nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】Oh.マツリ★ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー @兵庫県立美術館

【ART】Oh.マツリ★ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー @兵庫県立美術館 

石川竜一の沖縄人の写真群と、沖縄の「陰」、「喪」に言及したドキュメンタリー映像。柳瀬安里の、公共の場への攪乱行為。会田誠の呼び出したPOPな「英霊」。 

 

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【会期】2019年1/12(土)~3/17(日)
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(1)展示全体

本展のコンセプトは、20世紀から現代に至る日本の美術作品から「特別な存在(ヒーロー、カリスマ、正義の味方)と無名の人々(公衆、民衆、群衆)という対照的な人間のあり方に注目するもの」とされているが、実際に観てみると「ヒーロー」感はわりと薄い。むしろ、戦前・戦中・戦後~現代にかけての「ピーポー」の生態、生きざまを振り返っていくことになる。我々、日本の一般人がいかに生きてきたかを、社会の資料集のような時系列ではなく、以下の章立てで再編して見せるものだった。

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1.集団行為 陶酔と閉塞

2.奇妙な姿 制服と仮面

3.特別な場所 聖地と生地

4.戦争 悲劇と寓話
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ヒーロー感を感じなかったのは、企画者側が「ヒーロー」と呼ぶものはどちらかといえば「ピーポー」、一般の民の側から滲みだすものであったり、民が集まって力を得た姿であったりと、特権的な存在や、明確に確立された立ち位置にいないものが多かったためだ。

私が期待していたのは時代区分ごとに設定された特権的存在、サブカル中心のまさに「ヒーロー」。これが時代や社会によってどのように形態を変え、担う役割やカタルシスを変えてきたかが見られるのではと期待していたのだが、主旨が違った。例えばケンシロウと悟空とエルリック兄弟とカネキくぅぅぅぅんとワンパンマンらはそれぞれ「ヒーロー」だが、各自が負う役割、性質が違う。これを、

あの、その

この話はまた今度に、

ええと。

まあ「のらくろ」や「月光仮面」「ウルトラマン」「ゴジラ」といった戦中、戦後のサブカルの代表格は取り上げられていた。その取り上げ方は「ピーポー」と側との距離感、「ピーポーがどのような存在か」を問うものとしての「ヒーロー」資料の提示であった。だからそもそも二項対立、英雄対凡人といった明確な線引きを本展示では避けていて、「凡人」の内から非凡なるものが 漏れ出る様、まさに時代ごとの「ピーポー」の在り様を見せることが肝だったのだと実感する。

 

上記4テーマを通じて、戦前・戦後の写真家の仕事が紹介されたのは面白かった。時代・社会ごとの「ピーポー」の生態を捉えるに写真ほど適切なメディアもなかろう。

安井仲治の1930年代、人々が群れて旗を持ち、声を上げている姿の熱気、連帯には、社会の熱を感じる。(シュールな新興写真の実践者としても、民や弱い立場の人をドキュメントする写真家としても、安井仲治は優れた仕事をしている…)

1960年になると、長野重一の眼には人々が企業のマシーンとしてどこか画一的になり、「大衆」という言葉がぴったりだ。しかし1969年、東松照明の捉えた、学生運動で投石をする人物は、画一さから逃れて権力に物申す「ヒーロー」と呼ぶべき存在となる。

また、写真家ではないが、パフォーマンス、反芸術的活動――「アクション」の記録としての写真が多数取り上げられていたことも、写真作品が多かったという印象を残した要因だろう。1960年代に登場したハイレッド・センターやゼロ次元の活動は、街頭や鉄道車内など公共の場で繰り広げられた、その場限りのパフォーマンスゆえ、後世には写真という形でしか残されていない。

これらの活動者らは群集の中へと進んで分け入り、異様な衣装と振る舞い(時に全裸)で挑発的な立ち位置をとった。芸術を一切知らない一般民間人・「ピーポー」らのルーティンな日常の感性を大いに揺さ振ったものと察する。芸術は芸術と無縁の「ピーポー」らとどのように関わってきたかを語ろうとしていることが伺えた。

 

 

