写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】2017年度修了制作展_「温帯の繁殖者」~神様はいない、溶ける都市~

【写真表現大学】2017年度修了制作展_「温帯の繁殖者」~神様はいない、溶ける都市~

 

表大の修了展が開催中です。(3/11(日)18時まで)

しかし恐らく、会場で最もよく分からなくて困惑するのが、私の作品かと思います。

なので、作者はいい歳をして、一体何を考えてこんなことをしているのか、簡単に揉んでおこうと思います。揉み。

 

ヴィーン ヴィーン。

人類の皆さん。こんにちは。こんばんは。都市です。

 

 

基本的には、都市論です。

1年前の、写真表現大学・2016年度修了制作展と同じテーマで、その延長線上にあります。前回は「都市の棲息者 -大阪・梅田-」という、わりと身も蓋もないテーマ名でした。電車の行き先表示板みたいなサブタイトルですね。阪急の回し者ではありません。

 

<昨年の修了展>

 

ゴゴゴ。

この時の論旨は、「都市の計画、デザインから漏れ出した存在を撮り溜めていった結果、それらはゲームやアニメなどのサブカルの世界観に通じる者たちであった」という話でした。都市にはサブカルの感性が息づいていたのです。

 

 

バシャッバシャッ。

今年度は春からそのへんを強力に推し進め、都市空間がゲームの舞台となり替わりつつあることについて、ゲーム界の映像文法をより積極的に写真に組み込む試みをしていました。一時期かなり手の込んだ合成獣を作っていました。

が、一方で、毎日眠りにつく前に「ふとん」をストレートで撮りためるなど、私自身の無意識下で「素朴な日常生活」への関心が高まっていました。

 

 

ウジャー。モヴッモヴッ。

都市のパーツが垣間見せる疑似生物、サブカル世界観への強い憧憬と、自身の日常生活で心に引っかかるシーン(=ふとん)とは、話が根底で共通しているのではないか。共通の議題として扱うことはできないか。これが次のテーマへのスタートラインとなりました。

バラバラに分かれているように見えた道も、「都市論」という大きな視野からすると、ある一つの山を登ろうという話なのではないか。では一つの山として登りましょうということです。

 

 ウジャー。

「ふとんと都市のハードな写真を一緒に展示するの!?」「絶対おかしくなる」「やめたほうがいい」と色んな方から心配されましたが、多分その時点で、私はふとんを「ふとん」として見ておらず、生き物として見ていたと思います。秋以降は色々とあり、人生や生活というものを再考する機会があったので、この「ふとん≒生きている」説を進めました。 

 

そこから「都市論」の形として、以下のような組み立てを再考しました。

 

①作者(都市生活者)において、都市空間、サブカル世界、私生活の場は、いずれも等価である

②なぜならこの国にはメインカルチャーも宗教もなく、都市を統括、統治する「神様」は不在である

③都市の統御系は溶け出し、サブカルに満ちた温暖な風土の中で、日常のあらゆる場面で疑似生物が自由に繁殖する

 

(④そして近い将来、人口減少と社会保障の増大によって国力が低下しきった暁には、都市はいよいよ誰にも管理できなくなり、彼らモンスター軍勢の天国となるであろう)

 

  

①~③が今回の展示タイトルとなっている要旨です。「小っちゃい頃から今に至るまでゲームやりすぎて視界がブレてるんちゃうの」というご指摘もあろうかと思いますが、ええまあ、けっこうやりました、初期FFとかロックマンは良いですね、最高です、未だにレトロゲーのプレイ動画は大好物で、女神転生のモンスター画像とか滅茶苦茶いいです。しかしそれだけではないのです。

 

 

 

問題は都市の側です。核となる信仰や歴史の骨がない私たちが辿った道は、消費社会としての洗練と、消費者としての洗練でした。その完成形において、「お客様」として、「神様」の地位に個々人が鎮座したのです。その消費社会を支える事実上のメインカルチャーにしてメイン産業の一つが、サブカルです。「お客様」(=神様)がサブカルを求める以上、都市はそのニーズに応じた姿を反映します。

 

都市は高名な建築家の哲学によってではなく、また歴史性や信仰心によってでもなく、個々の企業やオーナーの商業的意向、マーケティングによって建設されていくのです。この温暖な、芳醇な場。都市は、人間対自然の対立構造の象徴などではなく、人工物が有機的にふるまう繁殖の「場」と化すのです。たのしいですね。酒が止まりません。アブサンを追加しよう。ぎゃはは。

 

 

 

まだ、展示で④の論を詰めきるまでは到達できていないのですが、これは大都市でパーツを求めて撮影していると、確実な不安として実感するものであります。

 

例えば横浜のみなとみらい、東京お台場、大阪グランフロントが数十年後、あの規模で丸ごと老朽化し、本格的なメンテナンスを必要とした時、一体誰がどれだけのお金を出してどうやって何とかするのでしょうか。日本全国でそういうことが今後同時多発的に起きます。お金も人もいません。神も仏も土木労働者もいません。いるのは警備員と警察官ばかりですか。困った。

都市の大規模商業施設や駅構内で、天井や柱がぼろぼろ崩落したり、床が抜けたりしても、誰も直してくれない時代は、どこかの時点で来るのではないか。

 

私にとって、これらの都市パーツのモンスター群は、幼少期から親密な昆虫のようでもあり、一方で、将来、人類に不死の軍勢として牙を剥く存在となるかもしれない・・・という不穏な幻想も抱きます。アンビバレンツな夜です。良い子は早く寝ましょう。酒がたりません。わああ。

  

 

 

ちなみに今回の展示では、「都市空間、サブカル世界、私生活の場は、いずれも等価である」「日常のあらゆる場面に疑似生物(モンスター)が自由に繁殖している」ことを示すため、私自身の生活の24時間(残念ながら夢の中まで撮れないので、覚醒中の間だけ)を時系列で示すという構造をとりました。

 

都市生活を送る私たちが普段目にしている、何気ないシーンの中で、既に彼ら疑似生物の萌芽は、うごめいております。 決して私がゲームジャンキーなのではなくですね・・・。

 

それはつまるところ、日本の都市、ひいては都市生活って、「全国どこに行っても大体同じ」というよくある話に繋がっていると思われます。もちろん地域の政治的事情、気候風土にあまりに差がある場合は、それぞれに特化した生活文化・習慣がありますが。それでもインフラや生活用品、そして娯楽として消費するサブカルのソフトなど、ベースの部分は共通しているはずです。汎都市。

 

 

簡単に済ますつもりが

長くなりましたが、

 

 

( ´ - ` )ノ きてね。

 

 

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