nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】HIJU GALLERY OPEN EXHIBITION(公募グループ展)

いよいよ12月の閉幕までカウントダウンを刻む大阪・本町のHIJU GALLERY(ハイジュギャラリー)。今回は、これから舞台に立とうとする気鋭の写真家たちへ広く開かれた公募グループ展を開催。トータル19名もの作家が共演している。

【会期】2019.10/21(月)~10/27(日)

 

 

 

いつも窓から見た時、ギャラリー内には写真が溢れているが、今回はいっそう写真が立体的に溢れている。HIJUならではのさすがの広さ。全く圧迫感はなく、19名も出品しているとは思えないほど快適に鑑賞できる。 

HIJU GALLERYでは、2018年6月のオープン以来、実に著名な写真家の企画展が催されてきた。金村修、小松浩子、野村恵子、川島小鳥・・・。本展示のように、まだ世に出ていない作家らを迎えるのは初の試みとなる。

当初、DMでは17名の作家名が書かれていたが、会場で話を聞くと19名。2名増えている。締め切り後にも、ぜひ展示させてほしいと売り込みにきた作家がおり、オーナー・常深氏が作品を見て、面白いのでOKしたとのこと。そういうことですよ皆さん。学校や役所と違ってこういうことがあるんですよね。何でも貪欲に挑むことが大切だということが分かるお話でした。腹を減らして生きていきましょう。ぐるる。

 

全員分書きたいところですが、あまりに多すぎるので、特に印象に残った作品をメモします。

( ´ - ` ) 

 

 

◆石毛 優花(Yuka Ishige)《金影》

端的に、写真集の中毒性が非常に高い。

展示作品は天井に掲げられたプリントと、台に積み上げられた手作り写真集。

2015年から計13冊の写真集を製作してきた作家だが、積んである手作り感の強く漂う写真集は非常に見覚えがある。A4カラー・横で、簡易製本で、何気ない日常のシーンで、路上や食事や身近な人のスナップで、まるでキンコーズで作ったような… あれ??? 鈴木育郎? オーナー氏の情報によれば、鈴木育郎の愛弟子であるとのこと。まさかここまで体裁もテイストもそっくりになるものだとは。しかし、視点やリズム感は鈴木作品ともまた異なり、作者独自の眼力がある。

 

積み上げられた10数冊の写真集は半分ぐらいしか見られなかったが、本当に中毒性がある。作者のメインテーマとしては、身近な家族との暮らしと死、愛別離苦について思いを寄せて写真集を編んでいるが、一方で、物語としての筋道を全く伴わない、日常のどうしようもなくどうでもいい(そうであるがゆえに一期一会に尽きる)場面を見事にキャッチしている。その予期できない世界は、酒ともまた異なる心地よい酩酊をもたらす。それがやめられなくなる。

 

見た中では、《いつもと違う世界 見たきがしたの。》と《初夏狂騒》が抜群に良かった。酩酊した。自分の写真に酔っぱらってしまう人は大勢いるが、見た人を酔わせてしまう写真を撮れる(しかも取るに足らない原材料で)というのは、これは稀有な力だと言わざるを得ない。

 

何一つ特別なもののないスナップである。型もないし美しくもない。カメラ「マン」たち、男たちが鍛えてきた反射神経、スナップ的筋力はない。だが梅佳代のような分かりやすいファニーさとも大いに異なる諧謔がある。だらだらと句読点の曖昧に続く、助詞助動詞の氾濫のようなスナップ群。

生産性を要求される暮らしの中では、意識を高めて外界を見れば見るほど、視点には目的意識の補正が掛かり、合目的の世界が完成されてゆく。それ自体は歓迎されるべきなのだが、その時、代償として「他愛のないもの」たちの多くは濾過されて認識の外側へと棄却される。本作にはそうして私たちが流して棄てた多くの瞬間が掬い取られているように見える。濁り酒、どぶろくのような酩酊感はそのためなのか。解像度が逆の意味で高まった、主客の区別が曖昧になり、助詞助動詞がくっきりと溢れる世界である。

 

 

◆池田 万悠夏(Mayuka Ikeda)《200》

タイトルは、手法となっている「200ミリ単焦点レンズ」の視覚世界から。梅田の中心部であるJR大阪駅ヨドバシカメラ~グランフロント周辺の、高層建築の重なりを活かしたカットを提示する。

これらは心地よいスピード感を持つ。作者のセンスの良さであるが、何より新しい現代の梅田が計画的に育んできた世界観――洗練された都市としてのセンスそのものであろう。従来、「大阪」が語られるときにはなぜか決まって「粉もん」、「お笑い」、「ミナミ」「新世界」や「大阪城」というのが定番であった。2010年代のうめきた再開発は、大阪のプライドを懸けたアイデンティティー刷新の事業でもあった。どこからどう切り取ってもスタイリッシュで、未来を感じさせる都市。東京に対等にやりあえる都市としてのデザイン。そんな梅田の意図を、作者はよく掴んでいると感じた。

 

 

