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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【展示】勝又公仁彦「わたくしのいもうと」@IG Photo Gallery

 【展示】勝又公仁彦「わたくしのいもうと」@IG Photo Gallery

写真家・勝又公仁彦による空間インスタレーションは、2019年1月に自身の妹が突然逝去したことを受けて企画された。展示では、遺された側の「喪失」を科学的に現わし、それにより様々な示唆をもたらしていた。

 

【会期】2020.1/10(金)~2/15(土)

 

 

 

様々なテーマを同時並行で進行させる勝又公仁彦氏の、これまでとは大きく異なる/根柢では祈りや喪といった深い部分では共通する展示である。

 

www.hyperneko.com

 

blogを書くに当たり、普段なら記事の分類項目として「写真展」や「ART」などを割り振るのだが、本展示は無数の写真、動画映像、言葉に加え、それらを再生するデバイス、配線、遺品、特に衣服、更には勝又氏自身の蔵書、対話型セッションなどの催しも含め、非常に複合的な内容であるため、「写真」への分類することが躊躇われた。同時に、「アート」という言葉の軽さ、いかなる表現も市場へと送り込みかねないこの符号を付すことも適切でないと感じつつ、記事の管理上の混乱を来すため、カテゴリーは「写真展」と「アート」の両方とした。

  

 

今回の展示に至った経緯や、妹との関係、そして逝去に際して状況や作者の心情について、作者自身が克明に書き表している。まず下記リンク先のテキストをじっくり読んでいただくことを、強くお勧めする。

<★Link> IG Photo Gallery

 https://www.igpg.jp/katsumata2020.html

 

 

掲示のないビルの3階にエレベーターで上がる。ギャラリーである「石田法律事務所」、白いドア、ガラスの向こうは暗い。閉廊しているのだろうか。だが扉を引くとすんなりと開いた。この暗さが展示なのだ。明滅と音がする。 

暗い会場の壁面には、端末の基盤やモニターが、コードとともに蔦のように張り巡らされている。それらが放つ光が方々で小さく青白く灯る。モニターには様々な年齢の女性の写真――どれも作者の妹が写し出される。生前の話し声が響く。時々、救急車のサイレンが鳴り、映像の中と建物の外とが混線する。壁の一面を埋め尽くす衣服を、プロジェクターから放たれる映像が照らし出す。ギャラリーは360度どこを見渡しても、亡くなった妹の情報で満ち溢れている。かたや、暗闇に灯る数々の電灯と数々の衣装、そして来場者が滞在できるスペースは、裏返ってお誕生日会のようでもある。

壁面に張り巡らされたモニターとコードの黒いメカニカルさが、この場をプライベートな思い出や身体性へと過度に陥ることを避け、場をフラットな共有のものへ引き戻している。展示物の配置や堆積、光量には冷静さがあり、ある個人の死、作家にとっての個人的な悲嘆を扱っているにも関わらず、身内の死去に対する部外者でも、こうしてその場に立っていることができる。ボルタンスキーと似て非なるのは、主題の主語の大きさや信仰の違い、個人の在り様の違いだろうか。

 

そうして室内で立ったりしゃがんだり歩き回って辿り着く結論は、亡くなった当の本人だけがいない、という、とてつもなく当然の事実である。これだけの個人情報と私物が提示され、第二の身体とも言うべき車いすが部屋の一角に鎮座し、帽子やストールが掛けられているのに、だからこそ、その主がいない、二度と此処には戻ってこないということが、痛切に浮かび上がる。気付いた時にはそこに、不在の穴が現われている。何を費やしてもそれは決定的に、絶対に埋められない。

 

ある個人の死がもたらすのは、その人がこの世からいなくなるということと、同時に、生きている者が死に取り遺されるということだ。遺された者たち、特に、来るべき死別に向かって納得や合意を形成する暇もないまま、不意の別れに見舞われた者たちにとっては、恐ろしく一方的な断絶である。理解も納得もできないまま、半身を持って行かれたに等しい状況のまま、こちら側の世界をまたいつもの通り生き続けなければならないという不条理が広がっている。