さて本展示で撮影の許された3つの目玉企画(私にとって)を以下に振り返ろう。

 

 

(1)石川竜一《okinawan portraits》《MITSUGU》

本展示で最高のご馳走は、石川竜一の個展状態となった一角である。石川氏をメジャー作家へと押し上げた、沖縄に住む人々のポートレイト群像作品が、大きな部屋の壁をぐるり一周取り巻いている。

 

時間がいくらあっても足りない。

この部屋に入った時、私は「今回の展示は”ピーポー展”だなあ」とはっきり実感したのだった。ここには「ヒーロー」はいない。ここに写されている人たちは、個々にそれぞれが、それぞれの生活を生きている。彼ら彼女らを包括する、共通の願いや希求あるいは共通の苦難は見い出せない。みんな違っていて、みんなそれぞれに事情があり、喜びがあり、別々の日常を生きている。よってここにいる人々を包括的に救う超存在「ヒーロー」の想定は、もはや、できない。

ここに登場する面々は、まごうことなき一般民間人、「ピーポー」そのものなのだが、写真の一枚一枚から匂い立つ存在感、個性、具体性の妙味によって、彼ら彼女らを一括りにすることは不可能となる(それが出来る人は政治家に向いているだろう)。単数代名詞が「群」となって成り立っている群集というわけだ。peopleの枠からはみ出してゆく、HeやSheの集合景が、石川竜一の写真群だと思う。

この世界観は本展の示す設定項の向こう側にある(=美術館の企画の枠が捕捉しきれない、コンテンポラリーな視点)ように感じた。時代の性質なのだろうか。もはや「ヒーロー」の無化のみならず「ピーポー」の無化でもある。個別の体と声と体温を伴った者たちが生きている。

 

それにしても、なんとこの、異国の風と陽射しの吹き抜けることよ。人が主役として写っていないカットも多数あるが、それらはまるで東松照明が現代人の身体で甦り、現在形で《太陽の鉛筆》の続きを撮り溜めているような趣がある。鮮やかな南国の空気を感じた。

 

展示室の中央には白い小さな部屋があり、この中では《MITSUGU》という作品が展示されている。

MITSUGUという男性についてのポートレイトと映像作品である。被写体となったこの男性について語ることは、特異な容姿と雰囲気のみならず、その人生の歩みからして、容易ではない。

外の展示とはムードも意味も全く異なる。撮り方も飾り方も厳かだ。秘められた陰の間である。

「この人は圧倒的に孤独で、この世の誰とも繋がっていないかも知れない」と否応なしに直感する。私の側からでは、理解も共感もできないところにいると本能で悟る。多くの鑑賞者にとってもそうだろう。実際に戸惑いの声と共に、そそくさと立ち去る観客が何組か見られた。

 

持ち帰り用の作家ステートメントをそのまま掲載しよう。

 

外側の壁面に貼り出された写真群の人々が、どちらかと言えば生命力――「陽」を孕んだ「沖縄」の顔、生態とすれば、 《MITSUGU》は沖縄の陰、喪のつながりについて語っている。ステートメントにある通り、波乱万丈の人生、マイノリティ、アウトサイダーとして越境し生きてきたこの男性が回帰したのは、地元の沖縄であり、亡くなった母親の遺骨、墓や「喪」という普遍的なテーマであった。

映像では、派手にタトゥーの入った、ほぼ裸に近い異様な出で立ちの男が、暗い家の中で、巨大な鉄製の乳棒と乳鉢を見つけ、そして母親の遺骨を泣きながら、すり潰していた。暗がりの中で、骨壺、乳鉢を抱き抱えるように嗚咽を漏らす。タトゥーと肉のよく付いた裸の男性が泣き続けている。まるで獣のようだ。彼は「喪」の時を通じて、亡き母とどんな対話をしていたのだろうか。

本作には理解も共感もできないが、立ち去れない強力な磁場があった。破天荒な越境者、我々の日常や常識からかけ離れたところを生きてきただろう。本展示の題目に引き寄せるならこの男性は社会の「ダークヒーロー」なのかもしれない。だが、母親の遺骨、喪に際してここまで感極まるとは、ここには一体何があったのだろうか。ヒーローとピーポーといった分類を許さぬ何者かである。未だに衝撃が残っている。

