写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】R2.3/13(金) _友長勇介「写真素志Ⅱ」@GALLERY 176

 【写真展】R2.3/13(金) 友長勇介「写真素志Ⅱ」@GALLERY 176

 「黒」の美しいモノクロフィルム作品で、写真の旅に出る。 

【会期】2020.3/13(金)~3/24(火)

 

 

ゼラチンシルバープリントは美しい。デジカメに慣れ親しむとそれだけ一層、実感する。ノスタルジーではない。画像の全体に奥行きがあるだけではない。電気が通っているわけでもないのに、内側から光を帯びるのだ。

さらに言えば、「黒」が真に黒いときこそゼラチンシルバープリントは美しい。黒い「黒」は貴重になった。言うまでもなくフィルムを駆逐したデジタルカメラとインクジェットプリンタの功罪のことを指す。フィルムへの近似、追随から生み出された「黒」、インクジェットが打ち込む「黒」は、なるほど確かに黒い。だが硬く、奥行きがない。眼は潜行できずに手前で止まり、打ち返される。物質としての黒だ。そこから先へと行けない点では安全ですらある。すなわち色情報としての「黒」だ。

フィルムによる手焼きのモノクロ写真では、技量次第で黒はどこまでも奥へとゆく。眼が墜ちてゆくような深さの黒がある。情報を吸い込む暗黒である。友長作品の、過剰なまでに焼き込まれた「黒」は、情報を吸い込む引数としての「黒」だ。その見えざる引込線は過去――写真史への誘いを孕む。

 

本作であえて高温で現像されたトライXは荒々しい白と黒を醸す、少しノイジーな描写のスナップだ、しかし攻撃性や暴力性は伴わない。「切り取った」というより「迷い込んだ」ようなシーンが続いていく。日常・地元である大阪の光景に、様々な旅先の光景が差し挟まれる、そして過去と最近とが混在している。一番古いもので10年前ぐらいだろうか、写真の並びは時系列にも地理上にも交錯している。

 

20点に満たない作品のほとんどは日本国内で撮られている。日本海側の寒々とした光景が印象に残る。路上に残る雪、モノクロの「黒」が温度を奪い、寒さを引き立てるためだ。それは生命の温度も奪う。卓上に放り出された魚の頭、路上に横たわる鳥の死骸、古本の束、皺だらけの新聞、リアルなマネキンで作られた案山子・・・ 体温を奪われた像は、周囲の意味から浮き上がる。写真自体が具体的な場所・時間との紐付けから浮遊してゆく。

中でも、大統領選でのオバマ優勢を告げる記事を載せた古新聞、暗がりの中に並ぶ天皇史の全集のタイトル、政党ポスターと消費者金融の看板の密集、レトロ映画のポスター、スクリーン上の古き俳優といった、メディアの表皮を撮り込んだモノクロームは、「今・ここ」から浮かび上がり、写真がかつての日本――「昭和」に連なっていることを証言し始める。

「黒」は、ドキュメンタリー性、撮られたその時点を指し示す記録性を吸い込んでゆく。その引力は、往年の著名な様々な作品の系譜の記憶へと結びついてゆく。それゆえか、旅先の写真であるにも関わらず、旅情やノスタルジーの気配は薄い。作者個人の旅の記録や心象というよりも、昭和写真史の世界へと誘われる思いがした。

 

 

( ´ - ` ) 完。