【ART―写真展】写真史(仮) 金村修、タカザワケンジ展 @gallery176
( ´ -`) youtube等で「写真家」を検索すると、星の数ほど写真家がいるはずなのに、出てくるのは森山大道、アラーキーと金村修の3名ぐらいで、それ以外の作家はろくに出てこない。そんなわけで一部の界隈では超メジャーな金村氏です。
金村氏が登場した2001年の情熱大陸は当時リアルタイムで見ていて「写真家ってこういう感じでいいんだ」という驚きと歓びがあったものです。「こういう感じ」の内容は皆さんでご確認あれ。飄々とした風のように撮る。
そういうわけで金村修氏を生で拝みに行ってきました。
手がたくさん写ってますが製本の講義ではないです。
<引用>
「写真史というのは、時代と状況によって絶えず解釈し直される『写真史』という形でしか存在できないのであろうか」
( ´ -`) できないっぽいですよね。
さあ鄙びた街にきました。
会場のギャラリー176は阪急宝塚線・服部天神という駅にあり、昭和~平成初期あたりで時間が止まったような鄙びた町です(※リスペクト)。
駅前は路地と店がごちゃごちゃしていて楽しく、目移りし、スナップ好きな殿方は心が落ち着かないことであろうよ。Googleマップも酔っ払ったようなGPSをするので迷子になります。人生含めて迷子です。
ギャラリーあった。
gallery176は「ギャラリーいなろく」と読みます。これは、大阪民はみんな国道176号線のことが好きすぎて、関西弁で「いなろく」と呼んでいるためです。だいたいあってると思う。
ギャラリーの左右の壁で展開する作品は、写真評論家・タカザワケンジ氏の作品。これらは、業務のために写真集の複写を5秒おきのインターバル撮影で行った際、頁をめくる手が入り込んでしまった「失敗」写真だという。その偶然性を作品と捉え、写真史の時系列に配置したもの。
( ´ -`) これがまあ全然作者を当てられなくてさ
( ´ -`) 中間テストで赤点取った気分
近~現代の写真。
みなさんどうですか。当てられますかね。
さすがにナン・ゴールディンとベッヒャー夫妻は分かるとしても、あとは全然だめでした、出直して来い状態です。特定の作家以外の写真集を全然見てなかった。トークショー前にへこみます。
( ゚q ゚ ) 石内都もわからんとは…。
こっちは写真黎明期から近代まで。A・スティーグリッツやウジェーヌ・アジェから、ザンダーとかバークホワイト、R・フランクとか、その中に関西が誇る安井仲治がいてはります◎ この人のセンスはあたま幾つか抜きんでている。
( ゚q ゚ ) こっちもまるで当てられません。赤点必至です。マン・レイとかアンドレ・ケルテスも、言われたら「あ、」てなるけど、まあ分からないもんですね。そんな中でアンセル・アダムスは強烈によく分かります。
始まります。
金村修氏、タカザワケンジ氏のトークは、著書「挑発する写真史」の元となったトークセッションの関西版ということで、関西における写真史・写真作家の独自性を押さえていこうというもの。
<概要>
◆戦前からの芸術写真の流れ(関西・関東) ― 安井仲治、中山岩太
(※芸術写真=アマチュア。割とお金持ち。)
not ジャーナリズム、広告、ファッション(金にならない)
↓
◆戦後:グラフジャーナリズム時代(関東)
職業写真家、出版・編集は東京に集中
⇔ 芸術写真が関西に残存される 大阪芸大… 岩宮武二、井上青龍、猪瀬光
↓
◆70s~:インディペンデント・ドキュメンタリー / ビジュアルアーツ
←60s~ PROVOKEが関西へ飛び火
― 百々俊二、妹尾豊孝、阿部淳、森裕樹、石黒健治
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<それぞれの作家について> (私の補足あり)
【安井仲治】
・1930年代の新興写真を汲んだ実験的写真のほか、サーカスのドキュメンタリー、ユダヤ人亡命者のスナップ、風景と、多岐にわたる作風。海外を咀嚼したモダニズムな写真。ある種の天才。
【中山岩太】
・1927仏帰り。藤田嗣治とも交流。ファッション写真。モダニズムの写真家。
・1930、ハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」結成 →1932、野島康三らと写真雑誌「光画」創刊
【岩宮武二】
※元、南海ホークス捕手
・文壇ならぬ「写壇」を牽引。大阪芸大教授。
・石元泰博、モホリ=ナジ、ニューバウハウスの影響 → 日本流のモダニズム / 「結界の美」
【井上青龍】
・1950s~ 岩宮の弟子。そして井上の釜ヶ崎撮影に森山大道が同行する