その解決策というか妥協の仕組みとして、様々な死後の儀式、行政的な手続き、財産や税の処理があり、次第に儀式の頻度は漸減してゆく。死後1~2週間は悲しみに暮れている暇もないぐらい慌ただしかったとか、手続きや親戚付き合いに追われているうちに死別を受け容れたなどという体験談は、よく耳にする。だが遺族が本当に完全に割り切って納得し、見送りを果たすことが出来たかどうかは、実のところ誰にも分からない。

口に出来ない事情での死別も多々あるだろう。言う相手もいないだろう。的確に言い表し伝えるための言葉を持たない場合が殆どだろう。何より不明に終わった「死」について考えても想像しても結局は分からないので辛いだけだ、という諦念が深いだろう。むしろ「もしかしたら自分が、その死に責を追うところがあったかも知れない」などと思い始めることのないよう、全てを伏せて、手続きの中で徐々に忘れ去られるべきとの意味合いも強いだろう。

「死」の特異点にあまり手や足を入れていると、その引力は様々なバリエーションで精神を引き込み、死別の誘因への想像を強烈に駆り立ててくるものだ。こちらの自我が特異点へと引きずり込まれてゆかぬよう、喪失の念に駆られ、生きたままあちら側へと行ってしまわぬよう、遺された者に出来ることは、儀式・手続きを滞りなく執り行い、悲しみの時間を過ごした後は速やかに、日常へと時間を回帰させることに尽きるとされている。

 

本作は、作者の身に起きた死別の経験をもとに、死から弔いへ、日常への回帰してゆくはざまにある喪失の特異点の状況、語り得ぬ地点のことについて、出来るだけ科学的に再構築し、顧みる場であったと言えないだろうか。

会場の入口付近に立った時、他の来場者らが暗がりの中で、背にぼんやりと光を帯びて重なっているのを見て、拡張されたお通夜のように感じた。喪失の真っ只中から、迅速に執り行われる儀式の出だしのところを、広く客観的な場へと移行させたのだと感じた。普通なら誰も触れられないほどの悲痛な場となり、あるいは慌ただしく機械的に処理されてしまう「死」と「弔い」の間にある、やり場のない・形なき・壮絶な思いを、無かったことにしないための。ただし、喪失の中に広がる途方もない特異点へと引きずり込まれてしまわないやり方を採ること。「死」を想い、改めてその場に立つこと。そんな試みの現場であったと察する。

 

 

以上は、一般論である。

しかし良い機会なので、以降は本展示の主題からやや逸れつつ、現地で感じた私見を述べてみたい。

 

私は「死者は蘇ることが出来ない」と深く実感した。

間違いなく、死者は蘇ることが出来ない。作者は本展示において、およそ出せる限りの、故人の生前の情報を網羅している。にも関わらず、この空間が語るのは、その帰属先となる「その人」がもういない、という圧倒的な不在の事実である。

主を失っている衣服や写真や車椅子は、形のない穴を強く形成する。どこにも通じない、そして出られない穴だ。喪失それ自体がこの空間にはある。(だがちょうど私達が間違えて陥ってしまわないぐらいの濃度とサイズに絶妙に抑えられている。)

 

その時脳裏を走ったのは、情報処理技術の革新に伴って進められるであろう、人の「死」や「生」に関する概念の刷新の可能性である。AIと通信技術の革新は、生や死を情報の問題として捉え直すだけの力を持つ(と期待されている)ため、我々は死を超えられるか、死なないということはあり得るか、といった話題を活発にする。そして個人の情報を網羅し学習させ複製出来れば、「死」という概念は無くなるかもしれない、等といった科学的想像の談話にも花が咲く。

私も、まあ数十年後には何かしら、個人(n)そのものの完全複製は無理だとしても、ふわっと代替しうる・似た個人(n+1)や個人(n+2)ぐらいは作成可能になるかもしれない、それはそれで面白い現象だ、ぐらいに考えていた。

