写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展/KYOTOGRAPHIE】深瀬昌久「遊戯」 @誉田屋源兵衛

【写真展/KYOTOGRAPHIE】深瀬昌久「遊戯」 @誉田屋源兵衛

咳をしても一人。写真をしても一人。

俳人・尾崎放哉の底知れない寂しさが重なりました、写真家・深瀬昌久の回顧展。会場の入口を覗くように彼は佇んでおられる。2012年没。享年78歳。しかし色ツヤ表情は健在で、在廊中のようなお姿だ。

 

1992年、深酒のすえ新宿ゴールデン街の行きつけのバーの階段から足を踏み外して脳挫傷を負い、そこからは写真を撮ることかなわない入院生活。以降は写真展も行われておらず、深瀬氏の名を知るのは、昭和の写真家をまとめた評論本の中だけでした。

 

 本展はそのように、作品発表が途絶えている深瀬昌久の功績を再考するものでした。わあい。いたたたた。先端恐怖症なんですよ私。顔面にピンが刺さりまくっている。いたい。これはそういう民間療法ではなく、顔面の写真にピンを刺しまくったものを更に超巨大ポラロイドで複写しているのです。凄い描画だ。

 

あかん。舌に針。先端恐怖症なんすよ先輩。だめ。これもベロ写真にピン刺してポラ複です。そうには見えない生々しさ。いかん。生理に来ます。後に展開する作品群が、作者の精神が肉体を離れて彷徨い出すことと対比的に、初手ではこれ以上ないほど肉体に眼が縫い込まれる。

 

深瀬昌久とは何者だろうか。

曰く、「自分」を追求し続けた写真家。曰く、妻を撮り、妻に去られた男。曰く、「家族」を撮れば、家族が解体してしまった作家。曰く、カラスに同化していった者。曰く、猫的人間。曰く、ブクブクの人。曰く、「救いようのないエゴイスト」。

いずれにせよ伝説に近い存在です。

 

会場の構成は以下のとおり。

<遊戯>

・「遊戯 -A GAME-」:1983年、20×24インチ超大型ポラロイドカメラ複写作品

・「カラー・アプローチ」:1960年代、多重露光フォトモンタージュ

・「サスケ」:1977-78年、「烏」シリーズと同時期に撮られた愛猫にゃん。

 

<寂寥> カラス作品。不穏さ、幽玄、POPさ、かっこよさのいずれをも体現。

・「烏」:1976年、モノクロの展示用ビンテージプリント。暗い。不吉、暗黒、文学。

・「烏:夢遊飛行」:1980年、カラー写真での多重露光フォトモンタージュ。宇宙。

・「私景:烏」:1992年、手札サイズ。近年発見。ベランダから1000㎜望遠で撮影後ドローイング。

・「烏景」:1985年:カラーリバーサルを、ポラロイドを印画紙代わりにして出力。

 

<私景> 1992年、最後の個展「私景’92」部分再現。「自分」をひたすら撮りまくる。

・「ブクブク」:1991年、お風呂(浴槽内)でセルフポトレ。

・「ベロベロ」:1991年、舌と舌を合わせてセルフポトレ。

・「ヒビ」:1990-92年、路上のヒビを自分の延長と見なして撮ってドローイング。

・「私景」:1990-91年、日常風景に自分を投じてセルフポトレ&ドローイング。

 

∴多彩かつ多才

 

特に多彩な多才さを感じたのが序盤のカラーでのフォトモンタージュ。この人、妻と烏と猫の作家じゃなかったっけ? と思っていたところ、意表を突かれる。

写真にシュールレアリスムを、と、当時28歳の深瀬はイメージを重ねる。定まったテーマ性はなく、どちらかというとシュール世界を手元に引き寄せるための映像実験の趣があって楽しい。

 

1980年のカラスの多重露光も、烏シリーズのヨコ展開でありつつも、モノクロのカラス作品群のように、深いところへ堕ちてゆくものではない。これについては深瀬自身が「1回きりにしようと思う」「凝り性なので、重ねをやり出すと、だんだん見せるための抑制がきかなくなって、過剰に、そしてひたすらグロテスクになっていく」と意図を記している。

 

この、自分で自分の本質を「凝り性」「グロテスク」と称しているところが、深瀬昌久なる人間の怖さである。自覚があるのだ。依存症でも狂気でも、自覚がない人は厄介だが、自覚があってなおかつその状態にある者は、かえって始末が悪く、おそろしい。

表現に取りつかれた人種というのは、不幸だと思う。

自戒を込めて申し上げるが、鋭い興奮に満ちた不幸者だ。誰のことも幸せにしない場合がある。身近な人のことを侵食し、消耗させ、もしくは放置して、自身の内面世界へ没入し、すべからく離別を迎える、場合がある。恐ろしい。それを自覚していて、それがやめられない。恐ろしい。誰の事でしょう。恐ろしいですね。挙句「君なんてまだまだだよ」と言われたりする。それで、そっちへ寄っていくと、本格的に穴に落ちます。もう作家でも通常人でもない半端者になっていたりするわけ。怖いですね。穴に落ちても

  

「サスケ」の章は安心感があります。愛と発見があって幸せです。犬を毎日撮ったり描いたりする人ってあまり見かけませんね。筆者の身近には猫の絵を毎日描いてインスタにあげてるやつがいるんですが、猫にはそういう力があります。 

 

 

