の違いは知っていますが、上記のとおりローカルの歴史をすっ飛ばして自我そのものを飛ばし始め、虚ろな世界に行こうとする始末。歴史リテラシー能力値は低めということが分かりました。低いか? あえてそう振舞う。たまには戯れたいんだよ!(逆ギレ)

 

こういう場合、歴史や土地の固有属性を無視して、作品を独自解釈で遊ぶ態度というのはどのように評価されるんでしょうか。「それは人によります」「あなたがどういう立場の人か、作品に対してどのような責任を負っているかによります」霧の中から声がします。はい。そうですね。統一の解はない。

だがそれはやはり戯れである。歴史は戯れの対象となるのか? だが個人のレベルでは歴史は不問としてもらわないと正直キツい。ここにアートとサブカルや観光が同一視されるスライドの連続面を見ました。その連続を生じしめているものは? まだ見えません。霧ですから。おほほ。見えないふりをしました。これは夏休みの宿題にします。たぶん天皇制の話になります。うそです。

 

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楽しかったです。

ただし寒いので、1ラウンドで終了して上がりました。霧は神秘的ですが、衣服や体に付着するとただの水です。濡れるわけです。寒い。気化熱奪いすぎ。完全に物理界の側に来ると、霧は現実以外の何物でもなくなります。不思議な存在でした。存在? いい日本語が見つかりません。それではまた。

 

( ´ - ` ) 完。