写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展/KG、KG+】アルバート・ワトソン「Wild」、伊丹豪・特別展 with FOVEON@京都文化博物館・別館

【写真展/KG、KG+】アルバート・ワトソン「Wild」、伊丹豪・特別展 with FOVEON@京都文化博物館・別館

京都文化博物館・別館併設の展示スペースJARFO京・文博では、KG+プログラムとして伊丹豪の展示が、博物館・別館の広いスペースにはKGプログラムとして、ポートレイトの巨匠、アルバート・ワトソンの回顧展が催されている。前者は組織・技術としての美を、後者は「個」としての才能の美を生み出す。

 

 

◆【KG+】伊丹豪・特別展 with FOVEON @JARFO京・文博

カメラ・レンズメーカーSIGMA社の生産拠点である会津工場の内部を撮った作品。メカニカルな工場風景を、平面像の重なり合いとして作品化している。

「工場」と言えば、一般的なイメージではカオスで情報量がとても多く、複雑怪奇に入り組んでいる印象が強いが、伊丹作品では抽象度が高く、機器や壁の「面」の重なりが不思議な静かさをもたらしている。

面の色や輝き、重なり、配列に注目する伊丹作品、その独特な平面のレイヤー構成については、過去のトークで語られている。参照されたい。

伊丹作品の文体に加えて、SIGMA社の工場自体が、洗練された幾何学的な環境として整えられていることも相伴っている。美は精度、彩度の高さ、技術そのものである。SIGMAのモノ作りに対する徹底したこだわりは、フリー誌「ZEIN」でとくと知ることが出来る。これはミニ写真集としても優れているのでぜひ一読されたい。

 

SIGMAには個人的な思い入れがある。SIGMAコンデジは、常識を超えた描写力を誇っていた。独自の撮影素子FOVEONセンサーにより生み出される画像は、一眼レフ(私の場合は愛機・EOS 5Dシリーズ)を凌駕する精度があった。2010年頃、DP2xとDP2 Merrillを立て続けに手に入れ、滅茶苦茶なクセのある不便さ(ISO感度400あたりからザラメのように画質が荒れだす、液晶モニターの画質が低すぎてチェックに使えない、握りもボタン類の操作感も最悪、等々)に苦戦しながらスナップを楽しんだものだ。

 

だが、2014年頃からSONYがフルサイズミラーレス一眼:α7シリーズを発表し、今ではすっかり「描画力ならSONY」という印象が一般的になっていることは否めないだろう。SIGMAの話題がすっかり出なくなってしまった。なんせクセの滅茶苦茶強いMerrillやQuattroシリーズより、αシリーズは万能なのでしょうがない。展示を見ていて、「そういえばSIGMAがいたなあ…」と思い出した次第です。うちのMerrill、ぜんぜん使っていなくて埃をかぶっているのであった。ごめんやで。

 

 

アルバート・ワトソン「Wild」@京都文化博物館・別館

 写真のすごさとは何かというと、現実を記録することと、その逆に、妄想力を現実に変えられることだと思う。その両方を世界的に高いレベルで実践してきたのがアルバート・ワトソンだ。

ミック・ジャガー、BBキング、ケイト・モス、NIN、ヒッチコック坂本龍一といったビッグネームが目白押しだ。有名なところではスティーブン・ジョブスのポートレイトだろう(写真の展示はないが、2Fの動画で紹介される)。彼らは忘れられない印象を宿す。ポーズ、メイク、表情、どれも型破りで自由で、突き抜けてユニークだ。よく人物写真は被写体の個性を引き出して撮ることが重要だと言われるが、ここまで「個」を見せつける写真はそうそう存在しない。彼らは自分の演じるべき「個」を最大限に演出している。「素」の写真というよりも、ワトソンはモデルの持つキャパシティを見抜き、限界まで、イメージを仕掛けていく。

ワトソンの挑戦は世界的著名人だけでなく、自然の景観、動物、架空の部族など、あらゆる自然界や歴史にも及ぶ。それらは誰も傷付けない、そしてファッションとして消費するにはヘヴィな、「個」としての輝きを見せる。地球規模の妄想を実践し続けていることが分かる。

 

観客の足をよく止めていたのが、若かりし頃の坂本龍一(1989年)と、絞めたガチョウの首を手に立つヒッチコック(1973年)だ。ユニークなだけではなく、これらのモノクロームには静謐な尊さが宿っている。その正体が何なのかは分からない。光のためか、プリントのためか、モデルのオーラなるもののためなのか。

私はカオスや混乱を愛しているので、超ハイレベルに、完璧に調律されたこれらの作品群の中にはあまり入り込めなかったが、それでもある時代を生きた旬のスター達を、旬のままに捕えて、今に息吹を伝える写真の力には感服させられた。坂本龍一ケイト・モスはエロティックな生命力を帯びていた。写真の持つ記録の力である。それと同時に、妄想力を現実に変える力を味わった。

 

遥か高い才能を持つ「個」同士が生み出す、饗宴の舞台である。才能という言葉の意味を知りたくば、この展示を歩き回れば、一目瞭然だ。それは残酷なまでに高くて美しい。

 

 

本会場では、個人の才によって生み出される美と、組織が技術として高める美という対比を見ることが出来るのではないだろうか。 

 

 ( ´ - ` ) 完。