写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】R2.3/2 ※2020年度・修了制作展の延期(→7月上旬に)

【写真表現大学】R2.3/2 ※2020年度・修了制作展の延期(→7月上旬に)

( ´ - ` ) 私の所属する「大阪国際メディア図書館・写真表現大学」の「修了制作展」ですが、本日3/2(月)に館長決定があり、7月に延期になりました。

 

※従来の予定では2020.3/10(火)~3/15(日)でした。

 

これはもう、言うまでもなく

新型コロナウイルス感染症の影響によるものです。

 

( ´ - ` ) たいへんに残念ですが、皆様、

 また7月上旬、改めてお会いしましょう。

 

 

新型コロナ収まってたらいいな。

 

 

収まってたらいいな。(二度言う)

 

 

( ´ - ` )ノ アルコールまくぞオラァ!!

 

 

( ´ - ` )ノ ビシャッストロングゼロ

 

  

講師と生徒らが集団で、まあまあ至近距離で設営作業を行いますし、その後の5日間の会期でも、少なからぬ観客が来られるので、不特定多数の濃厚接触にあたってくるおそれがあります。

日本中がいつどこで、誰が感染するか分かったものではない状況のため、延期が決定された次第です。

会場の「同時代ギャラリー」は相当広いんですけれどね。写真系だけで30名近くが展示しても余裕。それに映像系とかサウンド系が加わります。それらが余裕で展開できる優れたスペースがあるのですが。あるのですけれども。

今回は分がよろしくない。

 

よろしくないのです。

 

美術手帖にも、美術館・博物館休館情報まとめが。

 

2/20の厚労省発表では、大規模イベントの「見送りを検討」してくれとお願いベースだったのが、2/26には首相から「今後2週間は全国的なイベントはスポーツ・文化イベントの開催を自粛」と、踏み込んだ要請へと引き上げられました。その後は更に、幼稚園・小学校・中学校の3/2からの前倒し休校の要請へと更にアクセル。関東・関西問わず、公立の美術館、博物館まで一時休館が相次ぎました。

この2週間が大流行を防げるかどうかの瀬戸際。だったはずです。無観客試合なるものが全分野で催されることとなりました。トイレットペーパー買いに並んだ民衆は涙目です。自主的に濃厚接触。ぼっちでTwitterで悪態をついている方がまだマシだったのでしょうか、神様。

 

 

でも修了展の延期は、正直ほっとしました。

 

感染経路の不明な感染者が全国で散発的に現れる今、いつ自分がウイルスを持ち込む側になるか分からず、そしてその際には、この修了展が次の感染源として推定されるかもしれない、そのリスクも全く分かったものではないためです。いややわあ。

 

野田秀樹氏が昨今の劇場閉鎖について危惧するコメントを寄せていましたが、私の考えはまた異なります。一つの舞台を皆で作り上げる演劇集団と、写真・映像勢とは、また感覚が異なるものです。めいめいが別の生活、仕事を持ちながら、別のテーマで写真・映像を作っている集まりなので、誰も責任が取れない。それ以上に、誰もが無意識のスプレッダーになりうる。万が一の際に報道で「ここで生徒が4,50名集まって設営作業をしていたとのことで・・・」と、うちの学校や会場が映されたら目も当てられません。くう。

 

しかしこれが不安感か、何なのか、実際よく分かりません。

列島も庶民の暮らしも、どこか異様な状態なので、いつのまにか私自身、双頭に浮足立っています。Twitterと新聞・ニュースサイトを何度も更新しては、動向を注視する、という生活パターンに入ってしまい、土日は修了展の準備にフルに充てていたのに、PCの前で何もできなくなりました。迫りくる超大型台風の暴風円をじっと見ているだけのような、痺れた状態。90年代中ごろから蔓延した「何かが起きそうな気配」を「待ちわびる」、例の末期的な感覚がより顕在化したもの、かも知れません。当時はインターネット接続が日常ではなく、常に報道は何テンポも遅れてやってきた。今、全ては常にリアルタイムで直結してくる。「日常」の膜が破れる瞬間に、何度も立ち会おうとしてしまう欲望が止められなくなります。世界が綻びる姿を見たい、のでしょうか。分かりません。やめられない。分かりません。これは何なのでしょうか。

 

この欲望を肯定しきって、心身ならびに言行一致をフルコミットした状態が、もしかすると「転売ヤー」等と忌み嫌われる存在に近いのかも知れません。自分の中にある繊細なモラルや良心を棄てて、恐怖や綻びの熱そのものに自分を明け渡す。そして一般大勢の持っている時計を壊しにいく側となる。破壊的かつ衝動に対してあまりに素直で率直であるがゆえの「正義」。私は正義は特に欲しくもありませんが、この良識ある日常がじわじわと熱病に侵攻されていく様子からは、眼が離せないのです。明らかに、これが終わってほしいとは思っていないことが分かる。しかしそれを肯定してしまったら最後、もう表現者にも、表現を評する者にも戻れなくなる、その儚くあざとい理性だけが、私をトイレットペーパーに駆り立てない掛け金なのです。よよよ。

 

 

僅か数日、1週間のあいだに、色々ありますね。ありすぎて分からない。通過しない台風のようにニュースのタイムラインが終わりません。

昨今の報道を見ていると、検査件数が異様に低い、抑えられているだけで、軽症もしくは無症状で済んでいる「感染者」はもっと多いように見えます。クルーズ船の感染者数700余名を除けば200名そこいら。お隣の韓国が、宗教団体という超・濃厚接触の環境にあったとはいえ、一桁違うのは、韓国がひどいというより、本来そのぐらいの感染者数は潜在しているだろうと

 

 

3/1(日)夜22時、これまで奇跡の防衛線を守ってきた兵庫県でついに初の新型コロナ感染者が確認され、西宮市長と兵庫県知事がそれぞれ緊急の記者会見を行いました。

内容は淡々としたもので、その時点で分かり得る事実を報告しただけのものですが、西宮市にせよ兵庫県にせよ、抱えている人口規模が相当大きく、また神戸、大阪へのアクセスが良いだけに、今後の広がりが懸念されるところです。どうなるのでしょうか。特に何もならないかもしれません。

 

 

こうして脳のどこかが常にぼんやりと熱いような、ふわふわと浮いたような状態で、このまま4月中頃までだらりと流されていく気がします。亜熱帯の気候に似ています。亜熱帯の中で、何かを考えられる状態にはなく、その日その日で起きる事態に痺れ続けて、生きていくのです。なぜこんなに何も考えることが出来ないのでしょう。やはりこの状況が何らかの欲望を突いているからでしょうか。恐怖なのでしょうか。分かりません。ただ、感染者数と死者数と感染者の確認された国の数が増えていくことに、異様な、浮ついた、薄っすらとした、熱を感じます。これがどういう感情なのか、私は言葉を持ちません。亜熱帯だ、とだけ思いました。

 

 

7月に延期された修了展は、また時期が来たら広報します。

それでは、それでは。

 

 

( ´ - ` ) 手洗いしましょうね。