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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真表現大学】H30.11/18(日)作家インタビュー撮影&「研究ゼミ③」

【写真表現大学】H30.11/18(日)作家インタビュー撮影&「研究ゼミ③」

久々の表大レポです。しばらく自分の個展の準備と後処理でワーッてなっておりました。ワーです。さて本日はインタビューです。受ける側です。ワー。

この図書館は写真家の養成だけでなく、動画、CGや音楽、ドローンなどメディア全般での人材育成を行っているため、互いに実験台になって「生徒が生徒を取材して販促・記録用動画コンテンツに仕上げる」という企画が可能だったりします。

 

(1)インタビュー 

撮影してくださったのは、動画系(Eスクール)で学び中の福田さん・田中さんのコンビ。元々はグラフィックデザイナーでお仕事をされていたのが、近年は写真撮影も同時に依頼されるようになり、写真や動画の撮影・編集も含めて自前で手掛けることが出来るようになるため、この学校に来られたという経緯があります。今やマシン操縦士。

静止画・動画のマシンの敷居が低くなり、1台のカメラとPC上のソフトで何でもこなせるようになった分、現場の労働者にそれだけ業務力の多様化が求められているということです。恐ろしい時代です。なんでも器用に顧客目線で柔軟対応できる人はいいですが、職人肌のこだわり派には厳しい時代です。アンセル・アダムスもどきの職人カメラ親爺どもは、一体どうやって生きてゆけばよいのでしょうか!?  しりません。

 

インタビューは1時間ほどで終わりました。ありがとうございました。

「与党を支持しますか」「民主主義をどう考えますか」「原発は賛成ですか」等の危険球が飛んでくるかなと身構えていたのですが、ものすごく善良なお二人だったので命拾いしましたです。主に今回の個展のテーマの話、作品制作の話、ゲームの話、被写体となっている「モンスター」との関係についての話でした。
詳しくは動画で(出来上がったら、いつか何かでupします)。

私からの回答は、概ね過去記事で書かれていることがベースになっています。言葉なんて、一度紡いだことのあるところからしか出てこないものなので、評論はやったりやられたりしておくべきです。 

mareosiev.hatenablog.com

さてモンスターのくだりですが、自分でも興味深いところで、制作フェーズの段階によって思いが変化しており、作り溜めている時点までは「都市で遭遇/召喚した存在=味方、同志、同族種」という思いが強かったのですが、会場に展示して「作品」として客観的に観た時には、対峙の関係にあることが分かり、「都市は作品制作者が恣意的にどうこうできるものではない」「むしろ圧倒的に外側にあり、ともすれば非対称的な関係にある」などという思いに至っています。当初はまさに未知のクエストという趣だった都市探索ですが。いつしかヒトとの付き合いを考える場になり。恋愛も夫婦も都市も楽しいのは最初の1年ぐらいで、あとは現実的に辛気くさいですね。未婚者ですけど。つまりみなさん個展はやるべきです。

で、そんなあれこれはあるけれども、ゲームのフォーマット(プレイスタイル、文体、インターフェイス等の仕組み)を延長して援用することで、作品制作の全体のフローを回しているなど、自分で説明していて、ああこれつまり全部ゲームやんと。それだけ日本のゲーム(システム)は良くできているんです。良くできているんですよ。良くできている。

質問の中で面白かったのが「ドラクエはモンスターデザイン一つとっても完全に鳥山明の世界で、動かしようがないが、FFは世界観はすごいが自由度が高く、あなたの作品に合っていると思う」という指摘でした。

わあい。\(^o^)/ いい指摘す。まさにそうです。FFは勝手に受け手が拡張できますが、ドラクエは個人デザイナーの物で、ディズニーランドのようなもので、そこに没入するかどうかしかなく、改造して他のジャンルと連結させるという余地がありません。

あと「ふとんの写真は都市に合わないと思ったけれど、スライドショーを作る時に他の写真と混ぜたら違和感がなかった」というご指摘も、たいへん有り難かったです。まさにそうなんです、はい。ふとんだけで見ると何のこっちゃという、物議と混乱を招く作品ですが、モンスター群に混ぜると、混ざるということです。

毎回行く先々で物議を醸す「ふとん」シリーズ。 不定形のこの存在は、都市そのもののハードウェアではないが、都市に生きる者が一日の果てに行き着く場であり、一日の始まりに再出発する地点である、すなわちライフサイクルの結び目であります。この有機体がぼこぼこ湧いてくる地点が何か重要な気がしています。

田中さん福田さん、インタビューありがとうございました。 

 

(2)研究ゼミ3

昨年は毎週のように学校に来て現役生の授業でワーワーやっていましたが、今年度は自分のことでワーワーしていて学校自体来れていません。ワー。

今年度のゼミは相変わらず2名体制です。贅沢だ。

◆私

いい歳になって文化人類学につばをつけており、当分は得体の知れない部族を研究するような面持ちで資料採取を行います。

私の次のステップは、初回個展までは「大阪・梅田と生活圏」という限られた「点」のフィールドワークだったものを、各地の都市全域へ拡張させることです。本当にこの二年ぐらい梅田しか撮ってない。なんと心斎橋、難波すら撮っていない。わはは。 ああ、(  ╹p╹)   また旅をしないといけない。旅をしないといけない(二度言う)。有休を倍にせよ。

