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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【個展】桜井祥直(Sakurai Yoshinao)「自然と不自然の嘘」@鳥取 ギャラリーそら

【個展】桜井祥直(Sakurai Yoshinao)「自然と不自然の嘘」@鳥取 ギャラリーそら

桜井氏は、皆の夢を叶えるコンサル写真家だ。突き詰めれば、対話機能のついたコンサルティング型フォトアプリとでも言い表そうか。桜井氏とその作品には全て、「対話」や「協働」の跡がにじんでいる。

 

 

今回が初の個展となる彼の世界観は、現実と虚構が混ざり合うポートレイト集となっている。素のストレート写真もあれば、撮影後の画像処理によって生み出された「虚構」もある。共通しているのは、彼の地元・鳥取を舞台として、その土地の歴史や伝説を踏まえながら、写真家とモデル、小道具や衣装などの制作者らが、共に意見を出し合って紡ぎ上げた、協働による物語の一篇であるということだ。

 

 

 

会場に散りばめられた作品はどれも、地元でプロカメラマンとして活動を展開していくにあたっての配慮と計算が込められている。

被写体を努めたモデルの思いや個性を尊重しつつ、美しさを引き出すこと。地元・鳥取の魅力を発信すること。桜井氏自身の商業活動の広告となること。関わった人たちが「楽しい」と思えること。

あくまでプロとしての気配りと計算を下地として、依頼人の「自分らしさ」を発揮できるための仕掛けを盛り込みつつ、企画全体をデザインし、写真という世界を用いて「遊ぶ」のである。

 

 

登場人物に「子ども」はいない。皆、何かしら社会的な居場所と役割を持ち、考えを持ち、生活のある、「大人」だ。それらの重みから一瞬、自由になる浮遊感と、別のどこかへ第二、第三の自分を着地させるための工夫が込められている。

 

かつて、昭和の頃などは、大人・社会人には、自分らしさは求められなかった。むしろそれらを捨てさり、所属する職場の歯車になりきることが求められ、人生のプランにおいても、何歳までに結婚し、何歳までに子を何人もうけるべきかといった「正解」、暗黙のルールがあった。娯楽・趣味も、あたかも選択制のように「正解」が限られていたように思う。

現代は、性別、年齢、所属先に関係なく、個々人が自分らしさを楽しみ、「遊ぶ」ことが相当に進んだ時代となっている。個人が自分の「らしさ」を選択し、プロデュースする時代である。趣味間の貴賤も薄れ、「オタク」は把握不能なほど細分化されている。

 

しかし、簡単なことではない。

「遊び」には確かなガイドが必要だ。拙ければ、陳腐であれば、遊びの興は削がれてしまう。遊びじゃないマジな「遊び」でなければ、「大人」は遊べない。その矛盾ゆえに、誰もが一歩を踏み出すのに躊躇する。登山でもマラソンでも酒蔵巡りでも、誰か精通した人に率いられて初めて、「遊び」として昇華されるのである。変身や変装、物語の映像化といった自己演出も同じだろう。めいめいが「なんかカッコよくなりたい」「○○みたいになってみたい」等と、何となくイメージを抱いているが、それを具現化するためには、具体的な技術力が不可欠となる。

 

その技術の提供者にして、人々の願望を聞き出して構想をまとめるコンサルテーションの役割を担うのが、桜井氏というプロフォトグラファーだ。

彼が強調する「おれのやっているのはエンターテイメントだから、皆が喜んでくれればそれでいいんだよ」というスタンスは、まさに自身を、クライアントと向き合うコンサルカメラマンとして自覚しているからに他ならない。このような覚悟は、実際なかなか難しく、腹をきめていなければ言えるものではない。

 

その一方で、桜井氏は写真界の研究にも力を注いできた。

「演出」という手法、山陰・鳥取という独自の地域性、そして写真を「楽しむ」という精神。これらを最も体現したのが、世界でも名を知られる写真作家・植田正治である。

 

