【写真展】藪口雄也「いきつくしま」@キヤノンギャラリー大阪
隠れキリシタンの地、長崎県平戸の離島で、作者は生と死のサイクルを見つめている。
(会場内は撮影禁止、スキャンは色が狂ってポストカードのグレーがちゃんと出ず、作品の世界観が伝わらなくて恐縮だが、作品は全て、上品な温かみのある茶っぽいモノクロ写真であった)
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【会期】2019.2/28(木)~3/6(水)(日・祝休館)
【時間】10:00~18:00(最終日15時まで)
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タイトルの「いきつくしま」について、作者は以下のようなキャプションを寄せている。
『生月島(いきつきしま)』
日本に帰国する旅人が、船上からこの島を見つけて無事に帰国できたと息をついたことが名前の由来という説がある。その島は、長崎県平戸にある島である。
舞台となったこの島の詳細は明かされない。冒頭から、断崖の荒々しく切り立った様子、海からの風がびゅうびゅうと吹き抜けてゆく、人里離れたところにある島だということが写し出されてゆく。よく見ると島の地形には、休憩所や道など人工物も写り込んでいるが、それがはるかに端へと追いやられるぐらい、自然の存在感の方が大きい。
生えている植物、空と海の表情から、恐らく気候の温暖な、かなり西に位置する島だと知れる。視点は、飛び立つ鳥の群れ、森の中に安置された墓石、鳥の死骸、生まれて間もない子猫、などと、そこに息づく者たちを見つめる。しかし人間の村民は一切登場しない。
会場突き当り奥の壁面では、巨大な2枚のプリントが並ぶ。島の上空に漂う太陽の光と、丸まりながら半眼を開ける猫である。猫は、生まれたばかりの微睡みに浸っているようでもあり、死に瀕して今にも息を引き取りそうでもある。作者の眼、作者の全身は、まさに「生と死」が重なり合うような現場にあることを示している。
この2枚から折り返して、展示は後半さらに、9枚1組の写真群を3ブロック経て、この島が「生と死」の輪廻する場であることを示す。
1番目のブロックは、島民の暮らしを実直に捉えている。家屋や洗濯物、瓦、体育館シューズ、ホースなど、生活そのものを見つめる。だがやはり人間そのものは登場せず、ヒトのいた痕跡のようにすら見え、生きて動いているのは、猫や鳥である。ヒトという生命体が絶えてしまって、代わりにそうした動物らが転生の主として跋扈しているようにも見える。伝説上の島なのではないだろうか。
次のブロックでは、自然の風物と混ざりあった、人間の営みの歴史が写る。古びた家屋、森に呑まれかけた鳥居、風にはためく国旗である。フィクションではなく、実在の島として、刻まれてきた歴史があることを示している。中には高齢の人物が花を束ねている手も入っている。ようやく、唯一登場する人間のカットである。その皺だらけの手からは、「死」のサイクルを意識せずにはいられない。花と老いた手は「喪」のイメージを強烈に喚起する。
最後のブロックでは、島の森や海、空といった地形と、それらを覆い、満たす太陽の光と影が写されている。島に流れる「生と死」のサイクルそのものを作者は撮っているのだということを感じた。
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余談だが、「生月島」(いきつきしま)は、普通に観光ルートとして行くことが出来る。
作品を見ていると、それは歴史上そのように呼ばれた伝説の場所、匿名の地のように感じられたのだが、実はそのままの地名なのであった。平戸島の西側に位置し、橋で接続されていて、佐世保から車だけで辿り着くことができる。
見どころとしては「カトリック山田教会」があるようだ。
Webの地図をぐるぐる回していると実に不思議な感じがした。普通の町である。消防署、病院、調剤薬局、小学校など一通り揃っている。写真からは、生死の循環する現場、ある種の神話的な場のように感じたが、普通にレンタカーを走らせると、普通に鄙びた感じの、良い観光になるだろう。蛇足だが、筆者はこのような誰も知らないような超マイナーな地がとても好きなので、ぜひとも訪れてみたい場所である。
隠れキリシタンの由来を持つ島だが、その歴史的背景に囚われず、「生と死」のサイクルを実直に見つめ続けた展示であった。キリスト教や島民自体を特集していないことから、むしろヒトの命も、多くの動植物や、風や海などの命の流れの一つに過ぎないようにも読み取れる。その意味では素朴な仏教観に近いのかも知れない。