深瀬作品とその人生を覗き見るとき、日常や「私」というものの輪郭がなくなり、 どこまでが作者なのかよく分からなくなるという感じに襲われます。単に空気感がどうとかいう話ではない。何を言ってるのかよく分からないと思うが、私にも分からない。作者は自身を猫だと言ったが、猫に憑依していると言うべきか。これと同じことは烏シリーズにも言える。 

 

 

さて名作「烏」シリーズ。

暗い。不穏だ。それだけではなく、愛猫サスケの時と同様に、視るもの撮るもの全てに深瀬が宿っている。逆に言えば、深瀬昌久なる一個の個体の細胞壁が溶け出して、個で居られなくなり、被写体に憑依しているようだ。

この作品は、妻をモチーフにした写真集「洋子」(1978)を見てから触れるべきだった。徹頭徹尾自分のことしか頭にない作家である、撮影者―被写体という共犯関係を結んでいられる間はよいとしても、それ以外の日常をどう共存するかという問題がある。1976年に離婚です。地獄だな。

まさに夫婦生活が破綻する頃、東京の家を飛び出して故郷の北海道を目指す逃避行の旅が決行され、その道中で烏シリーズが生まれたという。

  

深瀬昌久という人物像を完全に覆い隠し、予備知識なくこの陰鬱な烏と海景を見たら、果たしてこの作者をどうイメージするだろうか。私は、黒髪の、危険な眼をした女子高生を思い浮かべた。決して男性ではない。用量・用法を守らずに文学を過剰摂取し、鬱屈した十代の女子が立ち現れる。

底が抜けそうなぐらい深くて重い「自分」を持ちながら、それを支えるための構造体がなく、容易に土砂崩れを起こしてしまう厄介な子。面白いが、共存は難しい。そんな女子。

 

日常とは何でしょうか。

深瀬作品ではワタシとセカイの境目が融解しているが、具体的な生命体である猫とか烏が来ることで、そこにワタシが憑りつき、眼のやり場が収まっていくようにも感じられた。これは写真の読み方としては逆だと思うが、それだけ烏のシリーズは外界と内面を遊離させる力が強いのだろう。テキーラを思いっきり呷った状態で観覧するのもいいかもしれない。

 

 終盤の私景は、もはや美しさや繊細さと異なる領域にある。

なんだこれ。

「私」の視る景色の全てに自分自身を絡めて、「日常」を全て表現の素材へ転換していくところは、荒木経惟の感性に近いものがあります。水彩絵具でのドローイングが多用されるせいでもある。

が、荒木世界よりも、もっと粗い。なんだろう。野良猫が外界やうちの中を確認して回っているような、自分と世界の境界を確かめて回っている感じがある。それも、アートとしての戦略性ではなく、野良の本能で。体の器官の一部として目・耳・鼻・口・カメラがある、といった風の写真です。

 

 

ひでえ。

これを思うと荒木作品はカオス、エログロを装いながらも、透明感が根底にあって洗練されている。人妻を撮ろうが縛ろうが、どこか芸能、舞台芸術の祖先めいた、「芸」としての突き抜け方がある。

舞台として設置された写真の文体、自らはその監督であり狂言回しとなり、そこに居るのだが、居ない。女優との間には透明なものが流れ、つまり荒木自身は死んでいて、そこにエロスとタナトスが成立する文法がある。深瀬作品を見るとその構図が浮かび上がってきた。

 

色彩感覚が独特です。アフリカの作家かと思いました。

これら「私景」での深瀬作品は、生き生きとしている反面、寂しい。「烏」シリーズでは自他が融解し浮遊していた「我」が、決定的に、いち人間の肉体に戻ってきている。

そのおじさんが、全力で他者(雑草、路上、風景をも含む)と、コミュニケーションを試みる。援助交際パパ活なんてメじゃない、相手が人間だろうが概念だろうが意に介さない。肉体には戻ってきたが、その肉の中が空虚さ、寂しさで悲鳴を上げているのだろうか。尋常ではない。

  

ここで興味が湧いた。このドローイングは何のために為されたのだろうか。90年代、なぜ自分を執拗に撮ろうとするのか。

思いついたのが、90年代に出現した新しい世代の写真家です。

森村泰昌やなぎみわ長島有里枝といった、現代アートの文脈に近い写真家の台頭。彼ら彼女らの最大の特徴が、表現手段の選択肢の一つとしてカメラを用い、自分自身の身体・存在をメディア化して用いて発信したこと。

 

時期としては微妙にずれていて、彼女らのデビュー作が来るのが94年以降ですが、映像における「時代」が決定的に変化していたのは間違いないでしょう。

87年に「写ルンです」2代目(富士フィルム製/ISO感度400に改良)が、89年にはパスポートサイズのカムコーダー(SONY製ビデオカメラ)が登場するなど、一般民間人が自分たちを撮り、「自分」を語る方法論が、相当に拡張されたと考えられます。

そのメディア変革の波は、写真家界隈にも刺激をもたしたのではないか? 暗黒女子の煮えたぎる闇鍋から、カラフルな自撮りへと変貌した深瀬作品を見ていると、平成という新たな時代の幕開けに、表現者の血が感応し、作家の身体を新たなステージに向かわせたようにも感じられたのでした。

しかし新しい世代と身体が根本的に異なり、その肉体には想像を絶する人恋しさと寂しさの叫びが渦巻いていることもまた明らかになってしまう、そういうことを垣間見て、昭和と平成の何かを味わいました。

 

面白かったです。闇めっちゃ好きですよ。

闇の無い人間なんか信用できませんね。 

 

( ´ - ` ) よい暗黒日和を。