【写真展】ヤン・ベッカー「FACTORY SKETCHES」@ギャラリー風
スイス出身、2010年より日本在住の作家だ。DMの、古代の甲殻類を思わせるハードコアな工場のビジュアルが印象的だ。だが荒々しい表情はこの作品だけで、展示全体としてはしっとりとしている。
【会期】2019.12/12~12/25
展示は日本の工場地帯:三重県の四日市、大阪府の堺、高石などの工場群と、ポーランドの廃工場から成る。作者の意向によりポーランドの廃工場作品(写真、映像)は撮影不可。
それぞれのカットは様々な風味、視点で撮られていて一概に語ることができない。日本の方は、夜に輝く塔の群れ、緑色に光を帯びた機関の一部、昼間の遠景、太陽の影に落ちた塔の群れなど、生きた工場としての鮮度がある。対して、ポーランドの廃工場の写真群はさびれ、時代の流れに取り残された風景として写っている。
工場夜景は多くのフォトグラファーを、その近未来とノスタルジックの拮抗する独特なビジュアルによって根深く魅了し、狂わせ、しばしば画一的に耽美的な写真を撮らせてしまうものだ。自分がそうなったことを顧みても、なぜそうなるのかは分からない。現実にありながら、フィクション界への大いなる飛躍と没入を全面的に許してくれるからだろうか。眼に見えるSFが広がる。だがこれは罠だ。多くのフォトグラファーは自分や自分の身内を、そのSF世界の主人公に任命したいという欲求に逆らえない。
本作ではそのような美や欲求を押し付けられることはない。非日常で特異な世界観であることは踏まえられつつも、穏当な描写で、画面内にドラマチックな要素はない。作者の美意識は後ろに控えており、工場は主役なのか背景なのか、はっきりしないところがある。ヤンの工場の撮り方にはかなり幅があるように見える。また、主張も抑えられているため、一概にこれという趣旨では語れないところがあり、読解はあまり進まなかった。
過去の作品では、大阪の下町で住人らと交流しては、そのことを写真と文章に起こしたり、大阪の都市景を俯瞰でフラットに、パノラマで捉えたりしていたこと、あるいは作者のキャリアが舞台美術家、映像作家であったことなどを含めて考えると、工場群とその立地は、一種の社会的な舞台として、配線や配管などの設備は、人の絶えた後の舞台に映える第2のキャストとして浮かび上がってくる。
ヤンはそれらを冷静かつ情熱的に受け止めているのかもしれない。工場群の広がりや明暗、凹凸の妙、それらを背景に稼働し、機関の持つ生命感を尊重しているように思える。演者のいない舞台だ。
総じて優しい工場景だと感じた。
基本的には『天下茶屋帖』(「マチオモイ帖シリーズ」)で、大阪のおっちゃんおばちゃんら、下町の店などに向けられていた視線に通じる温度感かもしれない。ヤンの写真からは愛情を感じる。それは受け容れの眼差しだからだ。写真では四方何メートルから何百メートルという様々な規模の世界を入れ子の空間として立ち上がらせている。背景と登場人物のはざまにあるもの、それが「舞台」という代物、世界なのだろう。であれば先ほど愛情と呼んだものの正体は、フォトグラファーの表現とはまた異なる類の「表現」、受け容れ、包み、何ものかを立たせるために立ちあがる場、という、舞台演劇の表現のフォーマットだったのだろうか。
https://bccks.jp/bcck/113154/info
( ´ - ` ) 完。