【建築】2017.9/23_旧シオノギ製薬東倉庫(第24回 家づくりフォーラム)
淀屋橋から北浜のオフィス街は、レトロ建築スポットとしても有名です。明治期からの近代建築物がまだまだ生きており、ggると中央公会堂や日銀大阪支店を筆頭に色々と紹介されています。
しかし今回は、建築家の方々のイベントがあり、普段は入ることのできない貴重な物件(倉庫)に立ち入ることができました。
旧シオノギ製薬東倉庫、外観(正面)。
今や使われておらず、長い間、謎を秘めて閉ざされていたようです。近隣住人も興味を抱いて観に来ているとのこと。
イベント「第24回 家づくりフォーラム」の概要はこちら。
「建築家による住宅作品展と家づくり相談会」。マイホーム作りを建築家に依頼するという発想がなかった。私には住まいの哲学がなくてですね。運気が無限にあがるといいですね。あとチリ・ホコリを自動的に吸収分解してくれて、即死耐性があって炎を吸収して竜巻や地震を全回避してくれる家が理想的です。
倉庫の裏は、川と広場。小ユートピアです。お隣は蕎麦屋。こんなスポットがあったとは知らなかった。
今後、倉庫は有志らによって買い取られ、取り壊した後、別の形で利活用されるそうです。歴史的建造物は耐久・耐震性能などに難がある場合が多く、そのまま維持管理していくのは大変です。建材が自分で勝手に新陳代謝してくれる日がくるといいですね。
倉庫の中を巡ります。
<地下1階>
このイベントのために樹を持ち込んだとのこと。
地下の展示会場。
フロア中央に柱。
簡易3Dグラスでお家の中を巡っているようなビジョンが体感できます。便所やお風呂が見える。
建築や都市論には興味があったものの、特に学んではこなかったので、より具体的実践としての「住宅」となると、もはや手も足も出ず。わかりまへん。
無数の法令の制約と、物理制約と、予算制約の中で、結実した思考がするりと抜け出て、生き物のように振る舞うとき、よい建築と呼ばれるものになるのでしょうか。
場です。
どんな不自由な「場」でも、たぶん人は住んでいるうちに勝手にカスタマイズして、汚したり歪めたりしながら順応と自己最適化を図って住んでいくと思うんですが、住む、生きていくということを突きつめていくと、思考が場と化していき、逆に場が生活をどこかの方向へと導いていくようなことがあると思われます。それを戦略的に、建築の思考で先に「場」に思想を持たせるというのは、効果的だと思います。住人と相性が悪かった場合は発狂しそうですが。
検討から竣工までのフローをもらいました。可視化されて分かりやすい。地元のナントカ工務店とかがパッケージでぽんぽん売ってる新築物件が果たして良いのかという思いは常にあります。飼われた思考で良いのかという疑念。まあ予算というものがこの現世にはあってですね。飯食えて仕事できて眠れればそれで良いと言えば良いです。しかし仕事や思考が促される「場」、会話が弾む「場」、等についての基本要件はあると思うし、環境が人を作ると言いますので、よい環境がほしい。
<1階~2階>
私は実に住宅の建築論がわかりません。
ビルのような巨大物件は、観光客・外部の者として、見たり歩いたりして良し悪しを云々できる余地が大いにあります。しかし住宅は、本人及びその家族が実際に住んでみないと良いも悪いもないではないか、という極めて身体的なことがあって、冊子をなんぼ見ても頭に入ってきません。車の雑誌とかもそうですね。そうかな?
\(^o^)/ こういうのは解る。
倉庫の柱になぜ。「主イエスキリスト アーメン」「英子 精神」「ポポン ポポン」「八尾 安倍」。
「ポポン」のまろみと破壊力は別格です。
2階に上がります。
階段で思わず足を止めてしまいました。
ハードでいかめしい、人工物の密林のよう、そしてその先へと大いに導かれている。この階段と突き当りは最高です。照明と植木の効果が何かを掻き立てます。倉庫が倉庫を超えている。
コンクリ壁にはモノクロ写真が映えます。
細部が気になる。生物のデザインのよう。
倉庫だけあってフロアは牢屋っぽい。展示も照明もなかったら怖いのでは。
細部が気になる。
樹と葉の影がこの牢屋的空間に相当な生命力を与えていて、これがなかったら牢屋です。
2階の一番奥の部屋がなかなか、
刑事の取り調べ室では。
本当に倉庫だったのかこれ。
外へと続くような梯子が掛けられていますが、行きつくところが早々に無くなり、希望が終了します。
部屋は格子の扉で仕切られており、牢屋感が深まります。
闇を堪能しました。
階段は降りる時もすごい。
動くモノクロ写真のように植木の影が壁面に映えます。
( ´ -`) 取り壊される前に来れて良かった。
旧シオノギ製薬東倉庫でした。
住所:大阪市中央区平野町1-1