写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】紀成道「MOTHER」@キヤノンギャラリー大阪

【写真展】紀成道「MOTHER」キヤノンギャラリー大阪

地上の太陽、静鉄所の溶鉱炉が灼熱の光を放っている。 

【会期】2019.10/24(木)~10/30(水) 

 

キヤノンギャラリー大阪は黒くて暗い。壁面がブラックなのだ。この闇を背景にして、高炉の灼けた鉄の赤味や、完成した鉄の銀色は、よく映えていた。この会場あってこその、この展示、例えば白い壁面のギャラリーだったなら、作者が凝らした額装やプリントの工夫の効果――「鉄」を主役とした世界観の輝きは低減してしまっていたかもしれない。

 

会場に入ってすぐに始まるのは、静かに荒ぶる恒星を探査するかのような、圧倒的な光景である。頭では製鉄所の高炉だと分かっていても、光と熱が溶けて流動する力は、この地上の姿、しかも人工の装置によるものだとは思えない。太陽を開拓しているかのような情景。写真集《KIPUKA》(岩根愛)のような壮大な始まりに、しばし見とれる。

だがSFでもRPGでもなく、これらは製造業の仕事の現場として、技術者らによって管理・運営されていることが次第に示されていく。舞台は鉄鋼メーカーである「JFEスチール・西日本製鉄所」(広島県福山地区)である。恒星のような灼熱の世界は、裏方として生身の人間がしっかりと支えている。そして「鉄」が生みだされる。

 

会場最奥の突き当りの壁面では、ひときわ巨大な写真が、まさに地上の太陽として光を放っている。

 

迫りくる太陽に向かう技術者の後ろ姿。Facebook等での展示告知で度々目にした、キービジュアルの作品である。

Webで見ていたものは通常の写真画像だったが、展示では白い光の膜を被ったような、一風変わった質感があった。聞くと、印画紙ではなく、鏡面処理を施された鋼板に直接、インクジェットプリントを行っているという。あらかじめ画像のハイライト部は透過するよう調整してあるため、画面からは下地の金属の輝きが直接照り返しているのだ。こうした制作上の工夫と、会場でのライティングの調整によって、写真の内側から光を放っているような独特の映像表現を実現している。また、白い霞のような質感は、耐熱の分厚いガラス越しに現場を見ているような臨場感があった。

なお、明暗差が激しくて写っていないが、この作品の四隅は、とてつもなく細くて薄いブラックの縁によって支えられている。一体どういう額装なのかと目を疑ったが、プリントせずに残した鋼板の部分が黒い光沢を湛え、疑似的な額装となって機能していることが分かった。額のない額装。異次元の額装であった。美しかった。

 

本展示はこのように、会場での見せ方をこだわり抜いて作られているが、実は作者自身が「note」にて、写真集の企画段階から展示の企画、制作に向けて、何をどのように調整し、試行して組み立ててきたかを綴っている旨を教えてくれた。

 

<★link> https://note.mu/kinoseido 

 

これがまた、実に丁寧に解説してくれている。詳細は上記リンクを参考にされたい。写真家志望の人にとっては、撮った写真をどのようにして「作品」として物理的に立ち上げてゆくことになるのか、思考のプロセスは眼から鱗の話も多いと思う。

 

 

中央から折り返しの壁面からは、灼熱の星のその後、熱から生まれた「鉄」がラインに乗って、製品として様々な形態へと分化してゆく工程が示されている。

 

そして最後のパートでは一転して、写真がダブルレイヤーになる。過去の風景と現在の風景が、一枚の写真の中で重なり合っている。これらは、過去の広島県福山の写真を元に、全く同じカットとなるよう撮影地点を探し出して再撮影したものだ。過去の写真をマットの内側に、現在の写真をマットの上側に乗せることで、時空を多層化させている。

「過去」の写真は、高度成長期の頃に福山の町の姿が変わる様子を記録したもので、ファウンドフォトの発想によって集められたものだという。それらは単体で見ると、モノクロであったり、退色によってレトロ感が伴うが、2層で1枚として見た時には、不思議と「古い」とは感じなかった。写真同士の貼り付け・コラージュではなく、マットによる微妙な段差を確保し、層化させたことの効果だろうか。外側の「現在」の写真自体が、第2の「額」へと転化させられ、新>旧の時間的主従関係がイーブンへ持ち込まれるのかも知れない。興味深い現象であった。

勿論、2枚の写真の画角がピタッと揃うことで、「今」が過去を内包しているように受け入れられためでもあろうし、高度成長期に生まれた街の形が「現代」のベースとなっており、 違和感があまり無いため、といった要因も作用している。 

 

どのパートの展示も、作者のやりたいこと・見せたいことを高い技術で実現していて、駆使された技は実に勉強になった。それゆえに、同名の写真集を見た時とは全く異なる印象を抱いた。写真集では、作者の父親世代が携わってきた製造業の「仕事」について、腰を据えて見つめ直し、ひいては福山の過去と現在を見つめ直し、高度成長期と現代とを行き来するといった内容で、それはヒューマンドラマと地域社会の記憶という色合いが濃いものだった。

本展示ではもっと壮大で、まず太陽の灼熱の現場としての製鉄業が語られ、主役は灼熱=「鉄」である。ヒューマンは「鉄」を支え、活かす黒子のような存在として描かれている。このような語られ方をとったとき、「鉄」を巡る営みは近現代史に留まらない。灼熱の星のような光景は、人類史を遡ってみせる。鉄の発見が歴史を変え、文明を塗り替え、国の勢力図を塗り替えてきた。星の秘めたる力そのものとしての「鉄」の存在を見せられると、彼ら溶鉱炉の技術者らの存在は、眩しく映った。

 

 

 ( ´ - ` ) 完。