昨年度、桜井氏は私と同じ写真・映像系スクール「写真表現大学」に通い、毎週末には車を飛ばして鳥取と大阪を往復する生活を続けていた。「鳥取で活動する演出写真家ならば、植田正治の精神を学ぶことが絶対に必要である」との教えを受け、仕事に忙殺される傍ら、必死でその理解と実践に努めていた。 

 

作品に深刻さを伴わなわせず、自分語りをさせず、モデルと全力で真剣に「遊ぶ」こと。自分自身をも、その虚構の作品世界に投じていくこと、こうした姿勢は、桜井氏が元々備えていた性分に加えて、植田正治からの学びによって徐々に深化されていったと言えるだろう。

 

 

 

若き日の植田正治は、休日になると家族一同に命じておめかしをさせ、近所の人が皆一様に驚いて「何ごとですか」と不思議がる中、鳥取砂丘などへ連れて行った。自身の描くイメージに基づいて厳密に指示を出し、長時間にわたって撮影を行ったといい、「日頃は優しい父親が撮影の時は厳しかった」という家族の述懐が興味深い。

その映像世界には、20世紀初頭に世界で吹き荒れた新興写真から受けた衝撃が濃厚に息づいている。文脈を一転させるようなオブジェの配置、切り取り方、コラージュ、大胆なトリミングなどを駆使して、実験的でシュールな映像を模索していた。その成果として、砂浜でリズミカルに人物を配置した演出写真『少女四態』(1939)を代表格に、鳥取砂丘ホリゾントとみなして人物を撮影する「植田調」の世界観を実現し、後に海外でも高く評価されるに至った。

 

その反面、植田正治は山陰のあちこちに旅に出かけては、素朴な日常の光景と向き合い続けた。出会った子供らの笑顔や走り回る姿を撮り、生活のシーンで素朴さの中に浮き上がった光景を掴み、少し不思議なオブジェを撮った。時代性を重視し、暗く寂しい山陰のイメージに依拠すべきでないとする姿勢が伺える。 

 

 

 

 

 

 

「遊び」の中に見え隠れする、実としての「自然」、それがより濃く見えてきたとき、桜井氏とそのクライアント達の織りなす「嘘」は、光と影の関係のように、更に力を増すだろうか。

実はこれらの写真群をざっと俯瞰してみたとき、今大いに流行しているコスプレ界隈、ここにおけるカメラマンとコスプレイヤーらの活動形態と、構造が似ている。無論、コスプレ写真と表現活動写真の両者に、貴賤はない。それぞれに意図も用途も最初から異なるものである。ただ、演技や変装を用いたセルフプロデュースによって、参加者らの希望する第二、第三の虚構世界を設定し、身を投じて「遊ぶ」という構造は、似通っている。

しかし最大の違いは、コスプレが二次創作、すなわち既存のゲームやアニメといったメジャーな「作品」(商品)に依拠しており、それらの再解釈と再現によって成立するのに対して、桜井氏の世界は帰属先がなく、事実上の一次制作にあたる。よって、「嘘」の確度は、その演出技術だけでなく、舞台となる「実」の土台をプロデュースする参加者、責任者の意図と力量に依存する。

 

もし、「遊び」の世界が、山陰・鳥取と替えがきかないような香りや空気感を孕んだとき、遊びは更に一歩、二歩と、その土地の神話へと踏み込み、そこへ投じられたモデル = キャラクター達は、更なる不自然の命を得られるのではないか。

ここから何かが始まる、そんな期待感を持たせてくれる展示だった。

 

『打吹天女』(うつぶきてんにょ)作品内登場・全長10m 藍染布絹

 

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なお、本来であればここで筆を置くべきだが、敢えて一歩進めたい。こうした桜井氏のスタンスとキャラクターには重要な示唆が含まれている。

 

現代、写真家と被写体・モデルとの関係は、どうあるべきなのか。

 

冒頭で桜井氏を「フォトアプリ」と称したのは、言うまでもなく、荒木経惟の存在が念頭にあったからだ。

 

今年4月、荒木経惟の長年の「ミューズ」として知られるKaoRi氏が、『その知識、本当に正しいですか?』(H30.4.1)をnoteへ投稿し、主にWeb上で大きな物議を醸したことは記憶に新しい。そこでは写真家とモデルとの間に実は非対称な力関係があり、著作物や発表方法及び対価の支払いに関する権利関係が曖昧なまま、モデル側は発言を封殺され、一方的な搾取状態にあったことが濃厚に綴られていた。