甘かった。

死に遺された者たちの存在の議論が、完全に抜け落ちている。情報を収集し? 深層学習を重ねて? 故人は個人として存在し続けられる? だがこの展示空間を観よ。ありったけの生前の情報を持ち込まれたこの空間は、圧倒的な「喪」である。これを「生」に転ずること――「死」を無かったことにできる可能性など、微塵もない。全ては終わった後なのだ。

遺されたものたちにとっては、nもmもない。アルファもオメガも全てひっくるめて「死んだ」後なのである。そして「死」の外側、生の側に取り残されてしまったという事実だけが続いている。当人がどんな想いで生きてきたか、どんな気持ちで最期の瞬間を迎えたか、全ては特異点の中に行ってしまった後である。穴は、開いてしまった。それを無かったことには出来ない。無かったことにはできなくなった「生」を、今後ずっとそれぞれに生きていくのである。

 

「死」とは、ある個人に生じた事態を超えて、その人にこれまで関わってきた全ての人たち(もしかしたら飼い犬や猫や金魚やロボットなど人外の存在も含めて)にとって、その後の個々の「生」の、重大な一部となっているのではないか。死が周囲に広く引き起こした穴を、喪を、情報技術と演算は埋め合せできるのか。「とてもではないが出来ない」、私はたやすく観念した。

 

 

もう1点生じた思いは、まさに現在の「死」の見積もり――翻って、「生」の見積もり感覚についてである。

展示により、遺された者の抱えることとなった不在の引力を改めて知ったわけだが、疑問として立ち上がったのは、これだけの痛切で深い念と、死へと至ることとなった個人のありようが、なぜ日常社会においては完璧に隠蔽されているのかということだった。時折目撃されるのはいつも、個人の事情に満ちた「死」や「生」ではない。それらをまるで無かったことにしようとする言説や雰囲気の方だ。

死や喪失、そして結果的に不慮の死へと至った、様々な事情を抱えた「生」を、情報工学、医療、土木、あるいは精神論や常識、偏見などあらゆるものによって乗り越えよう(乗り越えたことにしよう)とする、いつもお馴染みの雰囲気が、急にまざまざと、ぞわっと、見えた気がした。展示の外側のいつも通りの世界に働く、近視眼的なコスト感覚の原理が、透けて見える気がした。

 

震災の復興、報道、Twitter上での感情戦、最新の情報技術、学校や会社内での力学、何でもいい、いずれの場面にしても、人の死や喪失、それらが分かち難く結びつく個々の事情に満ちた「生」を巡る感性は、今、どこまでも経済性・生産性の観点を抜きには語れない。AIにせよ5Gにせよマイナンバーの紐付けにせよ、情報化を叫ぶ動機と目的は、要は「我々はもはや立ち行かないから、何とかしなければならない」という、焦りにも似た国家の本音に尽きるからだ。

 

焦りや不安は伝播しやすい。いやそのように駆り立てられているだけかも知れない。真相は分からない。だが、経済性への傾斜と、死や喪失そしてそれぞれの事情に満ちた「生」は、相性が悪く、決定的に相反する。死や喪失は個人、「私」の問題である。皆で神輿を担がなければ祭りは成立しない、祭りが催されなければムラが終わってしまう。

だから個人の主義や心身の不調、性差の問題、その他不具合などの私事で、神輿を担がない者が出てしまうことを、次の担ぎ手を作らないことを、ムラは猛烈に怒り、非難する。理由はない。いや、無数にある。とにかく当番で、全員で神輿を担がないといけない。次の担ぎ手を作らないといけない。だって祭りだから。だから担が(げ)ない者は・・・ そんな光景を想像せずにはいられない。

貧すれば鈍し、余裕が無くなってくると、たちまちに生の生産性、死への算盤勘定(感情)が湧き上がってくる。著名人や国政に携わる者たちが度々、往々にして、障害者や高齢者、貧困層、性的マイノリティなどに対し、尊厳と多様性を欠いた発言をするのは、「失言」ではない。経済性の観点からの損切りの提言であり、本気の想いであり、彼ら彼女らにとって一大関心事なのであって、「謝ったら死ぬ」という揶揄は別の意味で正しい。