◆中澤 賢(Satoshi Nakazawa)《PLANT EYE's -BIG BROTHER IS Watching You-》

ピンホールカメラを駆使する写真家は、新たに面白い視点を見出した。葉っぱの穴や、葉を重ねた隙間から、人間界を覗き見る視点を写真化している。

 

本作は写真にまつわる性質のうち「窃視」の特徴を引き出している。だが覗き見ている主体は、ここでは人間ではなく「植物」である。ということはそれ自体に意識はなく、欲望もない。無欲で、人称を持たない何ものかによって、一方的に「見られている」我々・人間。つまりこれは監視カメラの視点と読み替えることができよう。しかも、監視カメラとして身元を明かすことのない、ステルス的な眼差しだ。

植物は、見ない。もし植物に視覚情報の処理が可能であったとすれば、それは光合成や蒸散のように葉全体を用いた、「点」なき営みになるだろう。原始的な日光写真のように。本作は植物に擬態した「眼」の実在、すなわち、見られていることに気付かせず、ストレスレスに防犯機能を果たす、環境型監視の行き届いた都市――そんなディストピアに言及しているように感じた。

 

※かつて(2019.3月)の作品はこちら。 

www.hyperneko.com

 

 

◆ホイキシュウ

フリーのフォトジン「まがたま」を2013年からほぼ月刊で発行し続けているという、とても強靭な足腰を持つ写真家。実際、ビジュアルに力があり、素通り出来ないし、一枚一枚をしっかり見たいという欲望を掻き立てられた。

Facebookの告知で流れてくる断片的な、単発の写真イメージでは、少し懐かしい作風だと感じていた。モチーフの一つ一つは既視感のある、90年代的な――必ずしも現代的ではない印象を持った。が、しかし、実際に眼の前に広がる作品を見ると、手抜きのない力、作者もモデルも「いま」を全力で楽しみ、写真行為を相互に体で楽しんでいることが伝わってきた。心地よい共犯関係、日付をまたいで夜を踊りあかすようなパワーが気持ち良く、それは明らかに「いま」の力だった。

 

 

◆木全 虹乃楓(Konoka Kimata)《噤み》

自身の身の回りや大切な人を撮る女性作家らの一角において、ひときわ陰影が光っていた。肉眼では捉え損ねてしまうような、その人の濃い気配が、写真によって強く残っている。深い残響はバスタブの底に引っ掛かって流れない長い髪の毛のように視界から消えない。見ず知らずのその人に、私は果たして・いつ・どこで・こんな感情を抱いたのだろうか、と、無かったはずの記憶を思わず辿りそうになる。気になる世界観、もっと数が見たい。

 

 

◆波多野 祐貴(Yuki Hatano)《call》

その土地に息づいている風や気温や灯りを、生きたまま捉えて伝えてくる。舞台は台湾だが、「異国情緒」や「風光明媚」といった言葉は役に立たない。台湾、という固有名詞すら効力は乏しい。路上で出会い、行き交う対象が、内側から光を放ち、体温を持ち、目の前に立っていて、またどこかへ過ぎ去ってゆく。その存在感は、作者の眼を透過し、鑑賞者であるこちら側へとダイレクトに伝えられる。

これはドキュメンタリーだと感じた。対象が放つ気配、雰囲気は、濃厚だが尾を引かない。出会い、立ち止まり、そしてまた通り過ぎてゆく、その速度感が、無国籍の情緒を醸し出す。作家と被写体となった人々の、大いなる偶然と僅かな必然から生じた出逢いが生み出す、映画にはならないぐらい短く刹那の記録である。物語が生まれる手前で、作者と人々らは、互いに過ぎ去ってゆく。彗星同士の通過。幸運だったのは、一方が写真機を携えていたこと。それゆえ出逢いの一時は、こうして映像に留められた。記憶と呼ぶにはあまりに儚く、記録と言い切るには重厚過ぎる。熱や風をしっかりと孕んだこれらの映像は、筋書きのない「現実」の穏やかな衝突が紡ぎ出す、無国籍のドキュメンタリーなのだと感じた。

 

 

 ( ´ - ` ) 完。 

 

他にも面白い作品が多かった。

本展示の特徴は、とにかく若手が多かったことだ。写真界隈にまだ、20代、30代の人達がいるという事実は、心強く感じた。今や、写真をやる理由がどこにあるのか。何の見返りもなく、特に報われることもないかもしれない道だが、そこに誰か新しい人がいるというだけで、個人的にはうれしい。

 

しかし、キャリアと財布の中身の乏しい若手作家にとって、作品発表の舞台を獲得することは、一つの大きなハードルであり悲願でもある。写真専門ギャラリーは非常に敷居が高い。貸しギャラリーでも、1~2週間の会期で費用はすぐ10万円を超える。製作費と併せると非常に辛い。辛いですよ。しかもどんな作品に対してもフラットに受け入れられる空間となると、なかなか難しい。たいへんや。みんな泣いてます。うっうっ。

なので、このように大規模な(写真系スクールの選抜卒業展に匹敵する)公募展企画が催されたことは、貴重な発表の機会がもたらされただけではなく、何か関西で写真が盛り上がっているらしい、という話に繋がっていけば喜ばしいなと思う次第です。

 

 

( ´ - ` )ノ  みんな撮りなよ。