 

次々にWeb上で関連記事が立ち上がり、SNSでも怒りの声が上がるなど炎上の様相を呈したが、その騒動を受けて写真評論家・飯沢耕太郎氏が、Webサイト「REALTOKYO」へ『アラーキーは殺されるべきか?』を寄稿した。カメラマンと被写体を巡る時代・社会の変化を認めつつ、写真史における作家・作品の価値については冷静に評価するよう促すものであった。

そこで言及されたのは、森村泰昌のテキスト「アラーキー殺害予告」(『ユリイカ』1996年1月臨時増刊号『総特集=荒木経惟』)の記述である。かつて、デジカメどころかコンパクトフィルムカメラも普及していなかった時代は、女性は自らを発信する手段を持たず、その代わりにアラーキーという稀代の写狂人をカメラとして活用したのではないか、というくだりが引用された。

この森村氏の分析は非常に的確で、私の意識に相当なインパクトを残した。

  

実はKaoRi氏の#MeToo騒動の際、身近なところで一番怒っていたのが桜井氏だった。逆に言うと、写真表現大学の仲間らでも、怒っている人は他には特にいなかった。桜井氏だけが、真っ当に怒っていて、昼飯を食っている最中も、夕暮れの美しい路上でも、日付の変わる頃の深夜のLineでも、真っ直ぐに怒っていた。

それは、モデルをモノみたいに扱うな、関係を蔑ろにするな、搾取するなという、ひどく真っ当で真っ直ぐな内容だった。

 

桜井氏は、確かにスクールでは植田正治を学び、その精神を受け継ぐことを試みてきた。しかし本質的には、荒木経惟の逆説のような存在であると感じる。

無論、知名度を始めとするあらゆる面で、荒木氏には遠く及ばない。しかし、眼鏡と髭で自らをキャラクターと化し、自ら写真作品に登場し、モデルやクリエイター達の自己表現、時には望む「エロス」の演出を叶えるための、カメラ兼出力ソフトとして稼働する。こうした類似点が非常に多いのである。

 

ただし全く異なるのは、桜井氏は対話し、協働を重んじる点である。荒木経惟は、モデルを自身のアヴァンギャルドな偽の世界へ引き込み、共に消耗しながら格闘し、言葉を超えた、何か得体の知れないエネルギーを引き出そうと試み続けてきた。しかしその「私写真」の手法は、現代を生きる一般人に適用することは、もはや難しいと言わざるを得ない。それはどこまでも荒木氏個人の生と死だからだ。

生きるも死ぬも、何がエロスか、何が「芸術」かも、個々人の確認と了解とをなくしては、成立しえない。今は、はっきりと、そういう社会に突入した。発言権は著名人だけのものではなくなった。社会が成熟したということだと受け止めなくてはいけないだろう。

そうした世情を踏まえた上で対話と協働を重んじているからこそ、桜井氏は、誰よりも怒っていた。モデルはみな究極は「女」「女体」かもしれない。しかしそれ以上に、一人一人、精神も来歴も体調も、すべてが異なる。それを無視、封殺した「芸術」など、ありえるはずがないではないか、と。

 

H30.6/9(土)、16時過ぎに会場に入ってから、18時過ぎに会場を後にするまで、桜井氏はひっきりなしに来客応対に追われ、他の造形作家らとの次回の構想についてディスカッションし、上の階の特設スタジオで依頼撮影に応じ、私達には鳥取の魅力や旬の食べ物を勧め、精力的に皆を「楽しませて」いた。最後は、もうへろへろになっていた。何という男だ、と思った。桜井氏を見ていると、90年代あたりとは、社会が何かが大きく変わったということを実感しつつ、私自身の在り方を自戒させられるものであった。

 

また夏には鳥取でうまいものを飲んだり食べたりしましょう。

あっ、もう夏か。

 

( ´ - ` ) 個展、お疲れ様でした◎