その国家観(という体の超短期的功利主義の感性)は、多彩な個々人の「生」を意図的に無視する。と言うか、せざるを得ない。ばらばらの個は巨大なコストとなる恐れがあるからだ。損は切るものであり、じっと見るもの考えるものではないからだ。「生」の状況を複雑にしかねない「死」や「喪」、その辺縁から抜け出せずにいる「生」もまた、損切りの対象に数えられ、嫌悪される。フリージャーナリストが紛争地で拘束された際に投げかけられた「死ね」「日本に帰ってくるな」という無数の言葉は象徴的だった。超短期的功利主義損切りは、一定の民意すら得ている。例外的に、その生と死が国家や社会の在り様を肯定する(=経済観念に叶う)場合には、扱われ方は一変する。

 

今、死は、安く見積もられてはいないか。

文系の学問や素養が軽視されている状況がある。それらを軽視する学識者や為政者は基本的に反省、価値観のアップデートを試みない。それが許容されている。何故なのか。基本的にコストだからだ。「死」や「喪」にまつわる、日常の全てを引き込む特異点の穴は、あまりに深くて大きい。

一言でいえば、つらい。言い換えると、めんどくさい。喜怒哀楽のいずれかに偏って叫ぶことすら出来ない。喪失は時間や活力だけでなく感情すら奪うのだ。感情は、強い。最後まで信頼できる基軸通貨のように、頼みにされている。それがある限り、「情の時代」においては、勝ち抜ける可能性が留保されている(ように見える)。反知性主義はある意味で正しい。喪は、敵となる。

 

もし喪失の穴の辺縁に、静かに立てる方法があるとしたら、それは文系的教養を以ってする他はない。超短期的功利主義に貫かれた彼ら彼女らにとっては、その手間は惜しい。むしろ意味がない。自身を侵食し脅かすからだ。文系的知見は、自分たちの信奉する美しく経済的に「強い」国家を、祭りの崇高さを、科学的に平準化してしまう恐れがある。

思考や私情を棄てて投げ出されるされる「生」、皆がひとつになる祭りの高揚の瞬間こそが、永遠の象徴である。その伝説の創作のために、「死」や「喪」とそれらに連なる様々な「生」は、隠蔽され、部分的かつ戦略的に引用される。私達の個々の「生」と「死」は、可能な限り安く見積もられ、カットアンドペーストが可能な状態に留め置かれる。

だがそれでは民主主義と自由経済が回らないので、不特定多数の一般的な「生」と「死」は異様なまでに高値の水準を更新し、世界水準であるよう維持されている。通貨と国家は信用度が命だ。我々日本人は衛生的で文化的で健全で賢く優秀な民族なのです・・・だから皆さんと対等に経済をやれますよ。ここにおいて、作者の妹の衣服や車椅子、無数の写真などは、完璧に隠蔽される。

没後、作者の義弟が、彼女の保管していた多数の写真の束を見せた。それらは勝又氏や父母が撮ったものだった。写真を学んでみたい、という希望も持っていたとのことだった。しかしもし、そうさせてあげようとしても、実際の当時の状況としては、通学も難しかっただろう・・・ そうしたことが、没後、明らかとなった。

 

この写真の束が意味するものは何だろうか。

 

本展示は、このような「今」の世の雰囲気を急激に思い起こさせる場となった。勝又氏は、個人の「生」の顧みられ難い空気に対して、小さく、しかし確かに、抗してみせた。

なぜ、作者と妹との関係をずいぶん超えたことを連想していたのか、自分にも分からない。本展示が一定の文系的知見に基づく科学的な態度を備え、「死」や「喪失」を我が事として体験させる構造だったからなのだろうか。タイトルの「わたくしの」は、平仮名に解きほぐされることで、作者の手を離れた、不特定多数の鑑賞者の元へ状況を手渡す。「いもうと」は、二親等の間柄から本来の意味である愛しい女性全般へと膨らんでゆく。

私は一体誰のことを考えたのだろうか、分からない。感情が錯綜している。

 

 

遅れ馳せながら、ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

( ´ - ` ) 完。