H28.7/10 うえのゆり氏 個展「糸結び」
あついですね。人類をためすような暑さです。
人類はいつもためされていますね。リオ五輪とか手におえない感があります。
ブラジルはもはやリアル北斗の拳と化しつつあって、殺伐さにお腹いっぱいですが、そんな昨今だからこそ一度観てほしい展示があります。
日本とブラジルのきずな ― かつてブラジルに渡った祖母と母のきずなを丹念に追っている写真作家さんが、個展をされています。
うえのゆり氏 個展『糸結び』
<会期> 2016.7.2―7.18
<場所> KOBE STUDIO Y3(4階ギャラリー) ※海外移住と文化の交流センター内
なにげない、日常の光景に見えますが、
作家ご本人のことばとともに、展示を紹介します。
祖母の代、ブラジルに渡った一家。そのとき、母は15歳。
母からは一度も聞かされたことのなかった、ブラジルの話。
『激動の時代を生き功績を遺した祖母と、
思春期の頃に知らない土地に連れていかれた母。』
祖母と母は、時代の中で少しずつすれ違い、現実にはその関係を修復できないまま
終わりを迎えました。』
『母が亡くなって以降、私は自分の実家や家族、遺品、
関わりのある人やものを撮影してきました。』
『写真を撮るという行為は、視る、知る、向き合う行為でもあります。
私は、遺品の中にあるたくさんの手紙や写真を一枚一枚を撮影する中で、
初めて真正面から母と向き合い対話をし、少しずつ母を理解していきました。』
『わたしはただ、ブラジルと日本の間で途切れてしまった2人の糸を
結び、繋げてあげたいのです。」
しっとりとした写真ですが、その物語のスケールは親子3代にわたり、地理的にも地球の裏まで海を越えていく壮大なものです。
祖母と母の間にあった、気持ちの距離 ― 確執などにも出会いながら、一つ一つを見つけ出して受け止めていく作業でもあります。
最も身近な人に、誰にも語られない物語があったということ、それを紡いでいくこと、そこから見えてくる、日本とブラジルの歴史。
例えば仮に、私の親が南米移住者だったとする。それで私が現地に飛んだところで、間違いなく白い粉を吸うかピンガをあおるかピラニアを食うか白い粉を吸うかで、こういうことにはならない。なりませんなあ。生きるもの、この世を去るものへの眼差しを持つ、この作家さんだから出来る仕事だと感じます。
展示は、写真だけでなく祖母から母へ宛てた多くの手紙、記録史、地図など、資料が用いられています。南米移住者の資料を扱うこの会場での展示という観点では、分室の企画展示のようで、効果があったと思います。(もし、この資料をも写真で語ることができれば、深い強度がもたらされ、より面白かったかもしれません。至難の業ですが・・・)
私事ですが、私は人の縁とかつながりと真逆の人間でして、やや(かなり)宙に浮いたような人種でして、つまりだめでして、まあ全般的にだめなんですが、だめですね、それで、「うわあつながり」「いとやああ、」「うわあ、」「いと、」と会場で悶えていました。いい悶えでした。
が、
そこで遺された手紙や、おかあはんの靴とか、遺品の写真を観て、徐々に思い出されてくるものがありました。
/(^o^)\ やっとるがな
これは、母方のじいちゃんの眼鏡とか原稿用紙とか。
もう4年ぐらい前に合掌しましたが、遺されたブツに強烈な存在感を感じ、思わずカメラを向けたことが思い出されます。思い出しました。
実際、病室で「あと数日」の状況から、遺体となって自宅へ帰ってきて、死化粧を施され、納棺される過程まで、けっこう撮っていたものの、この眼鏡ほどじいちゃんを語りうるものは一枚もなかった。
(むしろ遺体は、儀式を経るごとに、そらぞらしいまでの、他人行儀な物体に見えていく)
ということを、数年ぶりに思い出した次第です。
作家さんの糸結びの行程に触れているうちに、トリップに陥り、自分自身の記憶に思い至り、消えかかっていた糸が少々結び直されたという、なんとも不思議な一時を体験しました。お盆にはまだ早いんだが。
そういう効果があります。
その人のあり方や、その人とのつながりというものが、遺されたモノに凝縮され、象徴され、活き活きと語られるということが、あります。
そのテーマで現在最も活動している写真作家が、石内都です。
既に国際的な評価を受け、2015年にはLAのJ・ポール・ゲティ美術館で特集が組まれました。
石内氏は故人の衣服など遺品を撮ります。それは、凄まじい迫力と美しさがあります。ヒロシマの原爆で亡くなった方の衣服が、トップモデルの立ち姿のように迫ります。
うえの氏は、石内都の跡を追いながらも、現代を生きる若き作家の眼で、また異なるかたちで、糸を紡いでゆかれることと思います。
<おまけ>
会場の、海外移住と文化の交流センター。
ここはかつて「神戸移住センター」(1928年創建当時は「国立移民収容所」)といい、1971年まで、南米をはじめとする海外移住者を送り出してきた機関です。
移住希望者はここで7~10日間の滞在があり、出国手続きや健康管理、現地で必要な最低限の知識習得(言語、宗教、農業事情等)がはかられました。
1F・2Fは「移住ミュージアム」があり、無料で日本からの移住者の歴史を振り返ることができる。
ブラジルって簡単に言ってたけど、めちゃくちゃに広い。
わからん、広すぎる。
異様な高揚感があふれている。
これは過大な夢を抱かせたのでは疑惑。
/(^o^)\ 現実。
\(^o^)/ やだよこんなの。
アントニオ猪木はこんな状況であのメンタルを培ったのかと思うと色々納得。
(13歳で、祖父に連れられてコーヒー農園へ移住)
また、うえの氏の母が、多感な15歳でこんなところに放り込まれて、自分たちで一から家を建てるところからスタートせねばならなかったかと思うと、色々お察しします。ふつう殺意しか抱かない。
/(^o^)\ 現実2。
\(^o^)/ やだよこんなの。
登山してるけどこんな毎日やだよ。
15歳の時分にこんなとこ連れてこられたらたぶん殺意しか抱かない。
そういうわけで、1~2Fの展示とうえの氏の個展をあわせて観ることで、相互に内容が響き合っていて、面白いことになります。
7/18(日)までの会期中に、ぜひ。
(※作品の撮影は、ご本人の許可を得て行いました。)