【ART】めがねと旅する美術展 視覚文化の探求 @静岡県立美術館
市立美術館と間違えて県立の方に来てしまった。ひでえ。旅先あるあるです。それで、このビジュアルなので、眼鏡の歴史の展示だと思った。全然ちがった。まさに「視覚と表現の歴史的な考察」の展示なのだった。
これは予想外でした。
この広報では誤解されて、本来取り込める層が来てない恐れがあるのではなかろうか。私は帰ろうとしてしまった。静岡に来てまで眼鏡のことはまあいいかなと。本命は静岡市立美の『起点としての80年代』です。間違えてん。でもバスでわざわざ来ちゃったし、ちょっと見よかなと。
結果、2時間いました。
展示構成はめちゃくちゃだけど点数が多くて、写真もあったし、参考になった。
本展示は「めがね」を象徴として皮切りにしつつ、主に近代以降の視覚がどのように変遷してきたかを美術品によって提示している。絵画、浮世絵、写真、観光地図、動画映像などの「表現」が、その時代時代の科学技術と密接であること、特に「線遠近法」は江戸時代後期から西洋との交流の中から導入され、浮世絵などの風景画によって民の視座へと導入されていったことが示されている。
しかしここまで展示構成がめちゃくちゃな展示もなかなかない。なんだこれ。
まず図録と会場の実展示の構成が全く違う(なんで??)。そして後半はもう何でもありになっていて、美術による視座の作られ方、あるいは科学技術による視座の開拓を歴史的に考察する企画なのかなと思いきや、最後めっちゃ何でも詰め込まれていてわけが分からなくなるのであった。
会場の章立ては以下のとおり。
1.めがね
2.透明なもの
3.パースペクティブ頌
4.眺望と道行き、そして富士山
5.鉄道をめぐる視覚
6.飛行の新世界
7.棒状の罪と罰
8.次元の往還と錯視
9.箱の中
10.私を、みて、ください
⑦ぐらいから何でもぶっこんでる感が高まり、⑧で本格的に路線を見失い、⑩でとどめをさされつつ、サブカルな現代世代の視座を得て、得るものがあったのでオッケーという感じになって会場をあとにした。はい。
図録はこれを時系列に整理し直しているようで、肝要なのはつまり、近代以降、日本において導入されてきた視座の変遷があり、それは平面表現から身体が調律されるものであったり、逆に近代文明によって調律、開発された新しい視座の体験が平面、映像表現へと持ち込まれたりといった往還を続け、現代は三次元、四次元的に表現者が取り組んでいるというお話。
なので、昔の浮世絵や、明治~昭和の作品を示しつつも、80年代生まれの作家が多く、2000年代、2010年代の作品が豊富だったのはたいへんよかった。「表現進んでるなー」と実感した。
以下に印象的な作家をメモ。書いてることは全部私なりの褒め言葉です。珍奇な人が大好きです。はい。
■田中智之_都市空間や建築物を、ハコの中を透過した線画で緻密に描写。『渋谷駅解体』は1968年と2011年の渋谷駅とその周辺の都市景を透視で描いており、設計図でも風景画でもない視覚は見ていると冷ややかな興奮を伴う。
■五島一浩_カメラオブスクラの原理で、トルソーを取り囲むイーゼルには画家の代わりにレンズだけが配置され、画家がいなくても光の原理でカンバスに倒立像が自動的に写りますよと提示。知的な皮肉というか。
■高松次郎_1967『視点の転換(遠近法の箱)』で線遠近法の視座を混乱させる。立体図形の中に、円を手前から奥に大きい順、小さい順にそれぞれ並べてあり、手前が「近い」のか「遠い」のか分からなくなる。知性。脳がかゆい。相変わらず高松はんは知的な作品どすなあ。
■黒川翠山_20世紀初期の富士山の写真。50ミリか75ミリか、かなりぐっと山の形を引き寄せて撮られており、周囲から物体として切り取られている。それまでの風景画、浮世絵、観光地図などの「奥行きや横幅、地理の広がり」をたっぷり確保された視座から、物理的にぱっつんトリミングする即物的な視座へ移り変わる(→モダニズムの視座?)が見えて面白い。
