京都国際写真祭―KYOTOGRAPHIE2016(KG)を淡々と記録する会。
今回は、巨大な鳥居でおなじみの平安神宮付近、京都市美術館別館とロームシアター会場をレポ。
平安神宮、岡崎公園あたりは朝8~9時とても平和(観光客が少ない)。
京都市電もいます。わざわざ前を通って鉄道好き度を計測しよう。
お・さ・ら・い☆
京都市美術館別館にいくぞ。
今年度展示の「顔」ともいえるプランクトンの写真がある。
ビジュアルの注目度は抜群であろう。
柱がいい感じだね。
別館やロームシアターに来るのは初めて。蔦屋書店があるのも初めて知った。
○京都市美術館別館2F/『PLANKTON 漂流する生命の起源』クリスチャン・サルデ (Christian Sardet)
※会場内の撮影自由(動画×)
クリス・ジョーダン『Midway:環流からのメッセージ』では、プラスチック片を食って死に至った海鳥を突き付けられたが、こちらは純粋にプランクトンの小宇宙の美を
坂本龍一 ( ・_ ・)
なんか鳴ってると思ったらそれは坂本龍一なので心して聴くように。
宇宙レベルの彫刻標本だなあ。
生物とは何かよくわからなくなります。
我々人類にも遡ればこういう時代もあったんだと思うが、残念ながら記憶にまったくない。
他の星から飛来した異生体・・・
雪の結晶とプランクトンはなぜこんなに美しく、常識離れしているのか。
この調子で「ゲノムフォト展」とか「元素写真展」 がそのうち催されることだろう楽しみだ。
写真作品としてどうのこうのという次元ではなかった・・・ここは宇宙だった
のです。
まだある。
/(^o^)\ ヴィーン ヴィーン
プランク ト ン ・・・ ?
プランクトンだ。
映像作品
ずるいなー。
抽象絵画と写真とノイズを行ったり来たりする。
幻夢をですね、透明な宇宙の先兵がうごうごします。
結論として甲殻類が好きということがわかった。
○京都市美術館別館1F/ 『Coming into Fashion - A Century of Photography at Conde Nast』
(コンデナスト社のファッション写真でみる100年)
Presented by CHANEL NEXUS HALL
ファッションフォト、モデル、洗練が好きな子はこちらへ。
個人的にめちゃくちゃ好きな世界観だった。
(※会場内、作品の撮影×)(※無料)
John Rawlings - 1943 アメリカ版vogue
目玉作品は不可思議な美しさを誇る。何がどうなってんの。
精緻な映像技術による加工かと思いきや、白い紙を突き破っているのだった。
うそ( ゚q ゚ ) まじかよ。
なんでこういうこと思いつけるかな。だめだ。好きだ。
なにげにアーウィン・ブルーメンフェルド「赤十字を担おう」 (1945 アメリカ版vogue) が紛れていたり、展示のレベルがめちゃくちゃ高い。
そう。高いんですよレベルが。美の粋が集まっている。
この会場の分だけで写真集を作ってほしい。
時代によって(たとえば10年刻みとかで)女性というものの存在感や、写真というメディアのあり方がやはり異なる。ファッションだしな。ヒッピー的なLove&Peaceが香る時代もあれば、幾何学的にシュールな構図に人体をはめ込む時代もあるし、デジタル加工レタッチごりごりに押し出す時代もあった。ファッションはどこへ行くんだろう。
最後に短編動画集も展示されているが、
私はこの作品に
( ゚q ゚ ) 心の髄を撃ち抜かれた。
「The Ever Changing Face of Beauty」
本当にこういう、死ぬんじゃないかってぐらいギリギリまで、生命の美の粋に迫る世界観が好き。たぶん死ぬ。コカインを毎晩がんばって吸い続けないと作れないと思う。うそです。いやそれでも全然足らんなあ。こまった。
○ロームシアター京都/銭海峰(チェン・ハイフェン)『The Green Train 緑皮車』
中国における最安値客車「緑皮車」の乗客観察フォト。
かつて中国では普通列車が深緑色で塗られていたことからそのように呼ばれている。
この展示は、作者が2007年から続けてきた写真という趣味と、最安移動手段による旅の記録―人物観察とが実を結んだ作品集である。
この作品が優れているのは、ともすれば泡沫のように消えてしまう人々の風俗―ファッションや、暇な時間の過ごし方、顔つき、そして普通列車というシステムの記憶をこの世に留めたことにあると思う。ある一貫したテーマによる経時的記録を取り続けることの強み。それも、行政やマスメディアがどちらかというと積極的には残さないもの。
新幹線のように華々しい国家事業は誰もが記録するが、老朽化を重ね、時代の流れによって土俵からじわじわ押し出されて消えていく存在は、気付いたときにはラストランのイベントを迎えていたりする。
バックパッカー的な旅を重ねる中で、次第に緑皮車が高速鉄道、白皮車へとって代わられていく「時代の節目」を認識したことが、彼に「作家性」を与えたものであると思う。
「認識」は重要で、それなくしてはスタンド使いとしても壁を超えられないことはエンヤ婆の言のとおり。
乗客の服装、車内のライフスタイルは実に様々である。そして近代化していた(あたりまえや)。
中国人っていつの間にこんなにイケメンになっていた? 日本の若者とそんなに変わらない。うわあー。そうなんやー。
余談だが各種ニュースサイトによると、2014年6月30日を以って「緑革車」はラストランを迎えて姿を消したようだ。
が、同年に北京鉄路局は同局に所属する客車の色を緑色に塗り直すことを決めたという。単純な色であればあるほど、皆の意識にはしっかり文化のようなものとして根付いていると思う。日本でもそのうち各地の特急をもう一度肌色に塗り直すんじゃないか。
写真がしっかりしていて、普通にうまい。
左のおねえちゃんはFF13のライトニングを意識しているのかなとか想像するとたのしい。
(´-`) たのしかったんだよ。