【KG+2019】榮爾(eiji)「ALTER EGO(変身)」@京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスク
4つほどの部屋から成る会場はどの壁にも、面を付けた人間が並んでいる。部族の祭状態である。
これらは作者自身が面を被ってカメラの前に立っているのだが、像の全容、体の質感がぼんやりとしていて、生身の人間、生の写真という感じがしない。
ピンホールカメラで制作された作品だと後に知って、原理は納得できたが、鬼が立ち並んでいるような異様な光景の前に、技術論はかき消される。そこにあるのは、写真と言うよりも気配だ。
ステートメントによると、作者は個人的な変身願望から、京都の能面師に頼み、貴重な面を借りてきては撮影するということを繰り返しているという。誰しもが内面に持つ闇、影の部分が、他の人格を演じることでうまく肯定されたり中和されるということだろうか。だが正直、作品を見ていてもそのような卑近な私情から変身しているようには見えなかった。むしろ、「面」に操られた作者が「私」を失い、面に憑りつかれて熱心に自身の体を貸し出しているように見えた。
能面には様々な形状と意味・役割がある。舞台の上で用いられることを目的に作成され、女、男、鬼人、翁、尉、怨霊、動物など、キャラクターの分類と更にその先に細分化された設定がある。「能面」と聞くと、真っ先に真っ白な肌と切り裂くように細い目で、端正な顔立ちをした女性の面を思い浮かべるが、同じ「女」でも、年齢や境遇、心情によって表情や髪型がまた細かく異なる。会場には30点近い作品が掲げられているが、それぞれの面に関する物語や設定についてキャプションが添付されている。作者はその数だけ自分を表現し、同時に「私」を喪失している。
作品のビジュアルは統一されていて、暗闇に裸で立つ人物像である。ろうそくの炎のようにポートレイトは揺らめいている。いち個人として識別するために必要な記号が全て取り払われている。まず面により顔の認証が出来ない。髪型がない。裸なので衣服や装飾品がない。タトゥーや傷など身体的特性が乏しい。あるのは成人男性の肉体と、面だけである。それらも像としては不明瞭だ。
ここには写真として本来期待されるであろう記録、現実複製の機能は失効しており、何か濃厚に意味ありげな像はあれど、それの指し示すべきものがどこにもなく、提示されたビジョンがどこにも収まっていかないという事態を引き起こす。まさに怨霊や鬼神の特質だ。
せめて能面が精緻に描写されていたなら、古典芸能の記録として写真は指示対象を得て収まりが付くのだが、本作は全く記録という形も取らない。ゆえに、写真は不穏なイメージ体のままで漂う。
面は本来、白色が基調にあると思うが、ピンホールの描写のためか、照明の影響か、首から上も下も一様に肌色に染まっていて、能面が肉体と同一化して見える。このため、作者が演技的なセルフポートレートを制作しているとは解釈できず(手法としてはまさにその通りなのにも関わらず)、ある人間が能面に自己を貸し出し、鬼神に成り代わってしまったように見えるのだ。
作者にとってはピンホールカメラで揺らぎのある光景を撮り、記憶や印象の入り込む余地をふんだんに確保するという手法は一貫している。変身シリーズの他にも、風景を撮った作品がある。そちらはブローニーフィルムを巻き上げながら途中で何度も感光させ、風景は繰り返され、繰り延べされる。
能面と風景のどちらのテーマも、眼前にある光景とは異なる世界を表わそうとする作品で、一般的な機材や撮影方法では正確さや美しさの観点から切り捨てられる像の響き、膨らみを最大限取り込むことを試みている。豆腐のにがりを棄てずにそちらを主役にしているような作風だ。
その結果、光や色が飽和し、本来は正確に描画されるべき線、面を覆い、像をあやしい存在感へと揺るがしている。これに能面が加わることで、不明瞭な印象派の文体は怪異文学と化す。作者が人称の乗り移りを積極的に、立て続けに引き受けている点が、伝統文化などとは異なる路線として、能面にまつわる怪異の物語を体現する。本作は古典芸能の記録でも、アート系の自作自演セルフポートレイトともまた異なる領域を突いているように思う。
惜しむらくは、この展示会場は和風の飲食店の内装にしか見えず、せっかく召喚した鬼や翁の底知れなさが帳消しになっていることだ。この会場はかなり難しいと思う、展示以外の役割がはっきりしすぎている。無属性の白や黒のギャラリー空間や、古民家や寺社のように何者かが「居る」気配を高める場で本作を見てみたいと思った。評価が全く変わるだろう。
外国人の鑑賞者が熱心に鑑賞していたのが印象に残った。基本的にキャプションが日本語表記なので、面の多彩な意味が伝わったか分からないが、国境を越えて関心を呼ぶテーマであると思った。
置かれていた雑誌インタビューから作者の来歴を知ることができたが、非常に面白かった。建築家を志すも「自分では建築屋にしかなれない」と才能の限界を感じ、市役所職員へ転職。そこで写真にはまり、40歳で京都造形芸術大学・通信で写真コースに学び、有休も全部スクリーニングに充てて3年で卒業。後、私の母校でもある写真表現大学(研究ゼミ)にも通うなど、
皆さん、作家活動は何歳になってからでも出来るんですよ!
元気が出ますね。
( ´ - ` ) 完。