 

 

(2)柳瀬安里《線を引く》《土の下》

写真と映像を用いたパフォーマンス表現である。「ヒーロー」も「ピーポー」もなく、ただただ真っ当に、目に見えない領域、境界を演技的に可視化させ、その状況を観察しているというものだった。

 

《土の下》は、ひまわりのよく咲く墓地で、亡くなった祖父母が(実際に故人かどうかは不明)、紙製の人形となって立ち現れる。作者自身の体と、ひまわりの花とが画面に生命力を与え、枯れたひまわりと土は死の世界を表し、そして光跡、紙製の人形は、生死のサイクルが狂わされて、この世に再び現れた死者のようでもある。

柳瀬氏は二分されがちな生と死の世界の境を不問とし、死者と対等な立ち位置で交渉を試みている。仏壇や墓石に向かって話しかけるようにして、「喪」の時間を拡大して見せる。

客観的には、紙製のチープな人形はどこまでいってもヒトの代わりになるはずもないのだが、写真には恐るべき力があり、編集によって映像として動きを伴うようになる。二分されていた生・死や、ヒト・モノの境は揺らぎ、混線した場が生み出されるのだった。 

 

 

《線を引く》は、たいへんラディカルな実践行為だ。国会議事堂周辺の歩道でチョークを地面に押し当てて「線」を引いていく。線についての意味づけ、解釈は置いておくとして、「線を引く」という行為自体が浮かび上がらせる混乱、ざわめきが非常に興味深い。現代社会の権力システムを極めて明らかにしている。警官が放っておかないのだ。

 とにかく「危ない」とか「他の人の通行の邪魔」とか、何らかの理由を付けて止めさせようとする。だが止めさせる根拠はない。しかし看過することはできない。本作では、想定外の行動は全て監視・抑止の対象となることを如実に語っている。

 

そして一方で、一般人の反応も面白い。「何してるの」と聞き、「線を引いています」と返されて、「頑張ってね」と話を流す人と、納得できずに食ってかかる人、意味を知りたがる人に分かれる。理解できないことはどうも人間の心境をざわつかせるようだ。柳瀬氏はデモ参加者らの足元にまで身を差し込んで線を引いていく。「線を引く」ことは分類、分断そのもののはずだが、作者の手にかかれば、様々な立場の二項対立を無化させる行為となる。

本展で数多く展示されている「アクション行為」の表現者らと違って、作者は全く特異な格好をしておらず、完全に一般人である。それだけに、「線を引く」という行為自体がくっきりと周囲から浮かび上がり、様々な反応を引き起こす。公共圏と権力について言及している、いや、免疫反応を惹起させているのだ。作者は国家の鼻の粘膜をくすぐっている。

 

 

 

(3)会田誠《MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~》

これについては言葉を添えたりあれこれ論ずること自体が無粋というか、花見のように、ただ仰ぎ見て「いやあ、立派なマツリですなあ」「うむ、今年も良い英霊」とやるのが良いのではなかろうか。もちろん戯れとして。桜の花も戦時の英霊も、日本人にとって本能的に懐かしく美しい光景である。それは欧米的国家制度の輸入と天皇制度との共存・両立の中で作られていった近代的心象である。などと言ってみる。つまりアイコンである。国会議事堂も日本のアイコンである。

 

戦争は終わったし、戦争のことを知っている人間も少なくなってきたし、周辺諸国の有事は収まらず、国内の規律や価値観といったものもケジメの効いた、統制のとれたものにしなければ気が済まないだろうし、まあこの「国」を憂い始めると、何かと大変です。

ただもう我々、戦後70年以上を経て培ってきたのは、全てをコミカルに戯画化させ、等しく戯れの対象としてしまう、サブカルの心象ではないだろうか。会田誠は、「日本」なるものを見るときに付きまとう国体に関わる感性と、それを茶化すサブカルの心象とが我々の内に共存していることを示唆しているのではないか。

 

 

 

( ´ - ` ) 完。