なおかつ、これまでの初期作品の定番であった、ハードウェアとしての都市のパーツ、ディテールの採取を踏まえつつも、逆に造形のエッジが溶け込んだもの――都市の内的な組織、生体としてのビジュアルを捉えることが良いのではないか、という話になりました。それぞれの都市が有する内部構造、細胞、組織、遺伝子を見ていく感じでしょうか。

だから方向性は今回「ふとん」でやったような、不定形、流体への眼差しへ。都市のパーツでもなく、こちら(私性)の主観、体験でもない、その間に漂うもの、都市とヒトとの境界面で揺らいでいる存在、あるいは境界面そのものを撮ることが肝なんではないかと思います。
都市が我々に最も近く寄って来て、溶け合いそうで交わり切らないところ。よく写真家に好まれるclubや夜の歓楽街、盛り場を舞台とするスナップショットは、まさにそこ(=人体と都市が融和する最大のチャンス)を突いているのだと思います。私はそれを、都市が大生命であると仮定した上でやらないといけません。

先生からは「作家は簡単に分かられて納得されたら終わり」「分からないものを世の中に示して考えさせるのが仕事」「だから今回の個展は″ ふとん″が重要な作品だった」とのお話。

逆にみんながふとんを自力で解読してすんなり意味を語ってくれてたら私は落ち込んでたと思います。ええ。ネタのばれてる手品をご祝儀で拍手されてるような。それはつらい。

 

できたら今後は、KG+の公募枠で、元・淳風小学校会場などでモンスターを投入したいところですが、都市論を語るには手持ちの都市データの幅がまだ狭い。少なくとも関西圏の資料をめちゃくちゃ押さえて、三都、四都ぐらいを繋げ、それらは有機的な機関であるとか、関西は実は古代の巨人が封印されたものだったのだ!とか、むちゃくちゃなことを言いたいです。いいなあ。言いたいなあ。近畿でヤマタノオロチを復活させるようなことがしたい。しましょう。反スサノオ。いいですね。逆スサノオ論。わあい。楽しくなってきました。オロチを探す旅に出ます。有休を倍にせよ。

( ´ - ` )蛇卍

 

◆鷹岡さん

冬のミラノのアートフェアにギャラリーが鷹岡さんの作品を持っていくので、早急にそのセレクトをしないといけないということで、その作戦会議でした。

明らかにミラノと書いてある。新宿ミラノ座ではない。こんなマーケットに作品を出せるというのがまず凄いんですが。

 

各国の人形の写真と、「窓・カーテン」を背景・余韻とした作品での出展を考えておられ、テーマも、部屋での飾りやすさも、伝わりやすさがあります。私も「売り買いの場に持ち込むなら、買ってもらいやすい作品はよろしいですなあ」「部屋に飾れる作風なのは良いですなあ」とか言っていたんですが、

 

後に、今後の主力となる「光」の作品のセレクトをしたところ、これら「光」の作品は、段違いに良く、鷹岡さんの作家キャリア上も重要な作品となることから、さきの人形 × 窓・カーテンの2枚連作の企画について、先生から「待った」がかかりました。


今後の作家人生で主力となるべき「光」のテーマの扱いが、人形のイメージの強さに圧され、背景≒「カーテン」へと薄まってしまっていた。そのことへの危惧でした。

「売るのも大事だが、あくまで鷹岡さんが”光”の作家であることを、皆に知ってもらうのが大事なのではないか」と、改めて先生からアドバイスがありました。

納期がもう目前に迫り、納品のイメージも出来上がっている中での、お互いに譲れないやりとりが続き、ここで猫でも通ってくれないかなとか思いましたが、猫はいません。ニャー。

やりとりが続き、その打開策として先生が示したのは、「人形シリーズの組に、”光”の作品を1組加えるだけで良い」「作家性を訴えつつ、さらに人形作品に添えられた”カーテン”の写真が意味を持ち、価値を帯びる」という案でした。その展開図をホワイトボードに描かれた際に、私も鷹岡さんも「あっ」「そういうことで」「うへえ」「それなら、はい」と落としどころに着地。

 

(  ╹p╹)  納得感。

 

市場のニーズに応えようとすることと、作家性・テーマの芯を伝えることとのせめぎ合い、そこに示された現実的な打開策は、まさに実践的でした。今後自分が使うべき時があると確信しました。やばい。特に人様の作品にアドバイスする時に。相手の作家生命の先々まで見据えて、評論・提言が出来るのかどうか。しかし、作品の並べ方一つでここまで意味が変わるのか・・・写真は恐ろしいですね。すごい転化を見ました。

 

( ´ - ` ) 完。