写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】河野正晴「無人島となった今」/忽那則正「蒸発する塔」@大阪ニコン

【写真展】河野正晴「無人島となった今」/忽那則正「蒸発する塔」@大阪ニコン

2019.12/21(土)、大阪ニコンサロン、ニコンプラザ大阪でやっていた2つの展示をご紹介。ニコンにいくと元気になる。よよよ。 

・河野正晴「無人島となった今」:2019.12/19(木)~12/25(水)

・忽那則正「蒸発する塔」:2019.12/19(木)~2020.1/8(水)

 

元気になっても景気が上向きになるわけではないのだが、元気になりましょう。さて

 

■河野正晴「無人島となった今」@ニコンプラザ大阪

ある独特な「無人島」のお話です。

徳島県には吉野川という化け物みたいに巨大な川がありまして、下流に位置する徳島市街地にかかる吉野川大橋は長さ1,173mにも及びます。初めて車で通ったとき「???川が終わらない?」と感じたものです。大阪の淀川と比較すると、阪急十三駅~中津駅間を結ぶ十三大橋がわずか(?)681m、これでも関西人からすれば相当な長さなのに、吉野川は川幅が2倍近くもあるわけで、何となくその恐ろしさが少し想像できるかと思います。

 

作品の舞台は徳島県阿波市「善入寺島」(ぜんにゅうじとう)。なんと吉野川のど真ん中にあります。

川のどまん中ですやんか。

四国の中心、四国山地から長い距離をかけて多量の水を集めて流れてくる暴れ川と名高い吉野川ですから、これは素人目にもやばい。住んだらあかんのも分かる。

ここには、大正四年(西暦一九一五年)までは、五〇六戸約三千人の住民が暮らし、当時は学校や神社などがいくつも存在していましたが、水量豊かな吉野川の清流が肥沃な土壌を運び豊かな稔りをもたらす反面、ひとたび台風などによる洪水が起こると、たちまち島全体が冠水し作物も家屋も流され、尊い人命までもが奪われるといった惨事が繰り返されました。

 そして大正5年(1916年)、善入寺島の住民が強制退去となり、無人島になりました。しかし島民らはその後も占有許可を受けて、農地を継承してきたそうです。

 

 

本作では、善入寺島の「無人島」としての茫漠とした姿と、人の手の相当に入った整った「農地」の姿との、際立ったコントラストが特徴的です。

島には誰も住んでいませんが、農家の方々は橋を渡り、日々、農業を営んでいます。そして一日が終わると、また橋を渡って川の向こうの家へと帰るそうです。無人島のイメージを裏切る、非常に活き活きとした、整った自然の姿が鮮やかです。その一方で、誰の手も入っていない無の領域が、余韻を残します。

 

 

■忽那則正「蒸発する塔」

モノクロのスナップにより撮られた都市。会場は撮影禁止。

 

昔ながらのストリートスナップの王道をあえてゆく、ビジュアルアーツ専門学校。その出身である作者は、クールかつ少し奇妙なスナップを撮ります。

その作品の一端はこちらで見れます。

<★link>Place M 

http://www.placem.com/schedule/2019/20190304/190304.html

 

モノクロのスナップ、舞台はおそらく東京の都市景、さんざんやり尽くされ、染みついてきたはずだが、懐かしさ、過去の感触がしない。時間感覚が飛ぶ。土地の属性も飛ぶ。時間と土地の遠近感が狂うのは、画面内で光を帯び、光を放ち、光を反射する面を多く含むカットのせいだ。直線的な解読が不確かにされる。

そして打ち捨てられた存在たち、都市からこぼれ落ちた存在たちが写っている。家のない者、置き場のない彫像、異邦人ら。珍妙な姿で写り込むホームレスたちは哀れでも弱者でもなく、都市の秩序を静かにかき乱す。

都市の空間はフィクションのように閉じ、終わりなく続いてゆく。従来の都市スナップの系譜を踏まえつつ、既視感でななく新しさを感じるのは、この二点により時間と空間を狂わされ、方向性と距離感を失うためだ。建築物の合間と合間、表面を漂流するような本作の触感は、平成の後半という時代の取っ掛かりのなさ、方向性のなさに符合しているように感じる。

 

今しばし味わいたい。

 

( ´ - ` ) 完。