・「構成的な写真 あざといなあ」「(スナップについて)自由でいいですね~」「凝ってない方がいいですね」「写真学校で出したら怒られるけど」「(写真って)テクニックがあると、だんだんつまんなくなるよね」「アサヒグラフで見た時は真っ黒に潰れててかっこよかった」
【猪瀬光】
・井上の教え子。鉄工所の息子。90年代から活動。
※超絶プリントにこだわり過ぎるあまり、寡作らしい。
・「最初の写真集の名前が『ドグラマグラ』で爆笑した記憶がある」
・「師匠と全然違う」「志賀里江子に近い」「こっちの方が気持ち悪い」「死体とか」「まあ師匠とそっくりだと未来はないですからね」
【百々俊二】(どど しゅんじ)
・70s 活動、72~大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)教員。
・写真同人誌「地平」で活躍。
・芸術写真への反発がある。体で「街」へ入っていく。全共闘世代真っ只中だからか。
・ 68佐世保エンタープライズ闘争を撮っている。かと思えば紀伊半島、陰影の効いたモノクロのロンドン、ソラリゼーション、シュール写真も撮っている。
【妹尾豊孝】(せのお ゆたか)
・40歳を過ぎてビジュアルアーツに入学、写真をやり始めた異色の存在。しかもスナップ写真。
・町の人とコミュニケーションをとりながら撮ったスナップ。80~90年代撮りためた素朴な光景。大病患ったが手術して元気になったという。
・「美学とか考えてないのがいい」「幸せな写真ですね」「コンセプト何って言われたら答えられない写真」「1_WALLとかカスリもしないでしょうね」「90年代初頭まではこういうのが王道。人を写すのが写真だった」「今は小賢しくないとバカって言われる」「(戦後すぐみたいな大阪の下町の写真)大阪・・・貧乏ですね、」
【阿部淳】(あべ じゅん)
・スナップの人。「黒白ノート」等。80s、写真雑誌「On The Scene」等
・前衛舞踏集団・白虎社の映像スタッフとして専属活動。
・「この人も考えてない系ですね、いいですねー」「考えなくても街行って撮れる。考えてないから(鑑賞者は)見ていられる」
・「車道に落書きとか」「大阪の子どもの遊びって・・・カンボジアでもこんなのない」「原始的な遊びだなあ」「まるで『さっちん』の時代ですよ。えっ 80年代でこれ?」
・「90年代は街に行って撮れ、スナップが基本と言われていた」「これ美術の人に見せたら『何の素材ですか』って言われる」
・「学生がやったら止めますよ」「一生棒に振る」
・写真集「CREATURES」…動物、魚、気持ち悪いの。ゲイリー・ウィノグランド「Animals」だな。表紙そっくり。
【森裕貴】(もり ひろき)
・写真集「京都」1969
・「2年の時の先生。『なんで写真撮るんだ』って怒る人」「『京都のロバートフランクとはワシのことや』て言ってたな」「中途半端な、スキのある写真、へたな写真を入れてるあたり、確かにフランクぽい」
・「写真やめちゃった」「評価されなかったからかな」
※60歳頃から紙を用いたオブジェの作家として活躍
【石黒健治】(いしぐろ けんじ)
・写真集「HIROSHIMA NOW」(1965-66)、フィルム2本しか撮っていない。ロバートフランク影響あり。見事にどのカットもバラけている。情感が無く、カッコいい。
28㎜で引いて撮るスタイルが当時の主流。
・ 「ずーっと酔っ払ってるから話できないかも」「学校、最後クビになっちゃったんですね。卒業式の日に酔っ払って乱闘騒ぎ起こして」「絶望したんじゃないですかね、表現としての写真やっても見てくれないって」「単純にスナップやってるだけだと、何処にも出られない。出版社も出したがらない。仕事が無い」
( ´ -`) なんかどの作家も、
( ´ -`) キャラ濃いなあ、
写真集では分からなかったキャラの濃さが本日色々と分かりました。人の話は聴くものですね。作家と直接の接点がないのでリアル話は貴重。
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<総論>
・「写真家の仕事の有無が、大阪独自の写真風土を生んだと言える」
・「大阪のスナップって楽しそう」「東京は求道的ですね。耐えながらやってる感じ。森山大道の悪口、批評すると怒るし、何なんでしょうね」
・「澤田知子のように、東京を経由せずにデビューする人も出てきている」
・「ストリートスナップはみんな区別がつかない。作家性の消失。それは良いんだけれど、デビューの時には自分のキャラがないと。発表の場が与えられませんからね」「森山大道はコンセプト、キャラを作ってる。アラーキーは全部作ってる。自分を虚構化してる」
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( ´ -`)