■中村宏_1967『望遠鏡・富士山(女学生に関する芸術と国家の諸問題)』、富士山の絵画と、その前に立つ双眼鏡を手にした女学生マネキンのセットが作品。絵画には女学生に見えている拡大された部分も同時に描き込まれている。「表現と鑑賞の往還」が「絵画に自律性を与える」際、絵画は「呪物」として「覚醒」するのだという。本展示で最も意味が深そうで意味不明だったコンセプト。これは気になる。
■今和泉隆行(地理人)_2017『空想地図(中村市)』、これはすごいぞ。七歳の頃から「中村市」という架空の都市を設定し、地図に書き起こしているのだという。作品も地図と、空想の企業のロゴマーク。「中村市」は実在するどこかの高速道路と工場団地を旨とする地方都市をモチーフにしていると思われる。私鉄、駅前の商業施設群、団地、高速道路、工場群、公園を中心に形成された郊外の地図景は、平坦な地形と整ったインフラが続いており、どこか不気味だ。
■岩崎貴宏_2018『コンステレーション』、漆黒の宇宙空間に散らばった星々の白い光…いやまて、これは企業のロゴだ! 宇宙空間ではない、これは都市だ(益田、静岡、青森)!! 各地方都市で営業している企業体をじっくり凝視させられる。すごい
■松江泰治_2005年『JP-22』、2012『JP-02』、2018『JP-32』を展示。一概に「ヘリからの空撮」と言っても、並べて観ると年代で微妙に撮り方や着眼点が違ってて面白い。初期は角度がついていて「空撮」感があったが、2012年は一気に平面性を得てシュールで不思議な世界になった。2018年はより客観性が高く、驚きや面白さをも抑えた、無言で都市の地形が浮かび上がるものとなっている。
■千葉正也_『タートルズライフ #5 ~地獄巡り2015』、要は飼育している亀を描いた絵画なのだが、めっちゃ環境を構築し、ギターや刃物や亀の通路や訳のわからん生活用品を過剰に複雑立体的に実際に配置し、それらを平面に描き起こす(描き倒す)。コンストラクティッドフォトがやりそうなことを絵でやっていて、刃物が多過ぎてクレイジーで良かった。
■Mr. _日本のサブカル描かせたらこの人よな。なんでこの人の作品が本展示でと思うが、萌え(死語になりつつある…)な女子キャラのキラキラした大きな瞳の中には、キャラ自身と同族のキャラやロゴ、カワイイものばかりがひしめいていて、その「眼」はもはや外界を視るための器官ではなく、自己だけが円環しているという、非常に現代批評性の高い作品。
面白かった( ˆᴗˆ )
ただ、私はどんな状況でも「自分一人で勝手に良いところを見つけて面白がる」人種なので、一般的な展示の感想としては「よく分からない」となると言わざるをえません。富士山の絵とか、地図とか、あげくパノラマ装置とか、人体解剖図みたいなのとか、オプアートもあったし…
それで割りを食ったのが写真だと思う。「めがね」とか「鏡」とかで小テーマの枠をバンッと置いてしまうと、米田知子(著名人の眼鏡シリーズ)、鈴木理策(水鏡シリーズ)が小テーマのための参考作品みたいになっちゃうのと、石内都(互楽荘)、森村泰昌(セザンヌのリンゴのやつ)は、もはや会場に埋もれて声も出てなかった。合掌なむ。
でもあれですよ、日ごろ写真作品ばっか見てるけど、絵画とか他ジャンルの試行錯誤けっこうやばいというか、やばいなー。2010年代、今の作家、やばいなわ。行く美術館が固定されてるもんで、どうしてもそこの収蔵作品を繰り返し観る→知ってる「現代アート」の枠が閉じた状態で安定しちゃう、ていうことになってる感ある。私。やっぱね、映像とサブカルと科学技術ですよ。というわけで今から市立美術館もいきます(白眼)時間がないなあ
コメダでドミグラスバーガー食ったら大きかったので満足した。
( ˆᴗˆ )完。