めちゃめちゃ面白かった◎
大阪の写真文化、どちらかと言えばスナップ写真家の仕事と明暗みたいなものを駆け抜けた。トークで度々言及されたのは「現代では(純粋な)スナップは評価されない」「コンセプト必須」「けど純粋なスナップは楽しそう」である。今という時代がそれだけ、写真表現なるものをやり尽くして、もう見る側も撮る側も大概「それどっかで見たことあるよ」な時代なのでしょう。デジャヴュ、そしてコンセプト。自己免疫疾患を患っているような時代だ。
私が学生の頃(90~00年代初頭)が、スナップ写真の最期だった。あの頃はまだ自分の中でも都市のスナップを無目的に撮ることの動機があった。そう、動機。楽しかったなあ。いつからか「そんなもんやり尽くされてるわ」と自分でうっすら自覚するようになった。挙句の果てに封印ですよ。時代は変わりましたね。
歴代の写真家たちが、というより写真が、スナップによって世界を無記名なものへと分解しまくってしまい、ぺんぺん草も絶えたような荒野に、コンセプトや世界観を企画して建築・デザイン的行為を行える「作家」が現れ、次々に日常や生まれ生い立ちや風景や都市景を再構築していった、という感じでしょうか。そうしていたら2010年代も後半に入りつつあります。それでも君は写真をやるのか?というゲロ出そうなアレです。まあやるんですけども。
改めて。
<再度、引用>
「写真史というのは、時代と状況によって絶えず解釈し直される『写真史』という形でしか存在できないのであろうか」
写真そのものがそういう性質がありますね。写真自体では自分の位置づけを語れないので、誰かが常に解釈と評価を与える必要がある。永遠に編集される対象というか。ただしここでいう「写真」は、SNS等の一般生活で目にする「解釈のいらない写真」とはまた異なります。この点は直感的に理解し難いかもしれません。
例えば桜や紅葉や青空や傘で顔面を隠したアンニュイ女子の写真などは、ほぼ一対一で絵と意味が符合していて、記号のようにブレがなく、この場合は特に「解釈」の作業が要りません。(※作者やそのファンからは恐らく反論がありますが) 貨幣的ですね。
100円玉が100円のものと交換可能であるように、これらの写真は写されたイメージそのまま流通し、受け手はそのままにイメージを受け取ります。
そしてまさに通貨価値が精巧・精密な描写技術や丈夫さといった品質により担保されているのと同様に、それらの写真は画質、主題、構図の強度から担保されるイメージの揺るぎなさが通貨的価値を帯びます。強度が高くドラマティックであればあるほど額面も上昇するような、謎のヒエラルキー的なものがあります。色々めんどくさいです。
しかし「そうはいかない表現」、貨幣的価値へ陥らされることへの揺らぎや異議申し立てを行う表現というものが、写真界では常に試みられていて、むしろそういう試みをしていないとまず評価されない。逆説地獄ですね。試みとは何でしょうか? 写真史という言説と対になる行為ですか。「その写真は何を語っているか」というより「これらの写真は写真史に対して如何なる意味を持つか」という点が作家評価のウェイトを重く占めているのではないか。写真表現における直線的な試みはだいたいやり尽くされ、非線形な、アメーバ状であったり、層状であったり、ジャンプしたり、ランダムネスに身を委ねたり、そうこうしているうちに、写真史の方自体を再解釈―ランダムネスでジャンプに富んだ比較、関連付けを試すなど、「試み」に曝す必要が出てきたのではないかと感じています。
写真界というか作家界は、立山連峰の地獄谷の如く、所謂コンセプトという毒ガスというか呪いみたいなものがもうもうと立ち込めていて、道は崩落していて、迷子になるし、幻覚も出るし、そんなところをコンセプトという防護服を着て、批評家やギャラリストの敷設した遊歩道に沿って歩いてる感じです。相当めんどくさい。まあ個人的にはこっちの方が好きです。マゾいなー。はい。
自分は実にめんどくさい世界に片足つっこんでるなあ、元々めんどくさいのに、口内炎が大きくなるばかりです。でも貨幣的写真に戻ったら、ヒエラルキーに潰されて死にますよ? 写真をしなくてもどうせ別の理由で口内炎は出来るし、それはそれで地獄なんです。だって人の通貨制度の下で猫かぶって生きるとか気分悪いじゃないですか。それは生きてると言わん気がする、しかしVALUか?それは違うなと。口内炎でも売りますか。やだあ。いずれ口内炎がビットコインを噴いてくれたらいいなあ。そういうことで、仕方がないし、現世はまだ続きますし、写真をやるという話になるんです。口内炎に塩を押し当てます。消毒になるんだって。激痛ですよ。現世は辛い。
<後日談> 猪瀬光の写真には何か強烈にシンパシーがあり、アマゾンで写真集を買ってしまいました。合掌。